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行きたくても当分は行けない香港から荷物届く。amazonなどと違ってボールペン一本でもバカでかい段ボールを使うなんて無駄なことはしない。香港からのパッケージはいつも個性的だ。段ボール箱は徹底してリサイクル。結構ちゃんとしたところからでもそれは変わらないから、きっと「すぐゴミになる段ボール箱なんかに金を使ってどうする?」という発想なんだろう。使い古しの段ボール箱を中身に合うようにカッターで切ってリメイクしているんだけど、それぞれ変なところに作者?のこだわりというか個性が感じられてその箱自体がひとつの彫刻作品の様にも感じる。集めてどこかで展示したら面白いかもしれない。

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何十年ぶりかでウェブデザインをいじっている。といっても今は無料で使えるテンプレートがゴマンとあるから気に入った用途にあったものをベースに作っていけば素人にも簡単にできちゃうのだ。一昔前はウェブデザイナーなんてカテゴリーがあって(今でもあるか?)それを養成する学校なんかもあったぐらいだから、あっという間に世の中便利になった。今は素人が自分でウェブサイトを作り、映像を撮り編集し、プロ顔負けの活躍をする時代。しかもプロが素人の後追いをしてるんだからシャレにならない。要するにすべてが素人っぽくなってしまっていてそれがイイという時代。まぁ、面倒くさいことには変わりはないけど。

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マルタン・マルジェラのドキュメンタリー映画『We Margiera』を観る。印象的だったのは絶頂期を振り返ってあの時のブランドはカルトだったという中心メンバーの発言。商品制作が間に合わず白紙のまま載せたカタログの商品が完売したという嘘のような本当の話。全てのカリスマブランドはカルトであるとすれば特に驚く事でもない。消費者=ファン=信者は信仰するブランド=タレント=教祖への忠誠心を通して自分の信仰の純度を確認して満たされるのだから、特に商品の良し悪し、自分にとっての必要性の有無はもうどうでもいいのだ。

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国立近代美術館の『ピーター・ドイグ展』に出かけた。外は相変わらず電子レンジの中の様な暑さ。各方面から良い評判は聞いていたが評判通り当りだった。不勉強であまりドイグについては知識がなく印刷された作品を見る限り、スタイルという観点では多種多様なスタイルの断片が混在していて器用だけど今ひとつ押しが弱い印象だった。ところがどっこい現物の存在感は予想を遥かに上回り、「Painter's painter」と呼ばれるに相応しい王道をいく骨太の作家だった。やはり食わず嫌いの色眼鏡はイカんと反省しきり。

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新橋・銀座方面へ。美大時代の恩師の紹介を受けたアメリカ人に会う。ポートランドの今昔の話で一通り盛り上がり、彼女は作家なので日本のアートマーケットの閉塞性などをレクして盛り下がり、gggのTDC展を案内してちょっと盛り返して別れた。ポートランドのジェントリフィケーションは聞けば聞くほど末期的な状況で、渋谷の再開発を思い煩わずにはいられない。

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歳をとるとどうしたって過去への引力に引きづられて昔の自慢話をしがちなので気をつけないといけない。年寄りの自慢話など犬も食わない。若い連中はその過去を知らないので一方的に聞き手に回る他ない。結果、話す年寄りの側はこれほど優越感に浸れることはない。だからこそ自制しないとその優越感に溺れてしまう。麻薬と同じだ。物理的に残された時間よりもこれまでの時間の方が圧倒的に長いのでその過去に引き籠もってしまうのもわからなくもないが、その手の話の殆どは錆びた包丁と一緒で、昔どれだけ切れ味が良かったかなんて不毛な話をすればするほど聞き手の憐れみを買うと心得なくてはならない。

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相変わらず日中の日差しは強烈だけど、日陰に入れば風はだいぶ涼しく吹いてきたし、夜はだいぶ過ごしやすい。今年はマスク着用も相まって暑苦しく息苦しい夏だったが、多分これでピークは過ぎた感じ。長梅雨だったからちょうどひと月ぐらいか。過ぎてしまえばそれはそれでちょっと寂しい気もするが(しないか?)秋はもう少し落ち着いた天気を期待する。

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