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“光る瀬戸内に留まる” 宿 観海楼

(※ 観海楼に宿泊機能はありません。私的な視点から広義の意味として宿と紹介しています。)

やど・す【宿す】
①宿をかす。やどらせる。宿泊させる。
②(涙・露・光・影などを)とどめる。とどまらせる。竹取「おく露の光をだにぞー・さまし」。「水に影をー・す」。
③あずけて置く。残す。
④腹の中に子を持つ。はらむ。妊娠する。
⑤内に含みを持つ。

『広辞苑 第七版』(岩波書店、2018年1月)

「宿す」という言葉を辞書で引いてみると上のような意味が掲げられており、図書館の自習室で思わず、なるほどと呟いてしまった。

ホテルや旅館、ゲストハウスなどの宿泊施設が、旅の休息場所として宿をかすことを「宿す」といい、精霊や怨念が物に住みつくことを「宿る」といい、女性が妊娠をすることを「子を宿す」というが、言葉の意味を見る限り、それらは留まるという意味から派生したものではないだろうか。

あま-やどり【雨宿り】
雨の晴れるまで雨のかからない所でしばらく待つこと。

『広辞苑 第七版』(岩波書店、2018年1月)

「雨宿り」と言い表すように、留まることが「宿す(宿る)」の本来の意味だとすると、牛窓という地に留まり、瀬戸内海をただ眺め過ごす観海楼は、広義の意味で宿と表しても差し支えがないはずであり、この記事では宿泊機能を持たない「観海楼」という場所を宿として書き記したいと思う。

岡山県瀬戸内市牛窓町の歴史を江戸時代より遡る。
寛永年間(1624~44年)牛窓は幕府役人や諸大名の接待港として整備が行われた。拡張される町に材木問屋や船宿、船大工などが集住し、江戸中期以降には商人も移り住み、牛窓往来沿いに商家が立ち並んで発展したという。
航路開拓に伴う商品の流通拡大により、牛窓港は廻船の寄港地、あるいは領内産物の積み出しや他国産物の移出港として繁栄し、繰綿問屋・他国米商・両替商・材木商などが軒を並べて問屋稼ぎで賑わった。特に材木商は九州・四国地方の山々から材木を切り出し、良質の材木を仕入れたため造船業も成立した。

港町という歴史の面影残る細くくねった道沿いに「御茶屋跡」はある。
御茶屋跡がどのような場所であるか、それを一言で表すのは本当に難しい。全国各地の作家の作品が集まるショップであり、企画展示が行われるギャラリーであり、多ジャンルの作品を街の中に点在させる「牛窓クラフト散歩」の運営拠点でもある。

建物は元牛窓町長の生家であった空き家に手を施したものであり、2023年に現在の姿へ生まれ変わった。海沿いという立地的特徴から、母屋の玄関から眺める庭園では、海峡を挟んで佇む前島が借景として取り入れられており、かつての住人の海に対する愛がその空間構成から感じられる。

そして、その建物の二階の廊下を奥へと進み、角部屋となる部屋に辿り着くのだが、この部屋の名前こそが「観海楼」である。

観海楼は一時間ただ海を眺めるための20畳の小部屋。

部屋には白い座布団と、生けられた草花。haruka nakamuraさんの音が流れており、床の間には線で表された『Light』という作品が飾られていた。

海に沿った生活道路で一組の男子中学生が下校中戯れ合う姿をぼーっと眺めていると、近くで船のエンジン音が聞こえた。小さな入江から出航したその船は、くっきり濃く示された潮の道を悠々と超えていき、すーっと姿が小さくなって、やがて点になった。船影がまったく見えなくなると、今度は遠くの水面がキラキラ光り出してきて、物憂げな景色が盛大に華やぎ、そのキラキラが徐々にこちらへ近づいてきたかと思うと、やがて元の水面に戻ってしまった。

観海楼の扉を開けたときに、私は笑みをこぼしてしまった。畏敬の念が湧いてしまうほど美しいその海で、縫うように行ったり来たりする船と、それらを一望できる部屋は海への恋情に満ちていてなんとも愛らしく感じたのだ。

だがしかし、他の来訪者はこの風景にどんな反応をするのだろうか。よそ者、地元住民、瀬戸内に初めて来る観光客、それぞれ思うことはきっと異なる。伺うに、とある国外から来られた人はその風景を故郷に重ね涙を流し、故郷に海が無かったという人も「懐かしい」と溢したという。

郷愁とはなんだろう。

海は心を映す鏡である。楽しいことがあった時の海はキラキラと輝く光そのもので、悲しいことがあった時は波の音がやけに聞こえ、自分のちっぽけさが身に沁みる。

かつての来訪者である彼らは、初めて見る景色を懐かしく思うほどに、故郷に心が拠っており、それが海に映ったのだろうか。

海に、どれほどの数の人の心が宿っているのか。
それらの愛着を受け止める海は懐が深い。

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