【シン・エヴァネタバレ注意】相田ケンスケ=視聴者説
先日公開されたシン・エヴァンゲリオン。
三十年続いたエヴァの最終回ということもあり大いに盛り上がり、同時にそのエンディングにいろいろな意見が見られます。
特にヒロインの一人、式波・アスカ・ラングレーを巡る展開についてはすでに様々な意見が飛び交っています。
というのも、劇場版を視聴した方ならご存知の通り、ヒロインのアスカはシンジの元同級生であり友人の相田ケンスケと親密な関係になっていたのです。
恋人と読んでいい関係だったのかは劇中だけでは判断できませんが
①アスカの裸を見ても冷静にバスタオルをかける
②アスカがケンスケのことをケンケンという愛称で呼ぶ
③アスカはケンスケの住む電車を改造したトレーラーハウス(だったはず)に入り浸っており(ほぼ同棲?)、劇中で第3村に居るときはほとんどベッドの上で半裸に等しい格好でゲームをして過ごしている
などなど、二人の関係がかなり親しいことが伺える描写が多々ありました。
そして中盤には、ケンスケにビデオカメラを向けられてアスカが顔を赤らめるシーンがあったり。
終盤にはマイナス宇宙で一人雪の中にいる子供アスカの前に一人ぼっちのアスカを救うキグルミ人形の中身として現れます。
このように、アスカとケンスケはただ関係を匂わせるだけではなく、ガッツリとアスカを救う存在として描かれています。
こうした光景を見て、14年間の歳月がアスカを一人の女性に変え、シンジとは別の新しい大事な存在を生み出ししまったことにショックを受けたエヴァファンは多いでしょう。
ですが安心してください。
私の考察ではむしろ、この展開は庵野監督による長年アスカを愛してきてくれたファンへの贈り物だと考えています。
なぜなら相田ケンスケは映画を見ている私達自身の分身だと思われる(妄想している)からです。
以下、私的推察と妄想レベルの考察ばかりになります。それらが苦手な方は記事を閉じてください
二次創作SSくらいの気持ちで読める方のみこのあとの記事をご覧下さい。
根拠1
ビデオカメラの残り録画時間
前述した本編にて相田ケンスケがビデオカメラを回すシーン。
こちらの残り時間の方がほぼ映画の本編の残り時間と一致しているようなのです。
実は私自身確認できてない噂レベルの話なのですがそうであると仮定します。
この時点でついていけない方は記事を閉じることをおすすめします。
もしこれが本当ならある仮説が立てられます。
それはフィルムを通して見ている私達=相田ケンスケの可能性です。
もしこれが本当なら相田ケンスケがアスカの相手に選ばれた理由も、後述する根拠も辻褄が合うのです。
根拠2
入場特典のアスカ
映画を見た皆さんなら、入場特典で白いプラグスーツに見を包んだアスカのチラシを見たと思います。
私は映画を見たあとこれを見て
「庵野監督も酷いことするな」
と思いました。
相田ケンスケとアスカを結びつけておいて、入場特典はアスカ一つだけにするなんて、アスカ好きのオタクの心を2度傷つけるようなものなと思ったからです。
ですが前述のカメラの時間の噂を見たあとこれをピンと来たんです。
白を基調として首元に赤いラインが入った服。
そう白無垢です。
言うほど似てない?似てる?
和風の結婚式にて花嫁が纏うあの白無垢です。
劇中中盤にて、アスカはこれをマリと共に着ており、これにまるで死装束と言っています。
ですがむしろ死装束とは真逆の晴れ舞台の姿、白無垢なのではないかと私は思ってしまうのです。
なぜ白無垢なのか、それはアスカを生み出した庵野監督自身が、彼女を白無垢という晴れ姿でこの作品を見てくれた視聴者に送り出すためだと私は考えています。
劇中終盤にてシンジはエヴァという存在がなくてもいい世界を作るという決断を下します。
そして世界はエヴァの存在しない現実と同じ世界になるのです。
そして前述の相田ケンスケ=視聴者が本当なら、入場特典のアスカとはつまり現実世界のあなたのもとへエヴァの世界からやってきたアスカを表していると考えてられるからです。
そもそも入場特典を決めたのが庵野監督なのか私は知りません。ですがここではそのことは置いておくことにします。
これは合理的な考察というより、私自身が一番納得できる結末の妄想を曖昧な根拠で垂れ流している記事なので。
現状他の入場特典が追加される様子はないです。私の妄想はさておいても週替り入場特典が当たり前の昨今のアニメ業界でこの硬派な内容は謎めいたものを感じないでしょうか?
根拠3
シンジではダメで、どうしてもケンスケの必要があった
エヴァンゲリオン劇中にて、ケンスケはアスカとこれといったフラグを立てていません。
ケンスケ自身がアスカを可愛いと思っている描写はありますが、私の知る限りアスカからケンスケに対する好意を感じさせる場面は思いつきません。
むしろ絡みならトウジの方があったくらいで、新劇に至ってはケンスケ自体が今作までろくに見せ場がなかったこともあり全く惚れる理由がありません。
しかしアスカの相手はケンスケでないとダメだったのです。
前提として私はシン・エヴァの物語は、シンジという存在を通して庵野監督の心の救済を描いたものだと考えています。
エヴァの世界とは思えないくらい温かみに溢れた第三村はスタジオ・カラーを表していると思っているし、真希波マリは庵野監督の妻、安野モヨコ氏を表していると思っています。
そのためアスカ×シンジくんではダメだったのです。
庵野監督の魂の救済のためには、世界を超えて新劇の世界へ助けに来てくれる存在。
そんな真希波マリという形を取った安野モヨコさんと結ばれる必要があったのです(すべて個人的妄想です)。
そして私が妄想するに、庵野監督はシンジ(自分)と真希波マリをくっつけながらアスカと視聴者、そして全く美味しいところがない相田ケンスケを救済する最高の方法を思いついたのだと思います。
シン・エヴァにおける相田ケンスケとはおそらく、昔からのエヴァファンのメタファーです。
もしアスカと結ばれるのが加持さんとミサトさんの息子加持リョウジ(父と同名)だったらどうでしょう。
旧劇世界の話ですが、アスカは加持さんに(父性への憧れの裏返しもありますが)アピールを繰り返しており、どうせ急に結びつけるならその息子である彼だってありなのではないでしょうか?(実年齢はともかく見た目はほぼ同年齢だし)。
ですがそれではダメなのです。私は子供のケンスケはエヴァファンのオタク像そのものであり、大人になった姿はエヴァの呪縛から解け一人前の男に育った私達を表していると思っています(ここら辺は妄想ですしどうでもいいです)
そして重要なのは年月です。
シンジに惹かれていたアスカを変えたものは、14年という年月でした。
それが相田ケンスケ(エヴァオタクの視聴者)にはあるのです。
シンジが破の後で寝ている間、エヴァファンはずっとアスカというキャラクターを覚えており、グッズなどを通して彼女の側にいたのです。
劇中にて最後の出撃前にアスカがシンジの元を訪れ、昔はシンジのことが好きだったが、今は自分が先に大人になってしまったというシーンがあります。
このシーンの直前でアスカとマリは白無垢プラグスーツに着替えます。
私は勝手にこのシーンは、昔のアスカというキャラが好きだったシンジに別れを告げ、14年自分を見守ってきてくれた相田ケンスケ(視聴者)と一緒に私は大人になると言っているシーンだと思っています。
そしてこの展開のためには視聴者の代わりとなる存在が必要でした。
「私あんたといない間、視聴者君というあたしを認めてくれる存在見つけちゃったの」
なんてことを言い出したらあまりにもメタすぎますし直接的過ぎてこちらが萎えてしまいます。
シン・エヴァは第3の壁を超える演出が多少ありますが、すべてマイナス宇宙という何でもありの免罪符があるときのみのことなので(だったはずです)、そうした線引きをうまくしている作品だと思っています。
そして視聴者の代わりの存在には
①シンジの眠っていた14年間をアスカと共に経験できる存在
↑前述の通り長年待っていたエヴァファンと同一視するためとアスカの中でシンジより大きな存在になる理由付けのため
②視聴者誰もが知っている存在で、視聴者(エヴァオタク)が同一視できる存在
↑ユーロ空軍時代に同期だったイケメンパイロットなんかと結ばれても誰も感情移入できないから
最低上の2つの条件が必要だと考えています。
それを奇跡的に満たす存在、それこそが相田ケンスケなのです。
アスカと14年間を共にしてきても唐突な新キャラに比べれば無理もなく、委員長とフラグが立っているトウジと違い良くも悪くも結ばれるフラグが立ってない存在。
というのが私の妄想なのですがいかがでしょうか?
読み返すとこの仮説自体の証拠としてはイマイチですね。
根拠4
スポンサーが許したから
シン・エヴァは大作ということで巨額のお金が投資され作られています。
そのため映画とはスポンサーあってのものです。
もし仮にあなたがシン・エヴァのスポンサーでエヴァンゲリオングッズを作るとします。
そのとき肝心の映画の脚本を見て、大人気ヒロインが今作で急に主人公以外の脇役と付き合ったらどう思うでしょうか?
そもそもアニメ映画のスポンサーなんて内容に興味ない人ばかりと思う人もいるかもしれませんが、私の見たエンドロールでは大手のフィギュア模型を作っている会社も提供にいたはずです(多分)。
エヴァンゲリオンといえばフィギュアというイメージがあるくらいエヴァのフィギュアって多いですよね。
今回の新作に際してアスカのフィギュアもたくさん新作が発売しています。
でももしアスカが相田ケンスケと結ばれるなら、映画を見たファンは言い方が悪いですが相田ケンスケの女となったアスカフィギュアを買いたいと思うでしょうか?
もし私が映画スポンサーでフィギュアやらグッズやらを企画していたら、売上に影響が出そうだから無難に収めてくれと言うと思います。
そこできっと庵野監督は言ったと私は思うのです。
「実はこの相田ケンスケってキャラ、視聴者の隠喩なんで大丈夫ですよ」と
というのはすべて妄想ですが、式波・アスカ・ラングレーというドル箱に大きな舵を取るためにスポンサーに対して何かしら理論武装をしたんじゃないかなと思うのです。
以上で一応の考察は終わりです。
見返すと酷いものですが一個人のファンの妄想程度にとらえていただけたら嬉しいです。
誤字脱字や矛盾に気づいて書き直すことがあるかもしれません。
思いついてすぐ走り書きしているので酷い文章なのは勘弁してほしいです。
ここまでご覧頂きありがとうございまし
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