2023年桜蔭中学校の国語の入試問題から出題者の視点を掘り下げる
言わずと知れた東京の難関女子中学校の桜蔭中学校。
桜蔭、女子学院、雙葉という女子御三家の中でも、特に国語の問題は難しい印象です。
ただ、難しいとはいえいわゆる「悪問」という印象はなく(具体的に担当生徒が志望していて、合格点に乗せるための方法を考える時には便宜上そう判断するものもありますが...)、むしろ高度に出題者の意図が感じられる問題というのが僕の印象です。
とくに去年の問題なんかはそれが顕著だというのが僕の考え。
今回は昨年度の入試問題について、僕が過去問分析をしている中で考えたあれこれをまとめていきたいと思います。
放送の文字起こしという変則出題の第一問から見る出題意図
2023年の第一問は高橋源一郎さんのラジオの文字起こしという出題でした。
しかも一本をそのまま使うのではなく、3回分の放送を繋げた形。
ジャンル上は随筆とでもいうのでしょうか、出題者が明確な意図を持ってその3回分を選んでいる分、最後の問いで聞かれていた共通するテーマ性は掴みやすかったように思います。
さて、僕がまず興味深いと思ったのは、「なぜ出題者はこうした変則的な出題をしたのか?」というところ。
それに対する僕の仮説は以下の感じです。
高橋源一郎さんは大学入試でもしばしば登場する作家であり、彼の主張を読み込めるような生徒が欲しい。
とはいえそのまま出題すれば主張それ自体ではなく、語彙の部分で測定ができない。
そこでラジオの文字起こしという形で筆者の主張の複雑さはある程度担保しつつ、語彙の難易度の課題を調整したのでは無いかというもの。
もちろんそこには複数テクストの読み込みという形が出題されるようになった大学入試共通テストへの向き合い方(というか学校としての見解?)という意味合いもあるでしょう。
こういう観点を踏まえてあの第一問となったのかなあと個人的には考えました。
個人的にすごいなと思ったのが漢字の次にくるこの設問です。
まずは問題の意図を掘り下げる前に一度解いてみようと思います。
2023年度桜蔭中学校第一問 問二解説
さて、出題はこのような形だったのですが、これは各種解答を見ていると意見が割れているように感じました。
解答例の中にはざっくり直前の内容をまとめたものも少なくなかったのですが、僕はこの問題に関して、わざわざ設問の中で「何にとまどい」「何に怯えている」という部分に触れているわけなので、「とまどい」と「怯え」のそれぞれの対象を書き分けた方がいいのでは無いか派です。
(とはいえ、実際の受験生に時間内に最低限の点数を取らせたいならこれを求めるのは至難ということで、あえて設問要求を掘り下げない模範解答を選ぶのも十二分に分かるのでこの辺は難しいところなのですが...)
傍線部「自信たっぷりではなく、とまどいながら、自分自身を疑いながら、怯えながら」という部分を見ると、まずは「自信たっぷり」に、「自分自身を疑うことなく」発せられるのがどういう言葉であるかを押さえるべきということがわかります。
それまでの文章内容と直前の「誰でも、自分は正しいと思って、ことばを発します。それでも、そのことばは、どこかで誰かを深く傷つける。どんな言葉でも。」という部分に着目すれば、その言葉が「自分は正しいと思って発した言葉」であると抑えることができるでしょう。
とすると今回の問題は、そんな「自分は正しい」と思っている言葉を発することに対して、どういうとまどいを持ち、どういう怯えを抱くかということになるわけです。
辞書的な意味では「とまどい」は「手段や方法がわからなくてどうしたらよいか迷うこと。」とあります。
「自分が正しいと思って発した言葉」に対して抱いたとまどいとは、その正義が本当に正しいのかどうか、そういう疑問を抱いたとしても検討手段はなく、答えのないまま発せざるを得ないことへの迷いの事であると考えられます。
また「怯え」に関してはその検証不能な正しさが、「どんな言葉でも」人を傷つけてしまう可能性があることに対するものであるということがわかります。
というわけで僕が以前作った解答は次のような感じになりました。
「自分の正しさに確証を持てないと知りつつ正しいと発信することに戸惑い、そうして発信した言葉で誰かを傷つけている可能性があることに怯えている。」
初めの記述問題で問われる「解像度」とそこに見えるコンセプト
この問題に関して、僕が面白いと思ったのは、これを初めの記述問題に持ってきたこと(他はそれほど難解とはいえない)と、本文の主張をそのまま設問に落とし込んでいるなという印象を受けたからです。
桜蔭中学校は国語から試験が開始されるわけですが、この問題は正面から解いていけば、受験生が最初に向き合う読解問題ということになります。
しかも、とりあえずの部分点狙いの解答(「自分が正しいと思って発した言葉が誰かを傷つける可能性をはらんでいる。」みたいなもの)なら、さっとかけてしまうわけです。
大勝負を仕掛けている受験生のメンタリティを考えれば、初めの問題は緊張して前のめりになつまていると考えられます。
そこにきて、設問要求を踏まえる問題を冒頭に用意してあるのがすごいなあと。
さらに、そもそもこの文章自体が、「目的を得るための最短経路の手段を求めがちな現代社会への問題提起」という様相を呈しています。
「立ち止まって、謙虚に丁寧に自分自身を見つめ返して、しっかり深く検討しよう」
そんなメッセージの文章で始まるこの文章。
そんな文章を扱った問題のど頭でまさにその姿勢を問うような記述問題になっているのが流石だと思うのです。
第一問で得た気づきがキーワードにかる第二問
そんなわけでよくできているという印象を抱いた第一問なのですが、僕はそれに続く第二問とのコンセプトの共有性もすごいなと感じました。
第二問は物語文で、一言で言えば良い人と悪い人を見抜けないことに非力さと怖さを感じる主人公に、姉が自身の経験を踏まえて「良い人と悪い人がいるのではなくて、全ての人に良い面と悪い面がある」ということを教える物語です。
この問題は問題単体としてキチンと解いていけば合格点に乗せられるものだとは思うのですが、最後の問題に関しては、(いわゆる入試国語と言われるような)設問要求に応えて終わりではなく、もう一つ踏み込んだ部分を問うているように感じました。
それが第一問の問二で出てきた「自分の正義の正当性に対するとまどいと自分の正義が人を傷つける可能性に対する怯え」という部分です。
実は純粋無垢で、本当の「良い人」を探しているように書かれている主人公の羽美が偶然知ってしまった「おばあさんの悪事」は、彼女がこっそり後をつけて暴き出した出来事になっています。
しかもそれを認めさせるために羽美はおばあさんの家に行き、罪を認めさせ反省の弁まで述べさせている。
羽美の「本当に悪い人はいないのかな」はその出来事を踏まえたもの。
作中で羽美が暴いた行為以外は本当に優しい老人として描かれるお婆さんを知る読者の視点に立てば、実は羽美のやったことは第一問で出てきた自分の正義が無意識に人を傷つけている行為に他なりません。
そして何より本人はそれに気づいていない。
そんな中で羽美の姉は無意識の正義が人を傷つけることを知ったばかり。
もちろんその正当性を持って言葉で妹の羽美を糾弾したら、今度はそれが妹に対しての「正しいと思って発した言葉が相手を傷つける」ことになってしまいます。
だから姉は羽美を傷つけることなく、でもさりげなく気づいてもらいたい、そんな思いで作中の自分の失敗を話したのだと読み取ることができます。
そして、そう考えて最終問題に向き合うと、解答の角度は少し変わってくるように思うのです。
もちろん、実際に受ける生徒さんを前にした時に、そこまで伝えるかどうかは別の話ですが...
最難関の問題から学べるもの
僕は2023年度の桜蔭中学校の国語の問題に関しては、「己の正義に客観的な視点を持てるか?」というコンセプトを汲んで向き合うと、全ての問題に「聞かねばならなかった理由」を見出せるように感じています。
そして昨年に限らずそうした出題者の確固たる意思がひしひし伝わるのがこの学校の国語の問題というイメージ。
もちろんそれを受験生に合格する可能性を上げるためのノウハウとして伝えようとするのであれば、どうしても上記のようなことは言っていられないというのも事実です。
ただ、教える側として出題者と対峙したとき、最も厳しい目線で、かつ最もピュアに僕たちと向き合ってくれているなと思うのもここの学校というのが僕の感覚。
その全てを解説するかは別として、桜蔭中学校を受ける生徒さんを持つときは、解説年度の各問題に対する僕の仮説を共有するというのはちょっとだけ重視しています。
今回はそういった部分が直前の声掛けに少しでも役立つならばと思い書いてみました。
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