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国民総背番号制について議論しよう (2004年4月)ネット時評

 行政機関が保有している個人データのコード統一化に関する研究会の構想が世間に漏れ、「国民総背番号制」問題としてマスコミに取り上げられて社会問題化したのは、1970年代前半のことである。あれから30年、情報技術は飛躍的に進歩し、国民の情報化に対する知識も意識も大きく変化している。
 もう一度、改めて国民統一コードのメリットとデメリットを議論してもよいのではないだろうか。

ウェブサイトにおける意見

 ある日突然思いついて、インターネット上の検索エンジンで「国民総背番号制」に関する意見を検索してみた。ほとんどすべてが反対意見だろうと予想したのだが、検索結果はそうではなかった。思ったより賛成意見が多い。数を数えたわけではないのだが、感覚的に2割くらいは賛成意見だった。

 賛成意見は大きく二つに分かれる。一つは、すでに多くの個人情報がコンピューターによって管理されており、いまさら反対してもどうにもならない。それならいっそ統一コードにして便利にしてほしいという消極的賛成派である。もう一方は、税負担の公平化や行政の効率化のために統一コードを積極的に利用すべきだという積極的賛成派である。

統一コードの何が悪いのか

 反対派の意見も読んでみたが、事実を正しくとらえ、論理的に反対論を展開しているものはほとんどない。大半の反対意見が感情的、情緒的であり、また事実を誤認しているものも多い。

 たとえば、統一コードが導入されると、政府は、特定の個人に関するデータを芋づる式に集めることが可能になると主張しているものがある。個人の所得から交通違反を含めた犯罪履歴、病院の診療情報、ビデオショップでどんなビデオを借りたかまで。

 30年前なら、こんな誤解も不思議ではないが、今でもこんなことを信じている人が多いのだろうか。様々な情報がデジタル化されコンピューターに蓄積されてはいるものの、その機密性に応じてアクセス管理がされている。情報技術の専門家でも、適切に管理されたコンピューターに不正アクセスすることは、まず不可能だと言ってよい。統一コードが監視国家につながるという論理は、視野が狭くかつ極めて短絡的である。重要なのは、コードの問題より情報管理である。

名前もコードである

 国民統一コードに賛成する人たちが指摘しているように、すでに、多くのデータには名前や生年月日が一緒に記録されている。名前もコンピューターの中ではコードであり、これを使って名寄せすることは可能である。もちろん、偽名を使っていたり、誕生日をごまかしている場合などは例外だが、ほとんどの人のデータは名前と誕生日、あるいは住所で名寄せできる。
 個人コードの統一によるプライバシー侵害を心配するなら、自分の氏名や生年月日すら秘密にしなければならなくなる。

もう一度正面から議論しよう

 「国民総背番号制」を議論するのが、タブーになってしまったのは30年も前のことである。それ以来、国民統一コードの何が悪くて、どのような手段によって国民のプライバシーが保護できるのかという真摯(しんし)な議論は行われていない。また、国民統一コードによって、どのようなメリットがあるのかについても十分な検討が行われてきたとは言えない。国民負担の公平化、行政事務の効率化、それを通じた国民負担の軽減、ワン・ストップ・サービスなどの住民サービスの向上などメリットは大きいはずだ。
 住基ネットや公的個人認証システムが整備され、利用が広がりつつある今、もう一度、国民統一コードの是非について議論すべきではないだろうか。

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