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#105|言葉の距離|正念場

note365日連続投稿チャレンジ105日目。新しいことを始めれば、つまずくことは起こって当然だ。昨日から結果フォーカスの生活を始めて、いきなり今日1つの正念場にぶち当たったことを、「ノッてる」と捉えられる私の「目」に感謝したい。

「言葉の距離」が遠いと感じる時はしんどい

私はどの程度の強さかはわからないが、HSPの気質は確実にある。

言葉の文脈を共有していない相手と話を進めていると、その定義が違うことによってあらぬ勘違いが起きるというのはよくある話だ。

そういうことが起こる前提を持って言葉を使う人同士であればいいのだけど、「自分が使う言葉は自分が使っている意味以外にはありえない」と確定している人(本人は確定しているという意識を持たない)で、その上に「相手を否定するスタイルのコミュニケーション」を取る人と話すのはかなり疲れる。

気にしないでいれればいいのだが、どんどん「気になる」「ひっかかる」ポイントが溜まっていき、処理しきれなくなって神経が焼き切れるような感じになっていく。

伝わるかは自信がない例を挙げると、これは「言葉の距離が遠い」という感覚になる出来事だ。

たとえば「あ」という言葉の「真の意味」が中心にあると仮定して、そこから相手は北に、私は南にいるようなほど距離が離れている「言葉の定義」に関しては、すり合わせるのにその距離に応じた時間(エネルギー)がかかってしまう。そんな違いが頻繁に現れると、いちいちすり合わせをすることは難しい。

これだけ離れている場合は、自分の定義は捨てて相手の定義を採用する方が早いので、すり合わせをすっ飛ばしてそちらに移ろうとするのだが、「その言葉をそのフィールドで使いこなす」ことに慣れていないため「運動音痴」のような症状になり、結局うまく話せず相手にディスられたり呆れられたりする。

こういうことが起こるコミュニケーションはとても苦手で、どうにか対応方法を習得したいのだがいまのところわからん。

ディスりスタイルのコミュニケーションって百害あって一利もなくない?と思うのだが、マウント取ったりブラックジョークを好む方は一定数いるので、どーにか対応したい。

私もブラックジョークは好きでたまに使うが、「親しみ」を感じさせる範疇で頻繁に使いこなすのはかなり高度だと感じる。(だから「ブラックジョークがうまい人は頭がいい」と言われるのだろう)


いきなり正念場

しょうねんば しやう― 0【正念場・性念場】
① 歌舞伎・浄瑠璃などで,主人公がその役の本質的性格(性根)を発揮させる最も重要な場面。性根場(しようねば)。
② ( →1から転じて)その人の真価を問われる大事な場面。重要な局面。

「やり抜くぜ!」と意気揚々にスタートした6月。まさかの2日目にしていきなり正念場。新しく始まった仕事の成否を左右するような展開になり、これがクリアできない場合はいきなり「やり抜く」必要もなくなってしまう事態だ。

これは考えようによってはツイてないが、考えようによってはノッてると言える。こんな状況は普通に考えると、6月も中旬を過ぎてから起こりそうな内容なので、「1日で2週間分加速しちゃったな」という感じだ。おかげで早めに手を打てる。

失敗はさっさとして、さっさと新しい展開へ向かえば、「あの日」には予想もできなかったところまで進める。

自分がやれるようになる必要がある事柄が予想以上に多く、覚悟していた速度と熱量では足りない。これは、進んでいたら霧が晴れて大きな山が出てきた感じで、これを越えないと向こうにいけないっぽい。平地を休まず全力ダッシュするつもりではいたけれど、登山をすることになるとは思っていなかった。

真価を問われている。山を越えて新しい景色を見る。


✑41分|1500文字

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