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【小説】回想、あるはなについて(2) 朝顔

前作「回想、あるはなについて(1) 山百合」の続きです。

「不完全なワンダーランド」にでてくる妖怪はなの過去話。

下級武士の娘、一女いちめと知り合ったはなは見せたいものがあるから泊まりに来ないかと誘われたが、返事を保留にしていた。そんなとき仕えている影から新たな住処が見つかったとの報告がありそこに向かうことになる。

「ここがその村?」

ぐるりと見渡してはなは呟いた。点々と存在する茅葺屋根の家は埃が積もり、蜘蛛の巣がまるで自分が主と言わんばかりに幅をきかせている。放棄された田畑は猪によって掘り返されひどい有り様だが、多少の農具は残っていた。

「ま、ほとんど使い物にならなさそうだけど」

柄が折れた鍬を手に取って、はなは独り言ちた。

「はな様、ご自分の道具を使えばよろしいでしょう」
「まあそのつもりだけどさ」

ひょいと手をかざすと空間に突如大きな穴が開き、中から農具が出てきた。丁寧に手入れされた鍬はよく手に馴染む。それらを適当にまとめたはなはぐるっと周りを見渡した。

「まあ、まずは掃除かな」
「ええ。そうですね」

ここを一人で掃除するのは骨が折れる。あれを呼び出そうか。が、その前に一つ聞きたいことがあった。

「でもこの村、本当になんでなくなったの? 見たところそこまで土地がやせ細っているわけじゃないし、家の数もそれなりにあるのに」
「申し訳ありません、はな様。そこまでは調べきれませんでした。ただ、これが原因かと思われるものはありましたが……」

歯切れの悪い受け答えにはなは眉をひそめた。

「なにそれ。何か言いづらいことでもあるの?」
「……まずは掃除を終わらせてからにしましょう。話はそれからでもよろしいではないですか」

はなは一つため息をつくとあるものを呼び出した。

「そうね。大喰らい」

空間から突然黒い球体が現れた。蹴毬ほどのそれは影のように表情はない。ただ一つ違うのは三日月のように大きく裂けた口をもっていることだ。口を開くたびに不気味なほど白い歯と血のような赤い舌が覗く。

「ゴハン?」
「そうよご飯。ただし、この家にある蜘蛛の巣と埃だけね」

大喰らいは体を反転させ、逆さまのまま不満気な声を漏らした。

「ホコリ、美味くナイ。キライ。蜘蛛も小サイ。腹イッパイにならナイ」
「もし全部綺麗にしたら、私が握り飯作ってあげる? どう? それでもやりたくない?」

猫なで声で説得する。大喰らいはしばらく空中を漂っていたが、やがて口を開いた。

「握り飯ダケじゃダメ。団子ホシイ」
「もちろんよ。今度好きなだけ買いにいきましょ」

にこやかに笑いかける。すると大喰らいは突然近くにあった蜘蛛の巣をちぎり取った。

「はな様、ヤクソク」
「ええ、京都でも江戸でもどこでも好きなところ、連れていってあげるわ。じゃ、よろしくね」

はなは傍らにいた影に視線を移した。目を細めて、彼をじっと見つめる。

「で、その原因って?」

「はな様、大喰らいに任せますと何でも飲み込んでしまいますよ」
「それは大丈夫よ。ちゃんと埃と蜘蛛の巣だけって伝えたし、約束破ったら、団子食べられなくなることくらいわかっているもの」

影は諦めたように首を横に振った。

「わかりました。ではご案内いたします」

外は既に日が沈み、月が顔を出している。聞こえるのは虫の音だけで、獣の息づかいすらしない。影は人気のない民家を淡々と進んでいく。ついた先はこの村でも一番大きな建物だった。ひと際立派な建物であったが、戸は壊れ、傾いている。足を踏み入れると埃が舞い上がった。

「これは……」

目の前の光景にはなは愕然とした。

おそらく祭壇が置いてあったであろう場所は無惨にも引き倒され、鏡やしめ縄は破片となって部屋中に飛び散っていた。壁には大きな爪痕が残っている。何かが起こったことは一目瞭然だった。

「呪い? いや、力のある妖がこの村に流れ着いたのかしら」

しかしこの山を調べたときには妙な気配など感じなかった。現に今も特別気になる匂いも気配もない。

「元々、かなり閉鎖的な村だったようで、この山を越える行商人や向こうの村人たち、いえ、その人々ですらあまり寄らなかった場所らしいので詳細はわかりませんが……」
「なんにせよここに化け物はいないし、近くにも見当たらない。そういうことでいいのね?」
「そうなりますね」
「じゃあいいわ」

何事もなかったかのようにはなは祭壇に背を向けた。後ろから意外そうな影の視線をひしひしと感じる。

「よろしいので?」
「ええ。だって余所者の私たちができることは何もないし、余計な詮索をして面倒事に巻き込まれるわけにはいかないでしょ」

そう、自分たちは余所者だ。だから自分たちにはここで起こったことに首をつっこむ権利はない。

「ま、また戻ってくるのなら話は別だけど、戻ってこないのならどうでもいいわ。大体、私が住処に選ぶところなんていわくつきのところもけっこうあるし」
「それもそうですね。はな様は今更、幽霊や化け物ごときで怖がるような人でもありませんしね」
「まあ姫様いるしね」

何も出ないのであれば、特段気に留めることもないだろう。出たら、出たらで対処するだけの話だ。

「さーて戻ろっか。大喰らいにご飯作ってあげなきゃいけないし、私もお腹へったー」
「相変わらずはな様は吞気ですね」
「変に怯えるよりマシでしょ」

背後で頷く気配を感じつつ、頭の中はすっかり夕飯の献立に切り替え、はなは新たな住まいへ足を向けた。


あれから荒れ放題だった畑を整え、作物を育てる目処がたったころだった。

「そういえばいつ来られる?」
「あっ」

言われて、例の泊まりの件がすっかり頭から抜け落ちていたことを思い出した。

「やっぱり無理?」

子犬が尻尾を下げて項垂れるような顔に罪悪感が募る。

「い、いや違うよ。ちゃんといくから」

その顔を晴らしたくて言うはずのなかった言葉が飛び出した。瞬間、一女の瞳が鋭く光る。

しまったと思ったときにはもう遅い。はなが訂正を入れるより早く、一女は口を開いていた。

「じゃ、いつ?」
「えっ、えっと……」
「無理なら無理と言って。私、その場を取り繕うとするためだけのウソ大嫌いなの」

見つめる目は鷹のように鋭く、こちらの一切の誤魔化しも許さないと言っているようだった。圧に押されて自然と唇が動く。

「きょ、今日は、大丈夫だよ」

途端、尋問官もかくやという表情が噓のように消え去り、一女は晴れわたった空のような笑顔を覗かせた。

「そっか。じゃ、今日は一日中一緒にいられるね」
「う、うん。そうだね」

なぜ毅然とした態度で断ることが出来なかったのか。内心頭を抱えながら、はなは空笑いを返すしかなかった。

これを影が知ったならば、あなた様は一体何をやっているんですかねという小言と冷ややかな視線をもらうことになるだろう。全く返す言葉もございませんと脳内で平謝りしつつ、はなは軽やかに駆けていく一女を追いかけた。


「ね、誰にもばれなかったでしょ」

声を潜めて話す一女の声はどこか上ずっていた。

いや、いっちゃんのお父さんどう見たってこっちをちらちら見ていたけどね。何だったら一回私と目があったよ、なんて言えるはずもなく、はなは曖昧に笑った。
しかし二人で薄い布団にくるまり、顔をくっつけていると昔のことがよみがえる。

『はなちゃんホタル見にいこう。今日は星がきれいだから、きっとよく見れるはずじゃ』

懐かしい友の声。もう二度と聞けない声。自分が未熟なばかりにこぼれ落としてしまった命たち。彼らの笑顔と目覚めたときには全てなくなっていたあの光景が一気に駆け巡る。

『お前がその憎き姫を宿しているせいだ。お前のせいでコイツらは俺に殺される羽目になったのだ。お前も俺とさして変わらぬ人殺しの化け物よ』

げらげらと嗤う醜悪な化け物の声が頭の奥で響いた。
刃で胸を切り裂かれたような痛みが走り、はなは知らず知らずのうちに顔をしかめていた。

「はな、どうしたの? どこか痛い?」

こちらを気遣う一女の声で一気に現実に引き戻された。彼女は心配そうにこちらを覗きこんでいる。その瞳には眉間に皺をよせ、酷い顔をした自分が映っていた。

いけない。今彼らに思いをはせている場合ではないだろう。ずっと年下の子に心配をかけさせてまで、自分は何をやっているのだ。

「なんでもないよ。ただ、いっちゃんのお父さんが本当に気づいていないか心配だっただけ」

へらりと笑えば、彼女の肩から力がぬける。

「気にしなくていいよ。絶対気づいてないから」
「そう? よかった。それより、明日早起きするんでしょ。早く寝なきゃ、寝坊しちゃうよ?」
「それもそうだね。もう寝よっか」

一女はすぐに話を切り上げた。少しして彼女の寝息が聞こえてくる。

「いっちゃんは寝るの早いなあ」

彼女の寝つきの良さに小さく笑みをこぼして、はなも目を閉じた。膿んだ古傷にそっと瘡蓋を被せるように。


「はな、起きて」

体を揺さぶられて、はなは目を開ける。誰かが覗きこんでいるが、視界がぼんやりしていて誰だかわからない。
だが焦点が徐々に定まっていき、覗きこんでいる相手がわかると、はなは今度こそ目を覚ました。同時に昨日のやり取りを思い出して、急速に頭が覚醒する。

「ごめんいっちゃん、私寝過ごした!?」

飛び起きたはなに一女は笑い、唇に人差し指をあてた。

「まだ大丈夫。ほら、空が白み始めているでしょ。それより大声出さないで。お父様が起きてしまうかもしれないでしょ」
「ご、ごめんね」
「いいよ、気にしてないから」

肩を落としたはなに一女はからりと笑った。二人で物音を立てないよう、細心の注意を払いながら布団から抜け出す。特に父親の部屋の前を通るときは、握る手の力が一段と強くなって、この子も年ごろらしいところがあるものだとはなは密かに笑った。

夏だとしても早朝は冷える。二人は身を寄せ合って冷たい廊下を歩いた。

「ねえ見せたいものってなに?」
「それは見ればわかるよ」

尋ねるも頑として彼女は教えてくれず、はなは黙って手を引かれるままその後をついていった。
草履をつっかけて外に出る。一女はある鉢の前で立ち止まった。

「お、ちょうどいい時間だ」
「なに?」

彼女の肩からひょいと覗き込む。それを見た瞬間、あっと声を上げていた。

「すごい! これなんて花?」

そこにはしぼり模様のように、白地に紫線が所々入った丸い花弁が天を向いていた。はなの驚きように気を良くしたのか、彼女は満足気に笑って答えた。

「朝顔だよ」
「朝顔? これが!?」

はなは目を丸くして飛び上がった。朝顔といえば青か白しかない素朴な花のはずだ。こんな複雑な模様など見たこともない。が、言われてみればたしかに葉や花弁の形はたしかに朝顔である。

「今江戸で流行っているんだって。これ以外にも花弁が八重になったやつとか、桃やら赤やらいろんな朝顔があるらしいよ。お父様の友人が江戸に行ったときに土産でもってきたんだ」
「へえ、それは知らなかった。すごい、なんであの質素な花がこんなおしゃれな色をもつようになったんだろう」

田舎から江戸に渡った友人に会いに行ったら、垢抜けて別人に変わっていたような衝撃だ。親しんだものの劇的な変化に、はなは顔を近づけてあちこちから眺めた。見れば見るほど朝顔らしからぬ洗練された美しさを目の当たりにして、本当に朝顔なのか疑問がわく。

「本当にこれ朝顔?」
「さっきからそう言っているでしょ。変なの」
「だって、私の知っている朝顔じゃないんだもん。誰これ!? って言いたくもなるじゃない」

くすくすと笑いながら、一女は言った。

「気持ちはわかるけどね。私も最初そう思ったし。でも朝顔なんだよこれ」
「いっちゃん、ありがとう! こんな貴重な花みせてくれて」

感謝をこめて礼を告げると、彼女は手を振って軽やかに笑った。

「いいよ。友達でしょ」

朝日が差し込む。まるで目の前の笑顔のような清々しい光が二人を照らしていた。


「でもよお、はなやい。仲良くやっているのはいいことだけどよお、そんなにいれこんでちゃあ、お前のところのおっかない姫さんが嫉妬しちまうんじゃねえのかい?」

足を川の中に浸して河童は問うた。青みがかった鱗が水の中で反射している。

あれからというもの、二人の距離はぐっと縮まり、一女は今までの友達の中で一番近しいところにいると言っても過言ではないだろう。今までの誰よりも入れこんでいる自覚はあった。

「うーん、最近はずっと眠っているし、大丈夫じゃないのかなあ。まあ、もしいっちゃんに嫌がらせでもしようものなら、私がきっちり言うから気にしなくていいよ」
「あの姫さんが素直に聞くかねえ」

河童は未だに半信半疑だ。はなはさらに言葉を重ねた。

「大丈夫だよ。姫様は私のこと大好きだもん」

河童は呆れたようにため息をついた。

「ま、お前さんが人間にちょっかいだすのはもう止めねえし、お前さんとその人間がどうなろうが知ったこっちゃねえけどさ。下手に他の妖怪や姫さんのせいではなが落ち込んで、美味い胡瓜が食べられなくなるのは勘弁してくれよ」
「えっ、心配してくれるの? 嬉しい! そんなたろちゃんには茄子もあげようね」

かごの中に胡瓜と茄子をいっぱい詰め込んでやる。はなが育てた野菜たちは形も色艶もよく、さんさんと降る太陽の下で輝いていた。

「そのたろちゃん呼びやめろっていっているだろうが。俺にはちゃんと河太郎がわたろうって名前があるんだ。それに茄子はいらねえ。俺は胡瓜以外食べねえ主義なんだ」

盛大に顔をしかめた河童を無視し、はなはかごを押しつけた。

「はい、たろちゃんどうぞ。いつも付き合ってくれてありがとね!」
「ったくよお」

舌打ちをして、河童はかごを掴むと川に飛び込む。水底に沈んだ影はあっという間に見えなくなった。残ったのは水面に浮かぶ泡だけだ。茄子は浮かんでこなかった。

「本当にたろちゃんは優しいよね。妖怪界の鼻つまみ者の私と仲良くしてくれるなんてさ」

空は雲一つない青い空。眩い太陽が輝く。

「はな様の胡瓜目当てですけどね」

ふいに視界が暗くなる。太陽を遮るように影が覗き込んでいた。

「それでもいいじゃない。なんだかんだかまってくれるんだから」

はなはぼんやりと見上げたまま言った。

はなは妖としては少し特殊な事情を抱えている。妖怪というものは普通、多数の人間の畏れ、恐怖、憎しみなどや付喪神のように降り積もった愛情など、強い感情から生まれてくるものだ。または大陸から入ってきた神に追いやられた古き神々が、かつての威光を失くし、畏れだけが残った哀れな成れの果て。

はなはそのどちらでもなかった。はなはたった一人の人間からできた妖怪なのである。それもとあるくにを滅ぼした恐ろしい怨霊から。しかも人間に育てられたという異色の経緯をもつ。

生まれの時点で既に怨霊憑きの妖という微妙な立ち位置だったというのに、それに加えて持っている力には似つかない真昼の太陽のような性格。闇夜に潜む多くの妖怪から顰蹙を買うのは当然といえよう。

『はな、たしかにお前は人ではない。だが、人と同じように人を愛する心を持っている。はなは人間が好きか?』
『うん! もちろんよ、じっちゃん』
『そうか、では覚えておきなさい。人と仲良くしたければ、人を傷つけてはいけない。ましてや食べるなどもっともだ。これだけは守るのだよ。お前の力は弱き者を助けるために使うのじゃ』

頭を撫でてくれた、皺だらけの暖かい手の感触がよみがえるようだった。
育ての親の教えにより、はなは人間不殺主義で友好派であることを公言している。それが余計に妖怪たちから距離を置かれると知ってなお、はなは胸を張って掲げ続けていた。

「大丈夫よ、じっちゃん。私は元気にやっているわ」

懐かしい彼の顔が脳裏に浮かび、はなは目を閉じた。



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