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音楽家と歴史・社会 -6: リムスキー・コルサコフの交響組曲「シェヘラザード」

主にクラシック音楽に係る歴史、社会等について、書いています。今回は、私がロシア五人組のうち最年少で、かつ、多くの音楽家を育てたニコライ・リムスキー・コルサコフ(1844年-1908)と、その代表作である交響組曲「シェヘラザード」についてです(昨日、都内某アマオケの演奏を聴いて感動♬)。

19世紀後半のロシアで民族主義的な音楽を志向した、ミリイ・バラキレフを中心とした5人の作曲家はロシア五人組と呼ばれる。彼らの主張は、反西欧、反アカデミズムであり、西欧の作曲技法(調性や和声進行)を基本としていたピョートル・チャイコフスキーと対立していた。

リムスキー・コルサコフは、ノヴゴロド近郊の軍人貴族の家に生まれ、ロシア海軍に進んだが、1861年にミリイ・バラキレフと出会い、作曲家への道を歩む。音楽院での教育を受けないまま、交響曲、管弦楽曲を作り、次第に名声を得ていく。

その作風は、華やかで、ロシアの民謡・文学を題材にした作品が多い。1871年、ペテルブルク音楽院の作曲と管弦楽法の教授に就任し、遅ればせながら、和声法や対位法について猛勉強した。

1889年のパリ万国博覧会において、ロシア音楽の演奏会で指揮者を務め、フランスでの知名度も向上した。

「管弦楽法原理」などの理論書を発表するとともに、アレクサンドル・グラズノフ、イーゴリ・ストラヴィンスキーなど、多くの才能ある作曲家を指導した。アレクサンドル・スクリャービンも、彼を信頼していた。

その代表作の交響組曲「シェヘラザード」は、1888年、サンクトペテルブルクの交響楽演奏会で初演された。「シェヘラザード」とは、千夜一夜物語(アラビアンナイト)の語り手であり、ペルシャのシャリアール王の妃(後妻)である。

シャリアール王は、先妻の不貞で女性不信になり、毎夜、街の若い女性を寝所に呼び、一夜を過ごした後、殺害していた。その残虐行為を止めさせるため、大臣の娘であったシェヘラザードは、自ら志願してシャリアール王の妻となる。そして、面白い話を寝物語として、王に聞かせ、佳境に入ると次の夜に続けることで、自らの命をつなぎ、新たな犠牲者の発生を防ぐ。

この交響組曲は、以下の4つの楽章から構成されている。

 第1楽章《海とシンドバッドの船》

 第2楽章《カランダール王子の物語》

 第3楽章《若い王子と王女》

 第4楽章《バグダッドの祭り。海。船は青銅の騎士のある岩で難破。終曲》

それぞれの楽章において、シャリアール王の主題(金管楽器主体のユニゾン)とシェヘラザード(ヴァイオリンのソロ)の主題が随所に出てくる。二人がシンドバットたちの物語を話す、聞く情景を、まるで作中絵に夢中になる人物を描いた絵を額縁の外から見るような構成となっている。

全曲通じて流れるのは、荒波の中を航海する船のリズム。チェロのソロがその漕ぎ手をイメージさせる。これは、シンドバッドではなく、ロシア艦隊による海外遠征を経験したリムスキー・コルサコフ自身ではないだろうか。

終曲では、千夜一夜物語のクライマックス(船が岩にぶつかる音)と、荒れ狂うシャリアール王に命を懸けて対峙するシェヘラザードの戦いが、様々な楽器を通じて入れ子構造で描かれる。シェヘラザードの誠意と愛の力が、シャリアール王に巣くっていた狂気(悪魔?)を追い払い、穏やかな朝を迎える・・・。

西欧音楽とは一線を画しつつ、ロシアのみならず、中央アジア・中近東の文化までも題材にして、ロシア音楽を切り開こうとした音楽家達の情熱に、思いを馳せたい。

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