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トサノ、ポトレ始めるってよ

皆様、いかがお過ごしでしょうか?
トサノコージでございます。
久々のnote となりましたが、ここ最近SNS に漬かりっぱなしの状況で、そろそろ新しいことを始めたいと思いましたので、筆をとりました。

いや、筆じゃなくてキーボードを叩き始めました。

相変わらずSNSではストリートスナップ一辺倒ですが、今回、どうやらトサノの様子が…?

あまり人を撮ったことがないな、と気づいた日

最初にまともな一眼レフを買ったのは、かれこれ20年近く前の大学時代、確かNikon のD70 だったように思う。

それから社会人となり雑誌編集者として働きはじめ、一眼を持ってるからとなんちゃってカメラマンも兼任し(地方出版社あるある) 、いつからかフリーランスとなりそこから更に13年。気づけば長い間カメラを手にしている。

毎日のように写真を撮っていると出会いも多くあるもので
これまで自分が撮ってきた人々って何人ぐらいになるのだろう?
とふと疑問に思うことがある。

写真のカット数としては一応のフィルム経験者だけど、時代的にもデジタルの恩恵たっぷりでおそらく数百万枚、下手すればもうひとつ桁が上かもしれないけど、人数となると確認は大変。

ソロから数名を一日に300組ぐらい撮ったこともあるし、とある県内の高校生を集め、数千人を前に集合写真を撮ったこともある。

そんなことを毎日繰り返してるのだ。万人超える?絶対越えてる。数十万人かな?
結局のところ、そんなもの、数えようがない。

けど、そんな僕がこの歳になって最近ふと気づいたのだ。

「あれ? 普通に人を撮った経験少ないな?」

と。


目的が、ポートレート写真

さっきまで大勢撮ってきたとか言っておいて、何言ってんだこいつ? と思われるかもしれないけど、しかし違うのだ。

自分はこれまで「目的のために」写真を撮ってきたことは多々あっても、「写真を目的」としてポートレート写真を撮ったことがほぼ無いのだ。

「会社のHPを更新するので、社員を撮りたい」
「オーディションのために宣材写真を撮りたい」
「新ブランドをローンチ用に、着用を撮りたい」
「日々の記念写真が撮りたい」
「婚活用写真が撮りたい」

…そう、人生の半分ぐらい色んな写真を撮ってきたのだけど、あくまでどれも最終的に「何かしらの使用目的」があるなかで、フォトグラファーとしての対価をいただきながら撮ってきたものが99.9%を占める。

「写真のための写真」を純粋な作品撮りとしてやってこなかったのだ。

とある美容師さんのコンテスト応募用写真からの一枚。
お互いの作品撮りとして無償で色々やったのだけど、やはり明らかな目的はある。

なぜ、撮ってこなかったのか

スナップ写真は昔から好きで、空き時間さえあれば結構撮ってきたつもりだけど、なぜ今まで人をプライベートで撮ってこなかったのだろうか?
振り返ると、これまで作品撮りとして完全に相互無償で撮った人は10人もいなさそう。それも、自身のWEBサイトの掲載用などの別に明らかな目的があってのことだ。

今思い返すと、幼少期から口下手なこともあり、対人のコミュニケーションが億劫で昔はプライベートでは避けてきたことが原因だったのかな (フリーランスとして欠点だけど)

ポートレートを主戦場にしている人は本来人間が好きで、とにかく人間と向き合うことが好きなんだと思うけど、自分にはそれが基礎スキルとして備わってなかったのだ。

そういう人に憧れがなかったわけではない。
人間、生きていく以上、必ず人間と関わることが必要なので、そこが得意な人はとりあえず人生が楽しいのだ。
自分には生来それはごく薄っすらとしか備わっていなかっただけのことである。

ただ、そんな自分でも日々の業務で撮影しているうちに対人脳力が麻痺してしまい、カメラを構えると別人になりきれる様になった。

薬に頼りすぎると身体に耐性がついて次第に効果が薄くなっていくのが普通だと思うけど、自分の場合、業務上で「強制的に人と関わる」、なんなら「相手の気分やコンディションがどうであれ、あれこれ要求し、笑わせたりカッコつけたりさせなければいけない」などという長期間にわたる劇薬投与は相当効果があったようで、耐性がつくどころか、永遠に麻痺させることに成功したようだった。
そうして気づいたのだ
「今なら、作品ポトレも心から楽しく撮れるんじゃね?」
と。

根本にあるのが「いい写真が撮れると嬉しい」なので、ポトレもまあ楽しいのだが、昔は他のジャンルの撮影に比べ、楽しいよりも対人のストレスが勝っていたのは確か。
被写体本人に喜んでもらえるのは他に無い喜びなのだけども。

なぜ、今更撮ろうと思ったのか

まずひとつの理由にSNS で刺激をうけたから。
2023年の頭からTwitter の写真アカウントを始めたのだけど、色んな人の写真を見てると、本職だろうとなかろうと、とても良い写真を撮っていて、それらに触れることができたのは大きい。
気分としては「自分も人間が撮りたい!」というよりは「自分でも人間を通してこういう表現がしたい」と思ったのが近いのかもしれない。

次に、これからの時代、一層人との繋がりやリアルが大事になりそうだから
AI の画像生成によって、きれいなビジュアルだけなら既に違和感のないレベルで手に入るようになった昨今「人間が容易に想像しうる」整った写真や画像ならAI に生成してもらうのが近道だろう。
そんな中、主に二次元の表現で食わしてもらっているフォトグラファーという職業にこのままでは危機感を感じている。

リアルの場所でうみだされる繋がりや、プログラムやプロンプトじゃなくて人間のコミュニケーションから生み出される「ゆらぎ」のようなものを表現として追求してみたくなったのだ。

こちらも美容師さんとの撮影(髪をまず見せたい)
場を作り込めば込むほど、表現できるイメージも増えるのは確か
なんだけど、なんというかもっと自由に撮りたいかなとも。

やりたいこと

テイストは問わず、ただひたすらに「面白い」写真が撮りたい
自分がこれまで仕事で撮影するうえで時間やルールなど色んな制約の中で撮ってきたので、それらを全て取っ払った撮影がしたいのだ。

基本的にお仕事の現場で撮ったものは納品時にブレてたりピントを外してたりするのは外すのが暗黙の了解なのだけど、むしろそれらを生かしたような撮影がしたいとすら思う。

野球で例えるなら、ピッチャーとしてストレートで勝負できる自負はあるのだけど、あえて変化球だけで三振を量産したいって感じ。
…三振って言うとなんか空振りしたみたいで嫌だけど。

とにかく日常の仕事では取らないような写真が撮りたい。
「今日は雨だし中止にしましょう」じゃなくて「雨だし、ずぶ濡れで撮ってみる?」みたいなノリが理想。


やりたくないこと

写真は一期一会、その日その時が違えば、それはもう同じ写真じゃないんだよ…

とかドヤ顔で言いつつも、同じ様な時間に同じ様な機材、同じ様な被写体で撮ったら同じになるような写真は作品としては撮りたくないな、と。

再現性というよりは、主張や写真に込めた意味というか、本当に何気ない写真でも「二度と撮れない絶妙な曖昧さ」というものを求めたい。

仕事がら、「一般的に共通して求められるイメージ」を先に想像・確認して、それに合わせて写真を撮る、ある意味「確認作業」のような写真生活を普段から送っているので、まず出発地点から見直したいのだ。

スタジオでライティングを学び始めた頃、試しにやってみたかった撮影
どうでもいいこだわりとして、多重露光で撮ったもの。
スタジオもあるのですが、なんとなく外で色々やってみたいかなと思っています

技術の追求なんて考えない予定

10年以上写真を仕事で撮ってるだけあって、それなりに色んな場数を踏んできたつもり(まだまだですが) だけど、それらの経験や知識、技術は一旦ベースに仕舞っておいて、とりあえずまっさらな頭で作品撮りに挑みたい

面白そうであればライティングを組んでもいいけど、暗くて不安でも気合で地明かりで表現するようなことに挑戦はしてみたい。
技術が先にくるのでなくて、その場に合わせて撮りたいイメージが先にくるような。

先日、仕事で「光の扱い方がすごい。素人には真似できない」的なことを言われたのですが、「その場でできる」「キチンとした」ビジュアルを仕上げるために照明をつかったのであって、それは自分が「こう撮りたい」というよりは「こうしないと仕事の成果物として成り立たない」と思ってやったこと。
ここで
「この方が雰囲気あってエモくてよくね?」
とか言いながら、ブレブレでその場の色んな光の混じった写真を撮ることに挑戦できないビビリだっただけなのです。

これが、まさに自分が職業フォトグラファーであって、アーティストとは違うと実感させられる瞬間。いや別にアーティストになりたいわけじゃないけど、たまには「ぶりたい」ものなのです。

これは、とある雑誌内広告用に歌舞伎町で撮った写真。
作品撮りではないのだけど、「顔は見えなくていいよ」とか条件を取っ払われると、途端に楽しくなってくるよね。

数時間うろついて撮れ高ゼロなんてこともあるかもしれない

さて、ポトレ作品撮りを始めよう!
などど意気込んでみても、何から始めようか迷い、とりあえず一旦 Twitter でゆるく募集をかけてみた。

やり方としては、ある程度の場所や時間、もしかしたらテーマや持参物なんかを決めるだけで、あとはノープランでいこうかなと思います。
ガチガチに香盤を組んで作り込んだ世界観でやるのも面白そうだけど、それでは仕事の延長みたいになってしまいそうなので、あくまで成り行きで撮りたい。成り行きで撮れる新たな表現を見つけたいと思う。

そんな勢いでやって上手くいくのか? という不安がないではないけど、別に失敗してもいいかなと思ってる。
仕事じゃないんだし。

専門職の間でよく言われる仕事の成果物に対する考え方なんだけど
「いつも100点じゃなくていい、しかし80点は絶対に下回るな」
というのがある。
作品撮りに関しては
「30点を量産してもいい、けどたまに200点を目指す
というスタンスでいってみたいかなと。

上の写真と同じ媒体、同じ被写体
ロケーションが面白く、写真としては個人的にまあまあ好きだけど、
前提として服を見せる必要があったので、結果としてまだまだ遊び足りない印象。

ゴチャゴチャ言わず、撮ってみればいい

と、ここまで書いておいて、「目的の無い写真が撮りたい」と言いつつ「写真のための写真という目的」が発生してないか? などと余計なことを思いだしてしまったのですが

まあ良いのです。

やってみてから考えましょ。
というわけで、お付き合いしてくれる被写体さん、ゆるく募集してます!


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