#292C|なぜか今日は
note365日連続投稿チャレンジ292日目。
ミュージシャンの「チバユウスケが亡くなった」と弟から報せが入った。
我々は兄弟共に彼が好きだった。聴き始めは遅くてミッシェルは終わってたな。たしかROSSOの頃だったか。新曲が出れば弟とよく話したし、私は長距離ドライブの時には今でも高い確率で流している。カラオケに行けば絶対に歌う。
今年の春に食道がんになったことは知っていたけれど、なんだか「絶対回復するだろ」なんて思っていた。まさかのご逝去。
彼はきっと人生を楽しみ切っていったんじゃないかと思うし、というか楽しみ"切る"なんてキャラクターでもなく、なんというか怒りつつもすべて受け入れた仙人ぽい様相を呈していて(近年はおじいちゃんみたいだったし)、悲しむ必要もないが、それはチバ側の生き様の話であって、やっぱりこちらとしては悲しいものだ。
仕事中に訃報を知って、今感傷的になっている場合ではないと頭から消したものの、だんだん心に戻ってきた今はなんとも言えない気分だ。
私にとっての彼の歌は「救い」を感じられるものだった。いい感じに「この世の中なんてどうでもいい」と思わせてくれるもの。
それは人生に投げやりになるのではなくて、いいこともクソなことも含めて、全部まるっと飲み込んで、自分も相手も世の中も、てきとーにゆるしてやっていいんじゃねえ?みたいな。
醜いものに強い憤りを感じる時や、ひどいことがあって落ち込んでいる時など、彼のアルバムをかけてドライブすれば全部どーでもよくなった。どーでもいいからこそ全部受け入れられるそんな気持ち。そうしていい感じにカラダが緩んでいって、音楽に没頭してトリップできた。
それは「どの曲が」というよりも、「彼の歌」を通して人間自体から感じさせられるものなんだと思う。でももう新曲出ねえんだな。
あんまり悲しんでもしょうがないけど、悲しいもんは悲しい。私は彼の歌ですっげえ助かったし、どの曲も音楽としても大好きだった。歳を重ねるほど声も姿もしぶくなっていくのもかっこよかったな。心からありがとうを伝えたい気持ちなので記事を書いた。
ありがとう。これからもずっと聴く。
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