『汝、星のごとく』のー「強さ」と「優しさ」についてー
こんにちは。
最近、サークルの活動で本を買おうとなってこの本を買いました。
正直、本屋大賞でさんざん並べられたのでそんな面白いかー?と思いながら
手に取りました。
「なにこれ、めっっっっっちゃ面白い。」
今年一、この小説が自分にブッ刺さりました。ありがとうございます。
読んだ感想・考えを皆さんと共有したいので、まだ読んでない人ぜひ買って読んでください。
「強さ」と「優しさ」の対比
この小説のキーワードは、「強さ」と「優しさ」です。
この二つの要素で、登場人物を分けることができます。主人公の櫂と暁海は「優しいね」とよく言われる。
この言葉は一見褒め言葉に聞こえるけど、同時に弱いねと言っている気がする。
この二人は、優しいがゆえに苦しむことになる場面が多くあります。
櫂の仕事のパートナーである尚人が週刊誌に取られ炎上してしまい引きこもりになるが、そんな尚人を見捨てることができずに櫂はそのまま仕事を失うことになった。
暁海の母親が父親に逃げられた精神的に不安定で最終的に宗教にハマってしまい借金まで作ってしまう。
そんな母親を、暁海は見捨てることができなかった。
この二人を対称にして、「強いね」と言われる北原先生と瞳子。
北原先生は、自分の教え子と駆け落ちし子供まで産んだ。
瞳子は、明美の父の不倫相手であり母親を精神崩壊させたきっかけを作った張本人。
この二人は自分勝手でクズなように見えますが、暁海はそんな二人を強い憧れを抱き何度も助けられます。僕はこの二人には好感を持ちましたが、一方で暁海と櫂の母親には嫌悪感しかなかった。
他人に迷惑をかけているのに、一体何が違うのだろうか?
強さは、「覚悟を持つ」こと
ここでいう「強さ」とは、「覚悟を持つこと」です。
覚悟を辞書で調べてみると
北原先生と瞳子は、困難な状況になることを自覚してその上で間違いを犯しているのです。ここが、暁海の母親と櫂の母親とは決定的な違いだと思います。他人に迷惑をかけているという点では共通です。
しかし、櫂と暁海の母親らは現実の問題に対して宗教やお酒にハマりダラダラと現実から逃げているのに対して、北原先生や林瞳子はその問題から逃げることなく自分なりの答えを出して戦おうとしているのです。
この二人の姿勢に、暁海も私たちも感動しているのです。
物語の途中で、暁海はそんな二人を見てきて成長していきます。
母親が宗教にハマり、交通事故のせいで借金を作りました。自分を愛してくれなかった母親がこんなことをしたら、普通見捨てると思います。
しかし、そんな状況でも母親を見捨てずにこの状況を打開しようと「覚悟」をしたのです。暁海は「優しい」と「強さ」を超越した最強と化していきました。
「優しい」は、ただのモラル
この本の舞台は瀬戸内海の島で、変なことをしたらすぐに島中に広がってしまい暁海は他人の目を気にせざるを得ませんでした。
そんな状況は、私たちにも当てはまります。
SNSでも誰かがルールやモラルに違反したらすぐに広まるだけでなく、すぐ誹謗中傷などで罰せられます。
そのせいで、僕たちは「ルールやモラルを必ず守らなければならない」という強い囚われにより自分を傷つけてまで守ろうとしてします。
『バッタを倒しにアフリカへ』というエッセイで、著者が落ち込んでいる際に言われた言葉で
今まで学校や親に教えてもらった道徳とは、まるで正反対なことを言っている。こんなことSNSで誰かが言ったらすぐ炎上します。しかし、なんて自分に優しく慰めてくれる言葉なんだろう。
昔よりも今の方が、SNSでルールやモラルを守ることを強制されています。そのおかげで、より社会の治安は維持され他人が迷惑をかけられることが少ないです。
しかし、強制されるルールやモラルで生きづらくなってしまい、学校や社会で迷惑をかけないようにして鬱になってしまうことが多くなっています。
「人に優しくしなさい」「人には迷惑をかけてはいけない」
このモラルは正しいように見えて、これをどんな状況でも当てはまるとは限らないのです。
この本は、人に迷惑をかけないことや優しくすることが本当にどんな時でも正しいのか、問いかけてきます。
自分は「強く」なるのか、「優しく」なるのか、はたまた両方をとるのか。
正解はありません。自分で決めていくほかないのです。
ただ、必要なのは覚悟を持つことです。
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