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外国の人との会話は、なぜ楽しいのか?

学校での英語の勉強は、覚えることが多くて苦痛。外国人を前にすると緊張する~、という人。

でも旅行先で、ガイドブック片手に現地の言葉でカタコトでも通じるとうれしかったことはないですか?

外国の人とは、人間であること以外、あまり共通点がありません。分かりあえなくて当然というのが大前提だから、意思が通じると、とてもうれしい。

逆に家族や友人など、言わなくても分かってもらえてると思う相手と思いが通じないと、寂しいです。特に日本は、空気を読み過ぎるほど読む文化。気敏感な人ほど、些細なことに違和感を感じることが多いでしょう。

このような文化を高コンテクスト文化とする分類があることを、日本語教育能力検定の勉強をしていたときに知りました。反対の低コンテクスト文化の国々というのもあって、発言を額面通り受け取ればよい国々があります。(これは慣れると楽ですね。)

でもアメリカのように、いろいろな国から人が集まるような国では、シンプルにお互いが分かる表現を使っていかないと、相互理解が成り立たないから、当然のことかもしれません。

通じないのが当たり前という前提に立つと、何とか理解してもらおうと、根本的なコミュニケーションの大元に立ち返る必要があります。

私は外国の人と話すとき、日本人と話すときに張り巡らしている感覚ツールがオフになって、違う感覚を使っている気がします。それが私が外国の人と話すときに感じる面白さです。

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