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臓器くじ、現実的に考えれば反対一択

前回のnoteで、臓器くじは賛成する方が得という話をした。そして、それは臓器くじの前提が全て成立する場合の話だということも書いた。

実際のところ、臓器くじの前提の中には重大な欠陥が潜んでいる。そのせいで臓器くじという仕組み自体が破綻しかねないほどの欠陥だ。

それが前回挙げた前提の内の

・公平なくじで健康な人をランダムに一人選び、殺す。
引用元:臓器くじ - Wikipedia

これだ。
犠牲者をランダムに選ぶことは避けるべきである。それは何故か?

例えば、ある企業に勤める2人の社員が臓器移植を必要としたとする。
早速ドナーを臓器くじでランダムに選んだ結果、当たりを引いたのは2人が勤める企業の代表取締役だった。
代表取締役の犠牲により社員2人の命は救われたが、経営陣の中核を突然失った企業は瞬く間に倒産し、社員2人は路頭に迷うことに。
再就職先が決まらず貯金は底をつき、生活苦からとうとう2人の元社員は自殺してしまった。
それどころか、この2人以外にも大勢の元社員たちが同じような憂き目に遭ったのである――

なんて事態に陥りかねない。少数の犠牲で多数を救うはずの臓器くじが、これでは本末転倒である。

社員と代表取締役で例えたが、領民と領主、子と保護者、その他様々な場合でも同様の事態は起こり得る。極端な例を挙げるならば、死刑執行を待つばかりの囚人2人を救うために、世界一の名医が犠牲になることすらあり得るのだ。

このような不公平が発生しないように、犠牲になる命の選定はランダムではなく、救われる命と天秤に掛けて慎重に行う必要がある。

ただし、ランダム選出でも問題ない場合がある。それは対象者が全員平等である場合だ。ブロイラー農場を想像して貰うのが分かりやすい。全人類が機械的に量産される製品のように平等な存在であれば、ランダム選出でも公平性は保たれる。

このことについては、英語版Wikipediaのサバイバル・ロッタリーの記事に言及がある。

Assumptions the "survival lottery" relies on
The survival lottery relies on the following assumptions:
1. Each life (killed or allowed to die naturally) is of equal value.
2. Two lives saved are of more value than one life killed to save them.
引用元:Survival lottery - Wikipedia(en)

さらに、これらの仮定が現実に即していないということも同じ記事で言及されている。

Arguments Against
One or more of these assumptions can be proven false and disarm the survival lottery thought experiment by proving that while killing and letting die can be determined as equal (hypothetically), the actual lives involved cannot be determined as equal, nor that multiple lives saved are greater than one life lost.
引用元:Survival lottery - Wikipedia(en)

トロッコ問題では少数を犠牲にする人が臓器くじには反対する理由は、その前提があまりにも現実から乖離しているからかもしれない。臓器くじを受け入れるということは、自分自身も含めた全人類を家畜同然に扱うようなものなのだから。

自分を家畜扱いしたいという奇特な嗜好の持ち主でもない限り、臓器くじには反対するのが現実的な判断と言えるだろう。