#412C|影響の輪の中で生活する

みんなおなじみ「影響の輪」と「関心の輪」。勤勉な方であればこれはもう「THE・常識」として、日々当たり前に扱えているのかもしれない。

影響の輪は、自分が直接影響を及ぼすことができる範囲を示し、関心の輪は自分が関心を持っているが直接的に影響を及ぼすことは難しい範囲を示します。二つの輪は重なり合っている部分もあり、それは自分が関心を持ち、かつ影響を及ぼせる範囲を意味します。

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しかし関心の輪に気が引かれて、影響の輪から出ることはよくあることだ。私なんてしょっちゅうある。

意識が行動の「結果」に引っ張られる。自分がやったことがみんなにとっていいものになったのか、価値があったのか。みんなが喜んでいるか、助かっているか、邪魔になっていないか、余計なことではないか、と気にかかる。同様に、何かをやる前にも もやもやと。

たとえばミーティングやイベントなどを、もっといいものにしたいという漠然とした理想で悩む瞬間も多いが、それは「関心の輪」。いくらそこに熱を注いだところで意味がない。「結果」は自分がコントロールできるものではない。

理想に近づくためにも大事なことはただ理想を思い悩むことではなく、そのために自分ができることに集中することだ。結果を「いいもの」にするためには、自分がそこに影響を与えうる行動をコツコツ積み上げることだ。

それはどんな時も当たり前のことであり、かつ超大事なことなのだけど、状況が悪かったりすればそのことはスカッと忘れて、いろいろグチャグチャと考えてしまう時もある。

あの人はどう思っているだろうかとか、みんなが何を考えているのかわからないとか、どの決断が全体にプラスになるのだろうとか、自分はこの場で何をするのが正解なのかとか、それを成すに足る能力があるのか(いやない)とか、そういうことが頭に上がっている時は苦しいが、それらは本来わからないものだし、わからないことを考えてみてもあんまり意味がないことなのだ。


そんなことはわかっているけど頭からふりほどけない。そんな時は、①その場において自分が確実にできるような小さなことで、②関わるみんなにとってきっと1mmでもプラスになるハズだと思えることを、自分で勝手に決定して、丁寧に現実に落としていく。

ここに集中すればいい。それ以外、余計なことは考えない。その結果がどうなるかは知らない。神のみぞ、よ。

自分が確実にできることとは、たとえば、「声を出せる」とか「文字を読める」「文字を書ける」とか「何かを調べることができる」「じっくり考えることができる」とか、そういうレベルの「できること」から意識を向けていく。そして、そこからできること、それはちょっとした心遣いの言葉や意見を誰かに届ける、といっただけでも充分だ。

逆に、自分にできることはそれが限界なのだ。たとえばサイコロを振って絶対に6を出すというような「無理なこと」まで、やらなければと思い悩むことはない。

精神的に背負いすぎたり無理をし過ぎたりする傾向のある人には、「ここまではしっかりやった。あとはしらん。」という無責任さというか、開き直りといったものも大切になるだろう。


「関心の輪」にまで手を出そうとすることは、いつどんな時でも不要だ。いつも「影響の輪」の中にあるモノゴトについてを真剣に考え、実際に行動していよう。

たくさんの人が「関心の輪」と「影響の輪」を1日の中で何度も行き来しているが、なるべく「影響の輪」にいる時間を多くできるほど、たとえば抱えているモノゴトは前に進み、プロジェクトは完成に近づいていき、余暇の時間はゆっくりと楽しめるようになる。

自分にできることの中で、関係者にポジティブな影響を起こせそうな行動にフォーカスして生活する。どれだけできているだろうか。どれだけできるだろうか。

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