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おばあちゃんありがとう

この記事を書いているのは2024年5月21日。
おばあちゃんが亡くなってからちょうど1ヶ月が経ちます。

訃報を知ったのは1ヶ月前の4月21日の午前9時ごろ。
私は趣味の草野球に出かけており、ふとスマートフォンを確認したら母からそのような知らせが入っていました。

生前、おばあちゃんは福祉施設に入所していたためここ3年ぐらいは一緒に暮らしていませんでした。

実は亡くなるちょうど1週間前の4月14日に福祉施設までお見舞いに行って、久しぶりに会話をしていたばかりなので突然といえば突然でした。
ただ、お見舞いで会ったときもかなり痩せていて自分の知っているおばあちゃんの面影は全くなかったので明らかに「そのとき」が近いのかなと感じてしまい、おばあちゃんに会った瞬間に涙が溢れ出て止まりませんでした。

直接会って「そのとき」が近いことは分かっていたのですが、まさか1週間後になるとは思っていなかったので驚きました。

今回は亡きおばあちゃんとの思い出も振り返りつつ、今後の自分の活動のことについても書いていければなと思います。最後までお読みいただければ幸いです。

おばあちゃんとの思い出

2年前に亡くなったおじいちゃんと1ヶ月前に亡くなったおばあちゃんは家業として「農業」を営んでいました。キャベツやとうもろこし、菊、さつまいもなど、自分が覚えているだけでもたくさんの品目を栽培していたので父親に詳しく聞けばもっと出てくるかもしれません。

そのため、私は幼い頃からおじいちゃんやおばあちゃんにはよく畑に連れて行ってもらっていました。

スイカを撫でては「透くんが撫でたから絶対美味しくなるね」と言ってもらったり、温室でブドウを食べさせてもらったり、作業場で焼き芋を食べさせてもらった覚えも鮮明にあります。

家業が農業だっただけにやはり畑に連れて行ってもらった思い出が一番です。

また、自分が小学校低学年で野球に興味を持ち始めたときに遊び相手になってくれたのもおばあちゃんでした。

自宅の庭で、ホームセンターで買ったフワフワのスポンジボールとプラスチックのバットで野球の試合ごっこみたいな遊びをたくさんしたのも覚えています。

自分が中学校、高校に上がっていき次第に部活や勉強の時間などもあって日々の忙しさが増していくにつれて、なかなか話す機会が減ってきてしまったり冷たい態度を取ってしまったりといったこともあったと思います。

そういったことはいま考えれば非常に後悔しています。亡くなった人はもう帰ってくることはありません。

「あのときああしておけば良かった、こうしておけば良かった。」ということが今後ないように近くにいる人(家族やパートナー、友達、先輩・後輩など)の存在は決して当たり前だと思わないように普段から接していきたいと強く感じました。

私の誕生日が葬儀の日に…

4月21日に亡くなったおばあちゃんの葬儀は4月23日に執り行われました。実は4月23日は私の誕生日でもあります。

「おばあちゃん、あんたのことが好きだったであんたの誕生日に合わせてくれたのかね」と、母親に言われました。

一緒に暮らしているときは毎年誕生日を祝ってくれていたのでなんとか4月23日までは生きていてほしかったのですが、母親の言うようにせめてもの葬儀が4月23日になったのは何かの縁かもしれないですね。

これまで重ねてきた誕生日とは違い、28歳の誕生日となった4月23日は周りからのお祝いムードももちろんありませんでしたが、一生忘れることのない誕生日となりました。

おじいちゃん、おばあちゃんの想いを背負って

おばあちゃんが亡くなったことで、これで父方の祖父と祖母はどちらもこの世では会うことのできない存在となってしまいました。

先述したように、おじいちゃんとおばあちゃんとの思い出は「農業での思い出」が一番強いです。

思えば、私が大学4年生のとき就職活動の軸にしていた「農業に携わることのできるお仕事」の原点もおじいちゃんとおばあちゃんとの思い出がきっかけかもしれません。現在も、新卒で入社した農業商社こそ退社しましたが、また新たな道で農業を支援するようなお仕事を続けさせてもらっています。

その傍ら自分でも約1反ほどの畑でお野菜を育てているので、お野菜を作るのに長けていたおじいちゃんやおばあちゃんにもっとお野菜の作り方を教わりたかったし一緒にお野菜を作ってみたかったです。

90歳を超えていたので「YouTube」というプラットフォームの存在を知っていたかは分かりませんが、孫がこうしてお野菜の作り方などを中心に農業の魅力を発信する活動をしているということも伝えていれば良かったなと思いました。

最後のまとめがあまり上手くまとまっていませんが、これまで農業を営んできたおじいちゃんやおばあちゃんの想いも背負って、私は私なりに専業農家という立場ではないとしても農業を支援する側として、まずはこの地域の農業、農家さんを支援できるような活動を今後もしていきたいと強く感じました。

おじいちゃんとおばあちゃんが私の活動を必ず見てくれているので下手な活動はできません。

おばあちゃん、ありがとう。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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