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「フランケンシュタイン」から見る「死」の意味するところ

「フランケンシュタイン」における「死」の意味するところを考察する。それは転じて科学的な生命の誕生との関係は如何なるものかまで吟味することが可能である。怪物のヴィクターの弟の殺害やヴィクターの母の死など本作品には怪物の創造という「生」の対局にある「死」が二項対立的に散りばめられている。生殖を用いない科学的な生命の創造、その対局にある「死」が意味することは単に登場人物の死、ストーリー展開上に必要な死という解釈ではない。それがどのようなメタファーが込められているかという考察をすることが趣旨である。
本書での死について先に整理する。ヴィクターの母親が本書の一番最初の「死」である。次いで、弟ウィリアムの死、ジュスティーヌの死、クラーヴァルの死、ド・ラセー家の死、エリザベスの死、ヴィクターの父親の死、ヴィクターの死、最後に本書で明記はされていないが怪物の死である。本書では計9名の死が訪れる。生命創造前の死も付け加えるとするならば、ヴィクターによる女の怪物の破壊も含まれるであろう。怪物という生命の誕生に伴い9名の死が必要だったのはなぜなのか。フランケンシュタインの元祖フェミニズム論を唱えたMoers(1976)によると

Frankenstein seems to be distinctly a woman's mythmaking on the subject of birth precisely because its emphasis is not upon what precedes birth, not upon birth itself, but upon what follows birth: the trauma of the afterbirth.

Ellen Moers, “Female Gothic”, In Literary Women: The Great Writers (New York: Doubleday, 1976; rpt. Oxford University Press, 1985), pp. 90-98; reprinted in The Endurance of "Frankenstein": Essays on Mary Shelley's Novel, ed. George Levine and U. C. Knoeflmacher (Berkeley, Los Angeles, and London: Univ. of California Press, 1979), pp. 77-87.

とあり、本書は出生をテーマにしたものであり、産後のトラウマを描いたものだとある。このMoersから死を読み解くのであればメタ的に解釈することが可能である。シェリーの生命創造への恐怖感、それを技術革命が起きている当時の潮流を踏まえ、生命創造に伴う死、これは実質的な死だけではない。ヴィクターの母の死がエリザベスの看病後に死んだこと、父が衰弱によって死んだのも踏まえると生命創造に伴った感情的な危機感を表していると読み取ることが可能である。また本書のタイトルにもある”The Modern Prometheus”もギリシャ神話におけるプロメテウスの火の話であり、本書における生命創造の秘密がプロメテウスの火なのは周知の通りである。プロメテウスは人類に憐れみ、火を盗みに彼らに与えゼウスにそのことが伝わりプロメテウスは岩に鎖で繋がれ鷲に臓物を突かれるという罰を与えられる話である。本書においては生命創造が神の領域であり、その行為は原罪としての役割を持ちヴィクターは苦悩することになるが登場人物の死とは関係ないように思える。怪物によるド・ラセー家の家屋を燃やしたことは火という点で同じであるがプロメテウス神話による解釈では説明がつかない。やはりここでの母の死は、直接的な実子ではないエリザベスを看病していた母、母―娘という母子構造からMoers的な解釈でメアリーと彼女の母の関係が投影されている。というのも彼女の母ウルストンクラフトはメアリー出産直後に病気にかかって亡くなっており、メアリー誕生が母を殺すという意識が彼女の中にあったのではないかと考察する。またその点を本書と照らし合わせるとメアリーと怪物は投影関係にあるとも言える。またジュスティーヌの死は、ヴィクターの母親の死以降一家の面倒を見ており母と同じ役割を果たしている。ここで結果ウィリアム殺害の原因を半ば怪物に押し付けられる形で彼女は死刑になるが、先ほどのメアリ=怪物の構図で見ると怪物=メアリの濡れ衣を着させられた彼女(母のような役割をしていた)は怪物の創造という罪により殺される。つまり、ヴィクターの母同様に反復表現としてメアリ=怪物の誕生による死なのではないかと考察することが可能である。怪物によるド・ラセー家の殺害はなぜなのか。本書では、殺害とは書かれておらず家を燃やしたと書いてあるが、便宜上ここでは殺害とする。本書181pの引用によると

「だがまたしても、その彼らが自分をはねつけ見捨てて行ったのだと思うと、怒りが、激しい怒りが戻ってきた。[中略]心無い無慈悲な創り主よ!おまえは自分に知覚と感情をさずけておきながら、それっきり人類の侮辱と恐怖のままとして、世界に放り出したのだ。」

メアリー・シェリー、「フランケンシュタイン」、創元推理文庫、1984年

とある。この文からも分かる通り、保護者=父親として投影していたド・ラセーによる見放しによって怪物は絶望し、家を燃やし親・家族との関係の断絶を図ったのである。これはメアリ自身創り出した人物が関係の断絶によって字義通り怪物と化すための重要なプロットであると考察する。その後、エリザベス、ウィリアムの死を引き起こす直接的な引き金となっており、彼らの死は子=怪物の親―子における関係性への恐怖が本書には表れている。
ここまでの考察を踏まえ本書における死とは母親の死の反復が常になされており、親―子の関係において、出産による死、また出産した子=怪物による死が本書の登場人物の死としてのメタファーとして機能し得ると考察される。作中の人物の死は怪物創造が取り巻く、出産、生み出したものへの恐怖のメタファーとして機能しており、本書における死とはつまり、生命創造への恐怖や生み出したものが手から離れた時の恐怖の念として表現されていると言えるだろう。また本書冒頭での失楽園の引用、「土くれからわたしを、創り主よ、人の姿に創ってくれとわたしがあなたに求めたろうか?暗黒より起こしてくれと、あなたにお願いしただろうか。」からも分かる通り、メアリの誕生やメアリの子供を産むという行為自体への恐怖がここからも読み取れるであろう。


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