日曜日の朝にする写真の話(1)
2024.12.10
𝕏のスペースから。
50作品をいっきに制作する荒業をとおして、grotesqueやdécadenceといった14歳から17歳の四年間に影響を受けたものから逸脱できないことを知った。
どう取りつくろうと、いかに経験を経ても僕の半身は楔を打ち込まれたようにそこにいるのです。
写真の本質を機能の剥奪にあると仮定してみた。
絵画やCGで「本物そっくり」と形容されることはあるが、写真に本物そっくりという言葉はあまり使われない。本物の写し姿。あらゆるものが、写真に写った瞬間に機能を剥奪される。水を汲めないコップ、飯も食わなければ糞もしない人間。
ある時代に散見される「写真に写ると魂を抜かれる」といった言説は、機能を失いなお本物であるのか?という不安からくるのではないだろうか。
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