「櫻坂46 4th ARENA TOUR 2024 新・櫻前線 -Go on back?- IN 東京ドーム」感想。
逆向きに時を刻んでいく時計と、浮かび上がる「Go on back?」の文字。東京ドームの中央にひとり登場する山﨑天が右腕を高く掲げる。手の先は櫻ポーズから、グループの始原、そして彼女自身の始まりを想起させるポーズへと変化する。コインを天高く放り投げ、一曲目『何歳の頃に戻りたいのか?』から、ライブ本編の幕が上がる。
2024年6月15,16日に開催された「櫻坂46 4th ARENA TOUR 2024 新・櫻前線 -Go on back?- IN 東京ドーム」は、同年3月に全国4か所で開催されたライブツアー「櫻坂46 4th ARENA TOUR 2024 新・櫻前線 -Go on back?-」の追加公演という位置づけのライブであり、披露された楽曲の多くは同様のものだった。しかし一方で、追加された楽曲、削除された楽曲、セットリストの順番や演出の随所からは、新たにさまざまな意味を見いだすことができ、そういう意味では、全く別物の公演として極めて緻密に作り込まれていたように感じることができた。
本編を『泣かせて Hold me tight!』→『何歳の頃に戻りたいのか?』で締める地方公演に対して、『何歳の頃に戻りたいのか?』→『泣かせて Hold me tight!』で幕を上げる東京ドーム公演。時間の逆行。
直後、聞き覚えと見覚えのある「白」の演出が会場を包み込み、『恋が絶滅する日』→『摩擦係数』へと続いていく。言うまでもなく「2nd TOUR 2022“As you know?”」を、一年半前、菅井友香卒業の場として改名後に初めて東京ドームに立った“あの”公演を思い出してしまう。
海風と汽笛の音に包まれた空気の中で披露される、櫻坂46としての始まりの楽曲『Nobody's fault』。ブラウン管テレビに映るコミカルで奇抜なキャラクターたちと、カラフルなペイントでサイケな世界を魅せる『Cool』。信号機の上からこちらをアイロニカルに見下ろす森田ひかるが強烈なインパクトを刻む『Dead end』。
これらはどれもライブにおいては新鮮味のある演出だったが、私たちはその全てを、すでに見たことがある。
『Dead end』から『桜月』へ。『Start over!』という、やり直しの宣言から、新領域、9thシングル表題曲『自業自得』へ。
そして、地方公演、「夢を見るなら 先の未来がいい」と高らかに歌い上げ、投げたコインの表裏を確認することなく舞台から捌けていった山﨑天から、グループの「今」(=現在地)を、この移ろいゆく曖昧な世界の中に打ち込んできた数々の「作品」という「楔」をもとに明確にし、そのうえで、新たな一歩を踏み出そうとする東京ドーム公演への移行。
「1st TOUR 2021」。その本編を締める楽曲、『流れ弾』。あのとき、センターに立つ田村保乃が持つ拳銃から上空に放たれた弾丸は、時空を超えて「今」の櫻坂46を貫いていく。
無としての白が乱暴に、そして鮮やかに染められていく。
『流れ弾』のアートワークディレクションを担当したOSRINは、そのコンセプトを説明するにあたって「彼女たちが革命そのものである」という言葉を残している。革命といえば、かつてエドマンド・バークは、フランス革命を、歴史の中で蓄積されてきた経験に基づく既存の体制すべてを破壊して更地にし、そのもとに理想的な建物をゼロから新たに創造しようとする無謀な行為だとして猛烈に批判した。
では、櫻坂46という「革命」は、そのような類のものなのか?
違う。
森田ひかるは、改名したグループを再始動させる楽曲『Nobody's fault』を表現するにあたって、「修復」や「再生」のシンボルであるホルスの左目を選択したからだ。「破壊」の象徴であるラーの右目を選ばなかった。
そして、ホルスの左目が「月」の象徴であることと、今回の東京ドーム公演において紅い「月」を背景に披露された『流れ弾』は繋がっているように見える。「破壊」ではなく「修復」と「再生」。そういう「革命」。そういう公演。
自分は先日、グループの歴史全体を改めて捉え直し、その上に刻まれた『Start over!』『承認欲求』『何歳の頃に戻りたいのか?』という三部作をもとにして、極めて良い状況に見える櫻坂46の「今」とその「未来」から見え隠れする、若干の危うさについて考えた。
「今」のコンテンツ全体を取り巻くこの環境は、グループ、メンバー、ファンの内に蓄積された「過去」の経験や記憶のもとに生じた、極めて奇跡的なものなのであり、決してアタリマエのものではないということ。
各々が、特にファン各々が、意識的にこれを維持しよう、大切にしようとする姿勢を取り続けなければ、この状況はおそらう瞬く間に瓦解してしまうと思われるということ。
しかし、時間の経過はこの認識を徐々に、確実に、薄くしてしまうという必然。それだけではない。動き続ける「今」を強調し、過去と未来を(ある意味で)軽視する『何歳の頃に戻りたいのか?』的な姿勢を手放しに称揚することや、ファンコミュニティの内で共有され、そして前景化しつつある「数字」の力を用いて膨張と前進を重視することは、それを助長する要因にもなりうる、ということ。
これらを踏まえて自分は、櫻坂46に対して、順調満帆に見える「今」だからこそ「過去」をしっかりと捉え、「未来」を見据え、それを繋ぐ中間としての、この「今」を明確にし、これをコンテンツ全体で共有し、足場を固めて、そのうえで前進した方が良いのではないか、という着地をする。
そして、今回の東京ドーム公演は、まさにそれを実行する公演として、自分の目には映った。ライブという「制作」から、それを強く感じ取ることができた。
櫻坂46は「制作」の中に思想を込める。そしてそれを各々に咀嚼させようとする。この姿勢。もはや時代遅れとも言えてしまうようなこの「制作」に対する「真剣さ」を、自分は櫻坂46から読んでおり、それがとにかく好きなのだ。
先に言及した『Nobody's fault』『Cool』『Dead end』の演出。それらは全て、MVという「作品」の世界(=制作)を軸に、新たに構成されたものであった。また、セットリストの組み方や演出(=制作)によって、「今」の櫻坂46が「○期生」という枠組みや、BACKSメンバーというシステムをどのように捉えようとしているのか、といった意思表示が成されていたようにも感じられる。
ライブ終盤、『BAN』の二番冒頭、選抜メンバーの間に割って入ってくるBACKSメンバーたち。その先陣を切る武元唯衣の堂々たるさま。まさに「私たちが、櫻坂46を、強くする」を体現する存在ではなかったか。
そして、55000人×二日間のファンで埋め尽くされた、あの東京ドームの空気感も格別だった。ひとつの思いを共有しながらも、それでいて各々が自由だった。そんな「Buddies」に向けて投げかけられる言葉の数々。そのどれもが印象的に思い出される。「全体」を肯定し、その一方で「全体」を構成する「個」それぞれの「物語」を承認するという丁寧さは、上手としか言いようがない。
本当に素晴らしい時間だった。
とはいえ、全体を通して全く気になる点が無かったわけでは無く、特にそれが自分にとって肝心の部分にハテナを残すことになってしまっていた、ということは書き残しておかねばならないように思う。
つまり、グループの新たな一歩を提示するべきポジションにあるであろう9thシングル表題曲『自業自得』から、結局、自分は確固たる何かを掴むことができなかった。
自分は、先日公開された『自業自得』のMVの内容に肩透かしを食らってしまっていて(詳しい話は別の場所でしたい)それを上手くライブで昇華してくれることに期待していたのだが、残念ながらそのようにはならなかったらしい。もちろん、パフォーマンス自体は非常に見ごたえがあった。そのものについての満足度は極めて高い。
しかし『自業自得』がグループの新たな一歩だと感じることは、やはりできなかった。
そんなワケで、櫻坂46というグループの「今」を因縁の地「東京ドーム」に刻み込むという側面においては文句なしの100点満点、今後の展望についてはひとまず保留、そういう東京ドーム公演だった、というのが自分にとっての総評になる。そしてそれは、まだ9thシングルが発売前であることを踏まえれば順当すぎる着地点のように思う。
9thシングルというパッケージはまだ大部分が隠されているため、まずはそれらに期待したい。そして、参加が確定している各種音楽フェスや、BACKSライブ、アニバーサリーライブ、その間におそらく提示されるであろう10thシングルないしは2ndアルバムに期待したい。
2024年後半も櫻坂46から目が離せない。そう思わせてくれた今回のライブは本当に良いものだった。あらためて、夢のような二日間に感謝したい。
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