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チャーシュー

チャーシューを作るのが好きで1年前からよく作っている。

この前久々に「飲みに行こうよ」と友達から声をかけられ、近所の中華料理屋と沖縄居酒屋を巡った。
僕の家でも集まって、最近気まぐれで購入した沖縄のクラフトジンを炭酸で割って飲んだ。
そして気まぐれで作ったチャーシューもあったので一緒におつまみとして出した。
とても美味しかったらしく友達がこう言った。
「美味い、美味いわ。お前もうこれ一本でいけるよ」
その時は嬉しかった。だが解散した後
「世間でチャーシュー一本で食ってる人を見たことないな」
と気づき
「今ひょっとしてイジられてた?」
と思った。

20数年生きていてチャーシュー専門店を見たことがない。あるのか調べたことさえない。あったらそれは本当に申し訳ない。
「ラーメンのチャーシューあげるよ」
と先輩から何回もチャーシューをもらったことは何回もある。
チャーシューはてっきりメインを張れる人気者かと思っていたが意外と影が薄いし、嫌われているのかもしれない。
「ラーメンが食べたいな」
そう呟く人は何人もいるが
「チャーシューが食べたいな」
はあまり見たことがない。
でもどのラーメン屋にもチャーシュー麺はだいたいあるし、少し贅沢をしたいときは
「今日はチャーシュー麺にするか」
なんて思いながら券売機をプッシュする。

つい数日前、またチャーシューを作った。
いつも通り味が染みやすいようにフォークで肉を何度か刺し、その後焼き目をつける。
醤油、味醂、料理酒、水、生姜、ニンニク、八角を入れ煮たたせたタレに肉を入れる。
タレと肉を保温調理器に入れて1時間と少し待つ。
その間、色んなことを考えたりして暇を潰す。
いつもこんないい加減に生きている自分にも、肉にじっくりと火を通す丁寧さが潜んでいると思うとびっくりする。
僕はチャーシューになりたい。そんなよく分からないことを考えたこともある。今は考えない。

「あなたにとってチャーシューとは?」
今聞かれてもパッと答えられる気がしない。
何度も作って、それなりに試行錯誤もして今にたどり着いているため私はそれなりにチャーシューと向き合っているはずだ。それなのにだ。

丁寧に時間をかけて向き合っているのに、自分の中で一番じゃないし自分以外でも一番じゃない。
丁寧だけどいい加減なもの。自分にとっての一番があるに越したことはないがそれにはだいぶん覚悟がいる。
僕はまだまだこれからもいい加減さにすがっていたい。それが楽だし楽しいから。でもいつかは一番を決めていかないといけないのかな。
それが少しだけ、辛い。

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