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遅れをとる日本の「インクルーシブ教育」。その本質を見つめ直す(要約)

課題を持つ子どもたちとインクルーシブ教育

 ほとんどの子どもは、自分で学校など周囲の環境は選べないが、与えられた環境で学ぶことが難しい子どもたちもいる。こうした課題を持つ子どもたちも、環境に起因する障害を取り除ければ、様々なことが改善できるはず。
 今回取り上げる「インクルーシブ教育」とは、子どもたちそれぞれの異なる個性や能力を活かしながら、ともに学べる環境の整備と支援を充実させようとする取り組みのことである。
 以下に示す2つの事例をもとに、インクルーシブ教育の本質を探る。

例1)東京都世田谷区桜丘中学校

 目指したのは、「すべての生徒が3年間楽しく過ごせる学校を作る」こと。学校の当たり前を見直し、校則や宿題などをなくしていった。
 また、子どもがやりたいと思ったことには、お金やモノ、場所を用意し、ときには時には地域の人や外部講師の手を借りて、子どもたちの「やりたい」をサポートしていった。
 その結果、大人たちの指示から開放された子どもたちは、自分の選択に自信を持つようになり、生き生きと輝き始めた。

 西郷さんは、2010年4月に桜丘中学校の校長として赴任すると、少しずつ校則を見直していった。制服をなくし、定期テストを廃止し、発達特性に応じたインクルーシブ教育を取り入れた。2020年3月に退職するまでの10年間で学校全体を大きく変えた結果、いじめや不登校もほとんどなくなった。
 彼が目指したのは、「すべての生徒が3年間楽しく過ごせる学校を作る」ことである。

「教員にできるのは、子どもたちが好きなことを見つけ、やりたいと思ったことを実現する手伝いである。子どもがやりたいと思った時に、お金やモノ、場所を大人が用意すればいい」(西郷)

 職員室の前の廊下にはテーブルと椅子がいくつも置かれ、そこで勉強する生徒がいる。3Dプリンターやタブレットなども自由に使うことができる。麻雀パイを家から持参した子がいれば、廊下を通りかかった生徒に声をかけ、学年や部活なども超え、教員も混じってやってみることもある。校長室は常に解放され、ギターの音や生徒の笑い声が絶えない。一般の学校では考えられない光景がそこにはあった。

「本来の意味とは違うかもしれないが、インクルーシブ教育とは学校が楽しくないという子がいたら、なんとかして助けてあげることだと思う」(西郷)

 放課後の活動でも、補習教室「英検サプリ」、ボーカルレッスン、料理教室、炎のギター教室、子ども食堂、夜の勉強教室など多様な企画が立ち上がった。地域の人や外部講師の手を借りながら、子どもたちの「やりたい」を、できる限りサポートしてきた。

困っている1人の子どもを深く見て、その理由を探れば学校全体の課題がわかる。これまでの学校での当たり前も、批判的思考で検討すると、必要のないものや変えたほうがよいものがたくさん見つかった」(西郷)

 そうして、桜丘中学校では校則や定期テスト、宿題などについても検討し、なくしていった。すると、大人たちの指示から開放された子どもたちは、自分の選択に自信を持つようになり、生き生きと輝き始めたという。
 卒業間近の生徒は3年間を振り返り、次のように話している。

「自由とは、お互いの信頼関係があるからこそ成り立つもの」
「自由だからこそ責任を持って行動しなければいけない」
「みんなに合わせなきゃいけないと思っていたけど、違ってもいいんだと自分に自信が持てるようになった」

例2)東京都の自閉症・情緒障害特別支援学級

 授業では、子どもたちが主体となり、その意欲を汲み取りながら学習プランを組み立てる。また、教室環境のデザインも子どもたちに合わせて作る。
 その中で、子どもたちは「自分研究」(同じ悩みや課題を抱える仲間と困りごとを共有し、対処方法を研究すること)に取り組む。困りごとを研究し、表現することで、通常の学級ではひと言も話さなかった子どもが、自分の気持ちを豊かに表現できるようになったという。

 自閉症・情緒障害特別支援学級とは、校内の特別支援学級に席を置きながら、本人のペースで通常の学級に参加するクラスのことである。通常の教育課程と同様、教科学習、クラブ、委員会や行事などにも参加し、通常のクラスとの交流も自分のペースでできることが特徴である。
 また、授業では、それぞれのやりたいことに取り組む時間もある。プログラミングで作曲やゲームづくりをする子もいれば、理科の実験に集中して取り組む子、様々な気持ちをイラスト化してカードをつくる子もいる。目の前の子どもたちが主体となり、その意欲を汲み取りながら学習プランを組み立てられるよう、柔軟に教科学習を取り込んでいる。
 こうした自由な学びに集中するためには、教室環境のデザインも大切だ。仕切りを立てたり、自分の好きなものを周りに置いたりしながら、それぞれ自分が落ち着いて学べるスペースをつくる。椅子の形も自分で選ぶことができ、教室内にリラックスできるスペースを子どもたちと一緒につくることもある。教室環境のデザインを自分で選び、個別の学習スペースなども工夫してつくることができる。
 子どもたちは「自分研究」にも取り組む。これは、同じ悩みや課題を持つ仲間と「困っていること」を共有し、どう対処すればいいかを研究するものである。

「研究したから不安がなくなるというわけではありませんが、不安なことや苦手なことは誰かに相談すれば、いい対処法があるかもしれない、そう考えられるようになっていきます」(自閉症・情緒障害特別支援学級担任、森山)

 このように、困っていることを表現したり、研究したり、漫画に描いたりすることで、通常の学級ではひと言も話さなかった子どもが、自分の気持ちを豊かに表現できるようになることもあったという。

インクルーシブ教育の本質

 共に大事にしているのは、子どもたちが「自分自身を知ること」である。

教育とは、外から知識を詰め込むことではなく、本来は自分自身を知るためのもの自分が生きている世界、他者との関係性、そして自分は何のために生きていくのかを知るためにこそ人は学びます。お二方の実践では、子どもたちが自分を知ることをとても大切にしていることが分かりました。自由を与えられることで覚悟や責任が生まれます。自分を知らないと自由を使えません。自由を与えられることは、自分に向き合い、自分を知ることにつながっているのです」(ファシリテーター)

 インクルーシブ教育を実践する学校や学級で、子どもたちは「自分自身を知ること」に日々取り組みながら、「自分は何のために生きていくのか」という大きな問いに向かって生きている。
 インクルーシブは、難しいことではない。自分を知り、困難なことは表現し、それぞれの違いを認め、理解し合えるコミュニティをつくる。お互いに楽しく学ぶことを喜び合う。これは、誰にとっても必要なことだ。

出典

・太田美由紀「遅れをとる日本の『インクルーシブ教育』。その本質を見つめ直す

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