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カルチャー面している雑魚

あるとき、家から歩いてカレーを食べに行った。

途中に高架下を通ったときにホームレスがいた。別に珍しいことでもない。僕のいつものランニングコース、いつもの通勤ルート、お気に入りの銭湯に行く途中、駅前、風景と思うぐらい見慣れたつもりだ。
そんな風景になんとなく違和感があった。薄汚い毛布に包まって寝ていたホームレスの脚が端から顔を出しており、その靴がNew Balanceの高そうなスニーカーだった。

ちょうどNew Balanceのスニーカーが欲しいなと思っておりその靴はちょうどその候補の一つだった。普通に買った場合そんなに安くはないだろうし、そこらに落ちているとは思えない。通りすがった露店では似たようなモデルが1万越えで売られていた。

そのホームレスはどうやってそれを手に入れたのか。現ナマを握りしめABCマートへ行ったのか、それとも恵んで貰ったのか、落ちていたものを拾ったのか、それとも偽物を安く買ったのか、こっそり盗んだのか、色んなパターンを羅列したがどれもあまりピンと来なかった。ホームレスが現ナマを持っているのも、東京でそんな靴が落ちている様子さえもあまりイメージできなかった。

僕は彼についても何も知らない。ただ、何者かも分からない高架下にいる薄汚い男が履いていた靴が何故か凄くカッコいいなと思った。

僕はホームレスという存在を基本的にその服装や場所で判断する。駅のホーム、路地裏の角、こんなとこに住むはずもないような場所にいるし、なんとなく蛍光色以外のジャケットを好んで着ている印象がある。もしファッションの教科書にホームレスの項があるなら、こういうことが書いてありそうだなとも思う。だがあくまで〜っぽいなという範囲の話で、彼がホームレスである保証はどこにもない。ただの偏見にすぎない。

僕がまだ中学生の頃、コンビニで目についたファッション雑誌にデカデカと「外し」というワードが貼り付けられていたのを覚えている。外しというのは、意図的に違うアイテムを取り入れることによってコーディネートに幅を持たせることらしい。
ホームレスというコーディネートに対して靴で外してきた、あるいは僕のホームレスへの偏見に対して彼という存在そのものが外してきたのか、どちらでカッコよく見えていたのだろうか。
あるいは、異国で日本語話者に出会ったら嬉しいように、ホームレスという異世界の住人が自分の知っていて好きなニューバランスを履いていてつい嬉しくなり、訳も分からず「カッコいい」と錯覚しているだけかもしれない。

僕はウェス・クレイブンの映画から這い出てきたようなバレンシアガのあのスニーカーのよさは1ミリも分からないし何より買えもしない。正直欲しいと言っているニューバランスもNがデケえし高えなと思うときがある。あとウェス・クレイブンの映画も一切見たことがない。
何も持ってないし、何も知らない。カルチャー面している雑魚である。

本物のカルチャーが同じホームレスを見たらなんというのだろうか。
僕ことカルチャー面している雑魚は、本物のカルチャーたちが
「ホームレスが今カッコいい」
といっていたらきっと
「こういうのもアリなのか」
なんて思ってしまうだろうし良さもよくわからず変なボロい古着をたくさん買ってしまうだろう。そんなボロい古着を着てカルチャー面しながら街を歩くだろう。靴は歩きやすいニューバランスのスニーカーを履いて。

もしかしたらこのようにあのとき僕が見たホームレスが誕生していたのかもしれない。
「カルチャー面した雑魚、お前だったのか、あのときのホームレスは」
なんて。







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