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音楽家と歴史・社会 -25: チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲

主にクラシック音楽に係る歴史、社会等について、書いています。今回は、音楽家と歴史・社会-8の続編として、ピョートル・チャイコフスキー(1840年-1893年)の私生活について、ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品35を軸に描きます。

2023年大晦日、紅白歌合戦を楽しみながら、本稿を書いている。
146年前(1877年)、数ヶ月の不幸な結婚生活、自殺未遂を起こしたチャイコフスキーを支えていたのは、裕福な未亡人フォン・メックであった。その縁を取り持ったとも言われるのが、モスクワ音楽院の生徒だったヴァイオリ二ストのイオシフ・コテックである。

1878年、チャイコフスキーは、フォン・メックの所領のクララン(レマン湖畔)で、コテックの協力を得つつ、ヴァイオリン協奏曲を完成させた。しかし、1981年12月のウィーンまで初演されず、かつ、批評家ハンスリックに「臭気を発する音楽」とまで酷評されてしまう。
コテックは、同性愛者であったチャイコフスキーの生徒かつ愛人だった。しかし、演奏家として批判されることを恐れて、初演を避けたらしい。これにより、チャイコフスキーとの関係も冷え、1885年に亡くなった。

私が、初めて本協奏曲を聴いたのは、中学生1年生の頃。海野義雄のソロだった。それ以外にも、女性演奏家、特にYoutubeでも聴ける庄司紗矢香の魅惑的演奏が好きだ。
しかし、2019年、サントリーホールで聴いた、美青年のユーチン・ツェン(台北出身)の気品ある鮮やかな技巧の演奏が忘れられない。チャイコフスキーとコーテクが仲睦まじく、絶望的私事を芸術に昇華させたことを想起させた。
なお、私自身はストレートなので、誤解なきよう。
来年もよろしくご愛読くださいませ🎵

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