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雑巾で顔拭いた先生と出会った話

中学2年の頃、学年主任の本当に恐い先生がいた。

おにぎり頭。一部円形脱毛症で丸い斑点ができてる頭だった。
元ヤ●ザじゃないかと思うほどいかつい顔してガタイのいい鬼だ。
目を合わせて絡まれたら多分死ぬんだ、とさえ思っていた。

なんせ田舎の学校だから、そんな先生が一人でもいれば大抵の学生は黙るもんだ。中坊にはちょうどいい恐怖だと思う。
国語の教科書の丸読み(立ち上がり句点まで読んで後ろの席の人に続く音読)のときにも集中力を切らしてはいけなかった。

しかし、掃除で職員室当番になった。全部あの忌々しい担任お手製のルーレットのせいだ。あの地獄のような掃除当番ルーレット制度は廃止したほうがいいと10年以上たった今でも思う。

最悪なことに職員室前は、学年主任のあの鬼が担当だった。
掃除をしているとたまにやってきては黙って腕を組んで、せっせと掃除をする丁稚を見張っている。
'目を合わせたら終わり。目を合わせたら終わり。'そればかり考えていた。

2週間に1回入れ替わる掃除場所のルール。それさえ乗り切ればルーレット次第でもうおさらばだと思っていた。幸いにも2週間のうち2回くらいしか鬼は出なかった。案外平穏に終わったことにほっとした。

しかし、運命(ルーレット)は大いなる敵そのものだった。
またしても同じ職員室前廊下に決まった。
'畜生、せっかく乗り切ったのに。'と運命を恨んだ。
もしも勇気があり処分を覚悟していたならば、こっそり掲示板からルーレットを体育館のステージ下のパイプ椅子に挟んで暗闇の奥底へ葬っただろう。

またしても給食を食べた午後、掃除の時間になった。
ここまで書いて、信用ないかもしれないが、掃除自体が嫌いな子どもではなかった。むしろ好きだった。とことん共同スペースを綺麗にし、それで満足する、そんな一生徒だった。
職員室前をほうきで履き、ちりとりでホコリを取った後、印刷室の中のロッカーに干してある雑巾とバケツで廊下を何度も水拭きしていた。

その日もいつもどおり終わるはずだった。しかし、鬼がやってきた。
渡り廊下前の水道に。

「おい、雑巾をちゃんと洗わんか」

鬼はそういった。
'何を言っているんだ'とポカンとしていると、鬼が

「貸してみろ」

そう言って手に持っていた汚れた雑巾取り上げ、水道でゴシゴシ洗い、絞りを繰り返し始めた。

1分だろうか、3分だろうか。その光景をただただ見ていたら、まさかの行動に出た。

先生が雑巾で顔を拭き始めたのだ。

'は?'
心の中が位置文字とクエスチョンマークで埋め尽くされた。

だって、廊下を拭きまくって汚い雑巾で顔を拭いているのだ。
顔を隅から隅まで。
'今、平成だよな。こんなことやるか?'と挙動不審さは隠せなかった。
すると、鬼が言った。

「雑巾だって、使った後しっかり綺麗に洗えば長持ちする。汚くなったからさっさと交換じゃない。洗う時間があるんだから、そこまでするんだ。」

'ものを大切にするってことを伝えたかったんだろう。何となく分かる。がしかし、オーバーすぎでは?'そう思っていたら、

「さすがに顔拭くまでしろとは言わん。ただ、何かを終わらせるときには、しっかりと綺麗にするんだ。来週ここの掃除当番が終わったら、その後はこの雑巾で他のやつが掃除するんだ。」

そう先生は言った。

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あれから10年経って、現時点サラリーマンとして生きている。
仕事を一つ一つ自分の番を終える度に、小さな引き継ぎやメモすらも業務内の資料に残すような心がけをしている。

いつか、仕事をほんとうの意味で終えるときには、自分の後継にしっかり引き継いで、綺麗にしなければなーと今のうちから考えている。

あの日まで鬼だった存在が、’先生’になり今でも印象的な情景として残っているのは、そのためにあるんだろう。

今でもお元気だといいな、と先生に対して想いながら───────

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