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「清和源氏」の歴史①

「鎌倉殿の13人」で脚光を浴びている「清和源氏」にまつわる逸話を、書いていきます。

清和天皇の孫に当たる経基王が臣籍降下して、源姓を賜ったのが、最も有名となった系統である。

源氏も平氏も、もとは天皇の御子の皇親であった。子供、孫の世代に皇籍を離脱して、臣下になる際、姓を下賜されたのだ。増え続ける皇親の養育に係る負担の軽減が、その背景にあった。

源氏は、どの天皇の子孫かで二十一流に分類される。

最初は嵯峨天皇の皇子・皇女達で一様に「源」(みなもと)姓を賜った。これを「賜姓」という。

南北朝時代の後醍醐天皇の皇子の臣籍降下の後、暫く行われず、1664年6月、正親町天皇の皇親が最後の「源」姓となり、令和の世に至るまで新たな源氏の「賜姓」はない。

「経基流清和源氏」の初代である源経基は、平将門の乱に先立ち、その謀叛を朝廷に急報したことで、功を立て、財を蓄えた。経基の長男満仲、その三男頼信の代に武勇を称えられ、一族は繁栄していく。

清和源氏の主流は、藤原摂関家と近しい武家(警護などを担う武力集団)として発展した。

その流れは、前九年・後三年の役でピークを迎える。八幡太郎義家の活躍の頃だ。

(つづく)

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