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第11話「哀愁の元◯荘物語②」

自転車日本一周旅〜人生で大事なことはすべて旅で学んだ〜

民宿「元◯荘」は、礼文島の西部に位置し、観光名所の地蔵岩から歩いて約5分の海べりに面した3階建て約35名収容の宿泊施設である。
1階は食堂、浴室、洗面所、宿泊部屋は3つ。2階は部屋が7つ。
3階は、アルバイト用の部屋が4つだった。
アルバイト用の部屋は、屋根裏を民宿経営が出来ない冬の時期に主人が改築した、4畳半ほどの広さだった。
ベッド、テレビ、本棚、冷蔵庫まで備え付けられ、快適な空間だった。
なにより窓からの眺めが最高だった。
3階からの景色は、一面大海原が広がっている。
窓を開けると心地いい風が部屋を駆け巡り、目の前を優雅に海鳥たちが風に乗っている。
海面ぎりぎりをすばやく海風が走り抜け、色を換えた草原のように波が踊っている。
落ち着く間もなく、荷物を部屋に置くと、いきなり仕事が始まった。

アルバイトの二人は、相変わらず、慌しく、無言で働いている。
おかみさんに言われるまま、わけも分からず言われたことを必死でこなしていく。
民宿の仕事はお客さんのお世話をすることである。それに伴って、汚されたところを元に戻して、翌日の受け入れ態勢も合わせて整えていく。
食事の準備、片付け、廊下、各部屋の掃除と次々に作業を行い、ようやく昼前にひと段落つく。
この民宿の人員構成は、主人とおかみさん、そしてアルバイトが二人であった。
主人とおかみさんは夫婦で、主人は食事と洗濯部門の担当のようだった。
その他の部門を取り仕切っているのがおかみさんである。
アルバイトの一人は毎年この元◯荘で働いているおかみさんお気に入りの人で、「いっさん」と言われていた。
元◯荘に着いたとき案内してくれた髭面の人である。

「いっさんは本当にすごいんだからね。歩いて日本を回ったことがあるんだからね。」

おかみさんは、我が子のように自慢する。
いっさんは、民宿の手伝いの他におみやげ屋で木彫りのバイトもしているらしかった。
本当はそっちが優先になって民宿の方は忙しい食事時のみの手伝いらしかった。今は人手が少なく民宿の手伝いに入っているが、僕が来たことにより元◯荘の働きは実質、僕ともう一人のバイトの二人でやることになっていた。いっさんの住居もおれたちとは違う別場所の待遇だった。
 もう一人は川畑君という九州男児でがっしりした体つきで怖い感じがする青年だった。
おかみさんは僕を呼ぶときも川畑君を呼ぶときも「おにいさん」と同じふうに呼ぶからどちらが言われているかこんがらがるときもあった。
無口な感じのする川畑くんはすでにここにやってきて一週間が過ぎていた。
彼から、教えてもらいおかみさんにこと細かく指示を受けながら、なにがどうなったのかわかなないまま初日の作業が終了した。
終始、川畑君は、無口で激しく働いている。
なんだかこの先やっていけるのかと不安になった。

終了後、3階のアルバイトの部屋に帰り、ほっと一息休んでいると、川畑君が誘ってきた。

「少し飲もうぜ。」

おもむろに冷蔵庫からビールを取り出し、飲み始めた。酒は僕も大好きだから快く承諾した。

「やってらんねーな。」

無口で無愛想だと決めつけていた川畑君が、満面の笑みで話し掛けてきた。ここにもおかみさんにやられている同士がいるのだ、と僕はうれしくなった。

「川さん、あのおかみさんはやばいよ」

「たのちゃんもそう思う」

僕と川畑君の気持ちは瞬く間に意気投合した。
すでにお互いの呼び方も同じ目標に向かって汗を流したクラブの仲間や久しぶりに再会した友人を呼び合うように自然だった。
履歴書の一件や今日の激しい流れを話したが、一週間もおかみさんにあおられ続けた川さんには、まだまだこれからよ、と軽くいなされた。
逆に恐怖のバイトの全貌が明らかになった。



「起床5時45分。6時出勤。
まず、朝食準備。風呂清掃。お客が朝食の間に各部屋の布団上げ。朝食の後片付け。
8時すぎにお客を見送る。その後各部屋の掃除、廊下、階段、玄関、窓拭きと12時すぎまで作業は続く。
午後は15時ごろからお客様の受け入れ態勢を整えて、夕食準備。
18時からの夕食の間に各部屋の布団敷き、夕食後片付け。
1日の終了は21時ごろになる。
そして1日の作業中幾度となくおかみさんからの愚痴に耐えなければならないんだ。」

「うううん。マジで。」

川さんの事務的一日スケジュール発言によって、いよいよ明日からのアルバイトがいやになってきた。

「一日の楽しみはこうやって酒を飲むぐらいだよ」

川さんは冗談とも本気ともつかないことを言う。
島の人たちは人情に溢れ、うにが食いまくれると思い込んでいた島バイトだけにショックだった。
「まあ、明日からよろしく頼むよ」
明日から始まるであろう地獄生活に備えて休むことにした。

明朝、時間どおり6時に出勤。
そこからとどまることを知らないマグロのように怒涛の作業が昼過ぎまで続いた。
例のごとく終始おかみさんの口攻撃は果てしない。
いちいち注意されることを理解しようとすれば完全に精神がまいってしまいそうだった。だから聞く振りして実は返事だけするイエスマンに徹することが、一番だと思った。
川さんがいうように一日の喜びの時間は、アルバイト終了後に飲み交わす酒の時間だけだった。
本日のおかみさんの異常的愚痴攻撃情報を話すと、川さんは心から喜び、イカツイ彼の風貌からは考えられないようなうれしそうな笑顔で答えてくれた。

「朝なんかむごかったよ。下の洗面所を拭いてたら、いきなりやってきて『まだこんなところやっているの。まったく二人して遅いわね。やる気あんの』といつものように感情剥き出しにして同じところを3回もやらせんだよ。ちょっと切れそうになったよ」

「たのちゃん、ありゃあ、人間じゃねえよ」

なにか言わないと気がすまないおかみさんである。
早くやれば、ここが汚いといい、しっかりきちんと隅々までやってると遅い遅いと言われ、とにかくおかみさんの攻撃はとどまることがない。
油断もすきもないのだ。
おかみさんの恐ろしさは果てしない。

ここに来て数週間が過ぎた頃、新しいアルバイト君がついにやってきた。
忙しい作業を二人してこなし続け、口攻撃に耐え忍んでいた矢先のアルバイト君だったので俺たちは喜んだ。
作業が分担されるし、おかみさんからのターゲットも二人から三人に広がるわけだからうれしかった。
しかし、夕食準備から合流するはずのバイト君は、予定時間になっても部屋から出てこない。
しばらくして少し遅れてきたバイト君におかみさんが噛み付いた。

「なに、今ごろ来てんだよ。今日の仕事はね、もう終わったんだからね。明日6時にここに来てちょうだい。」

と言い放ち、夕食も与えず部屋に追い返した。
翌朝6時、僕はすでに浴室の掃除にはいっていたため確認できなかったが、川さんが言うに、バイト君はまたもや予定時間になっても現れず、おかみにたたき起こされ、玄関先に追い出されたらしい。
元◯荘から香深港フェリーのりばまでどうしたんだろう。
バイト君は、札幌市からはるばる礼文島にやってきたんだそうだ。
その交通費はどうなるのか。
約束の時間を守れないバイト君も悪いが、時間とお金をかけて北の最果て礼文島に来た若い青年に対し、わずか半日で追い返すおかみの方がよっぽどえぐい。
ほろよい気分になった川さんが語る。

「バイト君を追い返すとき、宿泊料を取ろうとしてたんだぜ。あのばばあはやばいよ」

おかみさんの呼び名はどんどん進化を遂げる。
おかみさんからおかみに、そしてババアへと付き合う時間に比例して醜く変わっていった。
俺と川さんの間では完全な敵へと成長していったのだ。
この時期ぐらいから、川さんはその怒りを表に出し始めた。
ババアがほえると川さんも同じようにやりかえす。

「うっせえんだよ、ババア。やってんじゃぁねえか。」

ババアが攻撃すれば、あからさまに、食ってかかるという日々が始まった。
ある夜、いつものように仕事を終え、3階の部屋で二人して飲んでいた。
当然話題は、本日のババアの悪態ぶりである。
ほろ酔い気分になった川さんが満面の笑みを浮かべてババアを愚痴る。

「今日なんてよ、車を借りて買い物に行こうとしたらよ、今から使うんだからね。というわけよ」

と、川さんは今の喜びこれしかないよ、と言わんばかりに語気強く話す。

「で、よ。結局使ってなんかねえんだよ。俺たちに使わせないようにする、ババアの単なる嫌がらせなんだよ」

とますます川さんの愚痴ぶりは激しくなる。
同じようにやられているおれもそういう話は大好きだから

「そうだ。そうだ。」

と相槌を打つ。
ばばあへの不満はたくさんありすぎてどこまでも続く。
川さんのストレスも多いに発散されていった。
そして、川さんの絶叫がピークを迎えた頃、ドアの方からかすかな音がした。
一瞬、ギョッとした。
ババアが俺たちの会話を盗み聞きしに来ていたのだ。
敵の情勢を伺うスパイの如く、ひっそりと確実に俺たちの会話をババアは盗聴していたのだ。
その日を境にババアの言動が少し変わった。
これまで半々ぐらいの割合で受けていた嫌がらせ愚痴攻撃が、川さん8に対しおれは2ぐらいに減少していった。
幸いにして俺は、その晩
「そうだ。そうだ。そうなんだ。」
と聞き役に徹していたのがよかったんだろう。
普段から口答えをしていた川さんが、その晩声高らかにババアをなじったことが原因であることははっきりしていた。
しかし、ババアにやられる回数が減ったとは言え、早く予定の1ヶ月が過ぎないだろうか、と残されたアルバイトの日々をいつも指折りカウントダウンをしていた。

ある日のことだ。
常に憂鬱な気分が付きまとったアルバイトだったが、いいことも少しあった。
それはババアから完全な敵となった川さんが休みの日だった。
10日に1日程度、休日があった。
いつもになく機嫌がいいババアが、
「たのちゃん。食べなよ。」
とお客さん用のざるに盛られた20人前のうにを出してくれた。
エゾバフンウニである。
今朝収穫された新鮮な最高級のウニ二十人前である。
大きなどんぶりにご飯を盛って、その上に15人前ぐらいのウニをどっさりとのせた。
醤油をたらしごはんより量の多いウニ丼を腹いっぱい食べた。
うまいと思った。
けれど、悲しいかな、これもババアの計画であることは察すれた。
水と油と化した川さんがいない時にババアは、こういう別の人間にいい思いをさせておく。
川さんに対して無言陰湿的攻撃作戦である。
川さんがいるときは決して味わえない数少ない喜びであった。
あいかわらず激しく慌しく働きそしてババアから幾度となく攻撃を受け続けたアルバイトも予定の1ヶ月が無事終わった。

人間関係や人に合わす心の難しさを学んだ民宿アルバイト生活だった。
100パーセント相手を受け入れなければいい付き合い方はできない。
すっきりしない気分のまま33日間のアルバイトが終わった。
まだまだおれも甘いな、と礼文島を離れるフェリーの中で哀愁の風に吹かれて、一人反省した。

発見の旅とは新しい景色を探すことではない。
新しい目を持つことである。
世の中には、「鏡の法則」というのがある。
今、目の前に起こる人生の現実は、自分の心を映し出した鏡のようなものだということ。
例えば、誰かに注意されたとしよう。
その時、感謝の心がなかった場合。
「なんだ、あいつ、いちいちうるせぃ、ヤローだ」と批判や不足で受け止める。
もし、全てを感謝の心で受け入れる土壌があった場合。
「ありがとうございます。やり方が分りました。」と成長の機会とすることができる。
ここで、問題なのは、「注意した側には基本、善意も悪意もない」ということ。
違うのは、自分の受け取り方だけ。
鏡に向って、笑うと、鏡の中の自分も笑う。
自分が怒ると、鏡の中の自分も怒る。
自分の動きで目の前の景色が変わるのだ。
そして、自分の心の状態が物事の見方を決めてしまうんだから、いつもいい方向から見られる癖をつけてしまうこと。
いつも相手の言動は善意であると考えること。
物事や人を斜めから見ないこと。
全てを感謝で受け止める。これが気持ちのいい人生を送るための秘訣の一つ。

他人の悪口3分間で言われる悪口6分間。
他人の賞賛3分間で言われる賞賛6分間。
宇宙の真理は倍返し。
実に律儀なもんだ。
人生とは投げかけたものが返ってくる。
他人は鏡。
鏡は先には笑わない。
やってみて初めて分かる自分がある。
体験とはまず第一に我を知ることである。

なにはともあれ、とんでもない民宿アルバイトも自転車旅のいいアクセントとなった。
憂鬱な日々からようやく解放され、これからの自転車旅にそなえた。
すでに夏は半分終わっていた。
体重は7キロ減った。

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