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第44講Mrs. GREEN APPLE『ケセラセラ』考察〜ケセラセラの意味とツァラトゥストラの意図を深ぼる〜

昨年のレコード大賞を獲得したMrs. GREEN APPLEの『ケセラセラ』。
今までも何気なく聞いていていい曲だなあくらいに思っていたのですが、改めて歌詞を読んだ時に、「ツァラトゥストラ」という言葉が含まれており、それを見て一気に歌詞の意味がつながったので、今回はその部分を中心に歌詞考察をしていきたいと思います。

『ツァラトゥストラかく語りき』に表れるニーチェの思想との共通点

「ツァラトゥストラ」という言葉をみて真っ先に浮かんだのが、ニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』という本でした。
この本は山にこもっていたツァラトゥストラという架空の世捨て人が、自分の見出した世界の真理のようなものを人々に説いてまわるというスタイルで、ニーチェがたどり着いた哲学や人生の目的をまとめたものです。
『ツァラトゥストラかく語りき』の中でニーチェは自分なりにたどり着いた世界の仕組みについて語っています。
その中に登場する一つとして「神は死んだ」という言葉などは有名なのではないでしょうか。

この作品で重要な考え方の中に、「人生にはゴールも目的もなく、ただ無意味な日々が繰り返すだけである」とみなす永劫回帰という考え方が登場します。
こうかくと非常にネガティブな表現に聞こえるかもしれませんが、ニーチェ自身はその意味を「人生の究極の肯定の形」と述べており、寧ろ前向きな意味でこの主張をしています。
そして自らの意志でそうした人生の中を歩けるのが理想だとし、そうした生き方ができる「超人」を目指すべきだと解きます。
反対に生活の安定だとか、欲望や目標達成といったものにとらわれる一般の人々のことを「群畜」と名付け、否定的に書いています。
ツァラトゥストラを通してニーチェは、「ありのまま」を肯定する生き方こそあるべき姿だとしているわけです。

ケセラセラとツァラトゥストラの共通点

ここで『ケセラセラ』に戻ってみたいと思うのですが、この「ケセラセラ」という言葉時代が、一九五七年に発表された「知りすぎていた男」というアメリカ映画のワンシーンに登場したセリフなのだそう。
もとはque será, seráというスペイン語で、「なるようになるさ」という意味の言葉であるようです。

さて、「なるようになるさ」という意味である「ケセラセラ」という言葉は、ニーチェが語った永劫回帰を引き受けた超人の姿に重なります。
これを踏まえた上で〈ベイベー大人になんかなるもんじゃないぞツァラトゥストラ〉という歌詞は、「ツァラトゥストラだってこう語っているんだから」というようにとらえられるように思うのです。
歌詞全体を通してみると、勝ち負けや向上心、目的を持てない人のうしろめたさにそっとよりそい肯定するような構成になっています。
一般に社会にでて、目的や向上心、勝負にさらされるのは大人でしょう。
ちょうどそれがニーチェの言うところの「群畜」にあたり、だとすると「大人になんかなるもんじゃない」は「群畜になるな」という意味を作詞者の大森元貴さん流に述べたものかもしれません。
あるいは、「大人になんかなるもんじゃない」と自身の主張を述べた後、「だってツァラトゥストラだってそういっているんだから」という意味かもしれません。
いずれにせよ、『ツァラトゥストラかく語りき』に出てくるニーチェの思想を引用しているというのが僕の解釈です。

「現状の肯定」というメッセージ

僕はこの「なるようになるさ」というメッセージが現代の人々の心をグッと捉え、その結果としてのレコード大賞を受賞したというのが非常に象徴的であるように感じました。

あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。すなわち、「これでいいのだ」と。

これはタモリさんが赤塚不二夫さんのお別れの会の時に読んだ弔辞の一部ですが、天才バカボンの名言「これでいいのだ」はタモリさんも述べているように、まさにケセラセラやツァラトゥストラに通ずるメッセージでしょう。

同様のメッセージはとしては2009年に上映されたインド映画の『きっと、うまくいく』(原題『Aal Izz Well(All is well)』(直訳は万事うまくいっている))、2013年の『アナと雪の女王』に出てきた「ありのままで」あたりがあるでしょう。
日本人には昔からこのメッセージがなじみ深く、それが再々再度くらいのこのタイミングで僕たちの心をグッと捉えたのかなと思うのです。

歌詞の内容を掘り下げる

ほぼほぼ解説したい部分はまとめてしまったので最後はこうした内容を踏まえて歌詞の内容を見ていきたいと思います。
〈ケセラセラ 今日も唱える 限界?上等。やってやろうか。〉〈痛み止めを飲んでも消えない胸のズキズキが〉という形で一番には無理して頑張ろうとする姿が描かれます。
それに対して〈でもね、今日はちょっとだけご褒美をわかっているけれど私を愛せるのは私だけ〉〈貴方の幸せを分けてほしい悲劇の図鑑〉と二番では少し弱い部分が描かれます。
そしてどうすればいいか迷いながら出した結論が〈大人になんかなるもんじゃないけどなるようになるのさ〉というもの。
あれこれ悩んで傷ついて生きる物語の主人公を、最初から全編通じて鼓舞する魔法のセリフが「なるようになるさ」という意味のケセラセラ。

単なる楽観でもなく、かといって努力できない・夢がない人間を突き放すでもなく、Mrs. GREEN APPLEらしくいずれの生き方もそっと肯定するのが、この『ケセラセラ』という曲なのかなと思います。

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