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ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい読んだ

 「ぬいぐるみサークル」の学生たちが登場する。作るのではなく、「ぬいぐるみと話す」サークル。なぜぬいぐるみと話すのか?それは、人と話すと相手を傷つけてしまうかもしれないから。

 彼らはやさしい。SNSやニュースで触れる人の傷を自分に重ねてしまう。女性への差別や、銃乱射事件のニュースにショックを受けて、でもその落ち込みを誰かに相談してしまえば、その人に背負わせてしまうから、それが嫌でぬいぐるみと話している。

 主人公の「七森」は男子大学生だけど、周りに蔓延している男らしさ、女らしさの空気に溶け込めないでいる。自分が「加害者」である男性なのだと思うと吐きそうになってしまう。人とつながること、自分の本心を見せることが怖い。

 そんな彼が、「白城さん」に告白する。白城さんはサークル同期だけど、周りとは違って、ぬいぐるみとは喋らない。告白はしたが、本当は異性として好きなわけではない。男女交際をするのが当たり前の世界に立っているために、とりあえずしてみようとしているだけだ。本当は、同じくサークル同期で親友の「麦戸ちゃん」といる方が落ち着くのだけど。

 七森も麦戸もやさしい。広告やニュースの「女性らしさ」が固定された表現に落ち込んでしまう。一方で白城さんは「そうは言っても、現に女性は"男性"にならないとこの社会では認められない」と思っていて、ぬいぐるみサークルとは別に、イベントサークルにも所属している。七森たちとは考え方が違うけど、そんなことを言うと彼らは顔をしかめてしまい空気が悪くなると知っている。だから何も言わない。一番やさしいのは白城だと思った。

 やさしすぎると堂々巡りしてどこにも行けなくなってしまう。誰も傷つけないことを考えると、誰とも接することができなくなる。この小説にはスカッとしたオチとか、胸がすくような展開はあまりない。ただ居場所が見つかる。それは救いだ。だけど、同時に足枷でもあることが示唆された気がして、最後の数ページは読んでいて思わず顔をしかめた。

 基本的にずっと七森の視点で進行するが、ところどころ第三者の視点が差し込まれたり、特に終盤は麦戸、白城の内心が語られるようになる。他者の分からなさや分かりあえなさで苦しんでいたのに、神のようにすべての登場人物の考えが読めてしまう。小説なのだと思った。逆説的に、現実での孤独が際立つ。現実ではこの小説の登場人物のように暗中模索するしかないから。

 読んでいる最中、やはり少なからず自分に引き寄せて考えることになった。誰かを傷つけていた、傷つけている、いつか傷つける。自分の持つ要素を考えると、それを避けるには最初から関わらないのが確実なのだが、関わらなければ誰かを支えたり救ったりすることもできない。だから、どこかで思い切って殻を破るしかない。いつか踏ん切りをつけるべきだとぼくは思っている。

 一方で、それが簡単にはできないということもよくわかる。七森も、麦戸ちゃんも、その踏ん切りがつかなくてずっと苦しんでいた。表面張力が崩壊するようにして、結局2人の殻は破られる。その結果はさっきも書いたように、不健全な足枷になると思った。だが、足枷であろうとも、どこかで折り合いをつけないと立ってられなくなるこの世界で、折り合いをつけられない人たちにとってその場所に留まる理由になるのなら、救いだと思っていいのだろう。それを知りながら、見守る以外ないと分かって何も言わないでいる白城さんが、やはり一番やさしいのだと思った。

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