自己紹介〜中学生(学校生活編)〜

中学の学校生活を振り返ると、やっぱりいろんなことがありました。

文化祭に新保組のみんなで出て、笑っていいとものパロディをしたのも大きなイベントの1つでした。みんなで夜な夜な集まって準備して、ああしてみよう、こうしてみよう、とものすごく楽しかったのを覚えています。

また、1年の時には合唱コンクールでクラスが学年トップになったのも良い思い出です。

少し話逸れますが、あの当時の合唱の歌って、すごく良い曲多かったですよね。今でもたまにYouTubeで聞いたりしてます。

ちなみに、こちらは合唱曲のカバーをしている好きなYouTuber。

最後は受験勉強ですね。僕はバスケットボールをかなり打ち込んでいて、3年生となり、進路をそろそろ考えようとなったときに、バスケが強い高校に入りたいと思うようになりました。

ただ、1つ問題だったのが、入りたかった高校が群馬県でもトップクラスで偏差値が高い群馬県立高崎高等学校(通称、高高、タカタカと読む)だったのです。

当時の僕の頭は普通で、とても今の学力で入れるレベルの高校ではありませんでした。また、バスケの推薦で入れるほどバスケが上手い訳でもありませんでした。

残された選択肢は、志望校を変えて、バスケ部が弱いそこそこの高校か、バスケが強い商業高校にいくか、めちゃめちゃ勉強して志望校に入るか、でした。

そこでした決断は、めちゃめちゃ勉強して志望校に入るでした。

そこから塾に通い始めました。人生初の塾です。3年生の夏の大会が終わり一気に受験モードに入り、そこからたくさん勉強しました。

塾が少し遠い場所だったので、仕事終わりの母親に塾の送り迎えをしてもらってました。家に帰ってからも夜食を作ってもらったり、本当に母親のサポートには感謝です。

いよいよ入試が始まっていき、まずは、志望校の本番前に私立の腕試しも兼ねた入試がありました。

その私立の入試の結果で、特待A、B、Cみたいにランクが結果として出るので、みんなここでの結果を見て、志望校をそのままいくのか、変更するのか最終決定していくのです。

当然、高高にいく受験生は特待Aで、Bだったら志望校を変える選択をする人がほとんど。

いざ、結果をみると、まさかの、B判定。すごく落ち込みました。

そしてやはり、先生からも志望校は変えた方が良いという話が出てきました。

でも、僕はやっぱりどうしてもその高校に行きたかったし、チャレンジしたかったのです。

志望校を変えず、そのままいく選択をしました。

入試まで本当にドキドキで毎日遅くまで勉強して、やれることは全部やろうと必死でした。

いよいよ迎えた入試当日。緊張ありながら、必死に試験を解答していきました。終わった正直な手応えとしては五分五分といった感じでした。

やり切ったのだから、あとは信じて待つだけと、結果発表の日。

なんと、そこに自分の受験番号があったのです。

本当に嬉しくて、嬉しくて、あの時の喜びは今でも忘れません。

志望校を変えることなく、信じて、選択して良かったです。

この体験、そしてこの高校に入れたことは、自分の人生を大きく変えていく転機になったのは間違いありませんし、大きなファインブレーの1つだったと思います。

人は決めたら強い。覚悟があればやり抜くし、やり抜いていけば結果に繋がると信じれる貴重な体験でした。

中学生編はこんなところでしょうか。

続いて高校生編へと入っていきます。


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