#430D|「成果」を手放す(むずかしいけれども)

全快ではないが活動できるようになった。ゆるやかに積もったタスクに着手している。体力が減っていて、ちょっと集中したらふひーとなる。なんかおもしろい。(なにが?)

体調不良による強制リセットで、離れられなかった「成果への執着」から距離を取れたのは怪我の功名ってヤツだ。

「離れられない」ということ自体の自覚・実感もなかったくらい、ここにべったりと視点や気持ちが張り付いていて、それが苦しさの1つだった。

現在の生活状況はそうなってもしょうがないとも思えるため、またるぬるっと「成果」に呪われた状況に戻るかもしれないが、とりあえず今は距離を取れている。それでOK。


それにしても、モノゴトに取り組む際に「成果」を気に病み始めると本当にろくなことがない。頭ばかりフル回転して余計なことまで気にかけ、心は疲弊していく。とくになんのアウトプットもないままでも、体力と時間はゴリゴリに削られる。

成果を目指して「前向きに努力できる」時には問題なくとも、「呪われた」と表現したくなるようなネガティブな心理状態で成果に囚われてしまうと、何も「おもしろく」なくなる。

この「おもしろくない」というのがまずい。なにせノらない。発想もわかない。いくら行動しても達成感がない。明日が来る(時間が過ぎる)ことが憂鬱ですらある。他責思考に偏っていくくせに、ただ「なんとかしないと」「成功させないと」という焦燥ばかりが、夜も朝も頭をめぐる。

そんな状態で手に入る「成果」とはいったいどんなものなのか?というか、成果なんて出るわけねえだろと思うが、渦中にある当人はいたって真剣に(深刻に)成果を出そうとしている。


どんな取り組みも、心の真ん中になんらかの「おもしろさ」を宿している時には最高のパフォーマンスが出る。フロー状態の心地よさというのも一種のおもしろさだ。

そのためには、どんなモノゴトでも自分勝手に捉えて、笑ってしまえる余裕を持つのは超大事なのだが、なんらかに囚われてそれを失うことも、生きていればままある。

症状が浅い頃には、たとえば行動ログをつけていればそれに気づけて修正できたりするが、どっぷり浸かると自力での解除はなかなかむずかしい。

そんな心理状態からの強制離脱イベントが、たとえば体調不良だったりもするのだから、体調を崩すのも悪いことばかりではなく、むしろ有り難い。


逆説的だが、成果を出すには成果を手放し、おもしろさと共にあるといい。自分にとってシリアスな内容に対してそんなスタンスはなかなかできなくとも、そういう意識を自由に外せるようになると強い。

これができなかったら終わりだ。。と感じるようなことに対しても「遊べて」しまうのはある意味で狂気かもしれないが、それは強さだとも思う。

成果への執着を手放せば身体は軽くなり、手が動く速度は10倍にもなる。そのままゴールまで進むことができれば優勝。

これは技術だ。止まりがち、重くなりがちな人は、定期的に見返すメモに書き出したり、待ち受けにしてもいいくらい重要度が高い。「おもしろがりながら進む技術を育む」。

もう長い間「表のSNS」が更新できなくなっているのも、成果に縛られているからだ。で、体調不良のおかげで執着の視点がほどけて余裕がもどったら、またやりたくなってきた。昨年10月からほぼ停止しているnoteやX。これは「潜在的な先送り」案件だったが、再開できるかもしれない。

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