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NFTArtを冷静に考えてみました。

NFTArtを冷静に考えてみました。
といっても僕がはじめたのは2022年9月15日、まだ1ヶ月も経っていません。

当たり前ですが、わからないことがいっぱいです。
むしろどんどん増えていきます。
さらに先週と今週で状況が激変したりします。

そうは言っても、その場その場で判断しなければ先へ進まないのも事実なので手持ちの知見で「どうなんだろ?」と思いながら決断してしまいます。

その時、できるだけ冷静に検討できるように「お金のことは考えない」ことにしています。

何言ってんだ?と思うかも知れませんが、用いられる技術が仮想通貨と不可分である以上、少々の論理破綻に目を瞑って意図的に排除しないとどうにもならないからなのです。

それから「NFTArt」と便宜上書いていますが、
そもそもそれArtなの?ということも一旦留保します。
Artとか言わないで何か他の名前はなかったんだろかと思わない日はありませんが、代案も思いつかないので。

※「NFTArt」をやりたい訳ではなくて、やってみたいことを実現する手段に「NFT」という技術がとても有効だと考えたという動機がバイアスになっているかもしれません。

まったく新しいジャンルがでた!とか、
NFTは永遠に残る!とか、
そういうのはまったく信じていません。
というかそんなのに乗せられちゃダメです。

写真の場合でしたら、新しい紙が増えたとか
性質の違うインキがでたとか、そのくらいのものです。プリント出来なかった物質にもプリント出来るようになったから、今まで関心を持たなかった人達にも興味を持ってもらえるかな?という程度のものです。

ちょっと冷め過ぎな見方ですけど「制作」に関してはこれくらい冷静じゃないと「宣伝・販売」の狂躁に振り回されてしまいます。

NFTArtは(写真に関しては)巷で騒がれているような「新しい山が出来た」というようなものではありません。もともとあるアート山に登る「新しいルート」が見つかって、今までの登山道具では登れなかったけれど「進歩した道具」によって攻略の可能性が見えてきたぞ‼︎ というのが適当かと思います。

きっとまだこのルートからの登頂に誰も成功していなくて、1人では無理だからパーティを組んで一緒に登ろうとNFTコミュニティが立ち上がったのだけれど、一枚噛んでおけば一儲けできると群がった方々が、上述の「新しいジャンル」みたいなお題目とアートという耳障りの良いワードを駆使して妙な盛り上げかたをしてしまった挙句、「このルートで登ったら見たことのない景色が見られるかもね!」と思ってる人達の後を、埋立地の権利を早い者勝ちとばかりに取りにいって旗を立てるような奇妙な光景が散見されるようになってしまっているように感じています。

違うんです。

Artという形容をしてしまった以上「新しい山」じゃないんです。
何百年も(もっと?)そこにあった山なんです。
きっと頂上付近にはダミアン・ハーストあたりがニヤニヤしながら待ってるんです。

新しいルートからしか見えない景色を楽しみながら、それでもやっぱりてっぺんに近づいていけば、そこにはNFTもフィジカルも関係ない作品の評価という難所があるはずです。

なんだか全否定してるみたいに思われそうですが、新しいルートを手探りで登るのはドキドキしますし、トップクラスの登山パーティ(NFTコミュニティ)の存在はほんとうに頼もしくて素敵な人でいっぱいです。

率直に言ってNFT、面白すぎて夢中なんです。
だからこそ冷静さ、フラットな視点を維持して楽しもうと思っております。

※NFTArtの中で写真に特化して感じたことを書きました。ジェネラティブ、フルオンチェーン、プロダクト系など本稿にはまったく該当しないNFTも数多あります。

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