【小説】回想、あるはなについて(4) 枯草
前作「回想、あるはなについて(3) あんず」の続きです。
はなの正体を知ってもそれを受け入れ仲良くしてくれる一女だったが、そんな折不穏な情報がもたらされる。
「不完全なワンダーランド」にでてくる妖怪はなの過去話。第一話はこちら
何者かの気配を感じて顔を上げると、森の中から兜巾を被った男が登ってくるのが見えた。錫杖をつき、大きな法螺貝を抱えている。歩く度に結袈裟についた丸い梵天が揺れた。
「山伏? こんなところに?」
ここは山伏が修行しにくるような霊山ではない。そもそも山伏にしては妙な気配だ。
「天狗もここら辺で見かけたこともないしねえ……あの男、何者なのかな」
山伏は俯いたままだが、迷うことなく、真っ直ぐにこちらに向かってくる。はなは作業の手を止めて、いつでも動けるよう身構えた。
その男がついに目の前に来たとき、はなはその正体に思いいたった。
「誰かと思ったら、夢魔じゃない! なんで山伏の格好をしているのよ。誰かと思ったでしょ」
男は顔を上げて、にやっと笑った。
「よう、久しぶりだな、はな。ちょっと風の噂で聞いたが、また人間に入れこんでいるそうじゃないか」
夢魔とは人間に悪夢をみせる悪魔のことである。しかし遥か西の国々から来たわけではないらしく、本人がただ夢魔と名のっているだけなので、真相はわからない。ただ悪夢をみせる力は本物であるから、恐らくは夢の世界の住人の中でも力の強い精霊か妖の類なのだろう。
「そうだけど、それがどうかした? あなたのほうこそまーた、変なものにはまったわけ? そんな仰々しい格好までわざわざ誂えてさ」
「いいだろう? 俺は案外この格好気に入っているんだ。特にこの杖とか法螺貝とかな」
夢魔は見せびらかすように杖を振ってみせた。はなはそれを冷めた目で見る。
「で、何しに来たの? 冷やかしならとっとと帰ってちょうだい。私、あなたと違って暇じゃないから」
「おやおや、ずいぶんと冷たいねえ。せっかくこの俺が顔を見せにきてやったというのに」
からかいにきただけと判断したはなは、土に置いたままの大根の土をはらい作業を再開した。視界の端に口をへの字に曲げた夢魔が見えたが無視する。
「あーあ、せっかく俺が忠告しにきてやったというのになあ」
芝居がかった声がはなの手を止めた。
「忠告?」
顔をむけたはなに夢魔はにんまりと意地の悪い笑みを浮かべる。
「そうとも。優しーい俺が友人のお前にご忠告をしてあげよう。耳をかっぽじってよく聞くといい」
「ふうん」
大した期待はせずにはなは夢魔に向き直った。聞く気になったのがわかったのか、夢魔は満足気に口角を吊り上げた。
「お前がまた人間と仲良くしているっていうから、他の妖怪たちが騒いでいるらしいぞ? しかもお前の正体を知っている上でその人間はお前と付き合っているらしいじゃないか」
「そうね。それは事実よ」
「それが奴らには気に食わないらしいなあ。元々人間と深く関わるのは推奨されていないだろ。人間と俺たちの間にはちゃんと線引きしなきゃいけない、そういう暗黙の了解のはずだ」
はなは冷めた目で夢魔を見返した。
「その割には一目惚れした人間をさらって嫁にするだとか、こっそり祭りに参加するだとか、いろいろやっているのを聞くけどね。脅かすものにいたっては最後に正体ばらしているものもいるじゃない」
「それでも一応、建前上は正体を隠す努力はしているだろ。脅かすやつはまあ、目的が目的だからあれだが。お前みたいに正体も隠さず、堂々と人間と付き合っているわけじゃない」
「あら、私だって正体を隠す努力はしているわ。人聞きの悪いことを言わないでよ」
片眉を上げて抗議する。こちらだって始めから妖ですなんて言わないし、子供たちと混ざって遊んでいるのは他の妖怪や神の一部だってやっていることだ。なぜいつも自分だけが文句を言われなければならない。
「まあほとんど嫌がらせみたいなものだろうがな。お前の出生自体複雑だし」
ほんのわずかに同情をのせて夢魔は言った。はなは腕を組み、とんとんと指で叩く。
「で、どこの誰? 私の友達に手を出そうという愚か者は」
夢魔はいやらしい笑みを浮かべた。
「今回は鬼共らしいぞ。それもずいぶん多く集まっているらしい」
「そう。じゃあ返り討ちにしてあげるわ」
しかしはなは怯えるどころか、不敵に笑った。鬼はたしかに強いが、苦戦するほどの実力をもった鬼はここら辺にいない。弱い鬼が集まったところで所詮は烏合の衆。はな一人でも十分である。
「おお、怖い怖い。流石だなあ、姫様を出すまでもないということかい」
大げさに体を震わせる素振りをみせた夢魔だったが、不意に真剣な顔になった。
「それでも今回のお前のいれこみ具合を見ているとちょっと心配だな。
……なあ、もうわかっているだろう。人間と俺たちは違うんだ。どんなにお前が人間にすり寄ったところでいつかは離れていくだろうし、お前が人間たちに寄れば寄るほど、俺たち側の奴らは離れていく。いつまで律儀にあの坊主の言いつけを守る? どちらにも属せず、たった一人でいるのは空しいじゃないか」
珍しく優しい、まるで聞き分けのない子に言い聞かせるような声だった。
「それは同じ爪弾き者としての言葉かしら」
せせら笑ったが、夢魔は表情を変えることなく続ける。
「ほどほどにしておけ。お前みたいに人間と仲良くしたがる妖怪もいるが、そいつらには同じ仲間がいる。対してお前は同じ境遇の仲間がいない。それにお前のいれこみ具合は見ていて不安だ。今回はあまりに距離が近すぎる」
夢魔は言いよどみ、少しの逡巡の後、再び口を開いた。
「あまりいれこみすぎると、裏切られたとき」
「いっちゃんは裏切ることなんてしないわ」
あまりの言い方に口を挟んでいた。夢魔は目を見開き、気まずそうに咳払いする。
「とにかく、いれこみすぎると別れのときに辛いだけだ。姫様もいい顔はしないだろう。下手すれば、どちらにとっても望まぬ結末になるぞ」
「ご丁寧にどうも。でも無用な心配よ。あなたはさっさと夢の中に帰ったら」
ひらひらと手を振ると、夢魔はため息をついた。
「俺は忠告したからな。何があっても知らないぞ」
そう言うや否や、夢魔はふわりと空気に溶けていく。途端に周りが静かになった。
「大丈夫よ、きっと」
ぎゅっと手を握りしめて呟く。眼下に広がる森には仄暗い霧が忍び寄ってきていた。
「あの半端者めが住処にしているのはこの山であっているのだろうな」
「オレが暮らしてイタ場ダ。間違いナイ」
しわがれた声をだすのは大猿だ。白髪混じりの赤茶色の毛に鋭い爪、しわくちゃの赤ら顔、金の瞳が闇に光る。
新月の夜、森の中で異形の者たちが蠢いていた。
「今日こそあの調子のりの半端者に痛い目をみせてやろうではないか」
「なに、あのはみ出し者が可愛がっているのは若い娘だそうじゃないか。我らでちょいと痛めつけてやれば、関わろうともしまい」
「なんだったら奴が我らに頼んできたでも言おうか。友に裏切られたとあれば、その恨みも大きくなるであろう」
そりゃあいいと下卑た笑い声が響き渡る。
「だが、このような晩に娘一人が出歩くこともあるまい。どうやっておびきだすのだ」
「馬鹿野郎、今すぐ襲いにいくわけじゃねえ。明日あたりに俺がちょちょいと僧にでも化けて、道を聞くふりでもして森の中に連れこめばよい。娘は昔、かなりのお転婆だったそうだから、森に入ったとしても何も疑われないだろう」
げらげらと笑うのは大入道だ。滑らかな頭とは対照的に好き放題伸びている無精ひげが余計に粗野な印象を与えていた。
「そうと決まれば、早速準備をしようではないか」
化け物たちは顔をつき合わせ、話し始めようとしたそのときだった。
「あら、ずいぶんと楽しそうな話をしているのね。私も混ぜてもらえないかしら」
闇夜にそぐわない、鈴をふるような声が割り込んできた。彼らが一斉に振り返ると一人の少女が笑みを浮かべて佇んでいる。ただしその目は地獄の閻魔もかくやというほどに冷え切っていた。
「なぜお前がこんなところに……今日は別のところに出かけているはずではなかったのか」
「小鬼だけじゃなくて、大入道、狐に狸、猿までいるじゃない。まったく杜撰な情報網ね。今度会ったら、小言の一つや二つ言わないと気がすまないわ」
うろたえる化け物たちをよそに、はなは集まった化け物たちの顔を一人一人確認していく。
「相変わらず小さな脳みそだこと。偽の情報を掴まされたとも知らず、まんまと集まってくれるなんてね。ま、探しにいく手間が省けたのはいいことだけど」
嘲りを含んだ笑みに化け物たちは激昂した。
「言わせておけば……この半端者め」
「我らのように人ならぬ特徴をもつわけではなく、おどろおどろしい姿に化けることもできぬ。人とさして変わらぬその姿だというのに、持つ力は禍々しい。化け物とも人とも呼べぬ半端者めが人間のように振る舞うなど甚だおかしいだろう」
「そうだそうだ。我らはお前に騙された哀れな娘を諭し、あるべき関係に戻そうとしているだけだ。むしろ感謝してもらいたいくらい……ギャアアア!!」
突然悲鳴が沸き起こる。小鬼の一人が腕を押さえて転げまわっていた。悪意のある笑みが苦悶の表情へと変化し、情けなく腕が、腕がと泣き叫ぶ。その足元にはきれいにとれた片腕が芋虫のように無造作に転がっていた。何が起こったのか分からず、化け物たちは恐怖に慄いた。
「感謝、感謝ねえ。頼んでもいないのに、あなたたちはいつも変な気を回してくれるわ。普段であればここらへんで見逃してあげるんだけど……今回はいっちゃんに手を出そうとしたからね。ちょっと手厳しくしようか」
にっこりと笑っているというのに寒気のする笑みだった。震える体を𠮟咤するように大入道が睨みつける。
「ふん。ここに集まったのは百近くもいるのだぞ。お前一人で防ぎきれると思うのか。夜は我らの世界だぞ」
「ふふふ、あはははは」
それを聞いた瞬間、はなは腹を抱えて笑い転げた。
「な、何がおかしい」
はなは笑みを崩さず、苛立つ大入道を見据えた。あまりに冷たく昏い瞳に化け物たちはぞくりと身を震わせる。はなの足元から夜より深い黒い刀が現れた。
「一体いつから夜があなたたちのものだけだと思っていたの? 夜は私の世界でもあるのよ。いいわ、かかってきなさい。誰に喧嘩を売ったのか教えてあげる」
地響きのような雄叫びが上がる。だがはなは怯えるどころかそれを嘲笑った。と、その瞬間、化け物たちの足元から無数の刃が飛び出した。
すでにはな以外の者は立っていない。こんなものかしら、張り合いがないわね、とつまらなさそうに全体を見渡したときだった。
「この地はオレが初めに見つけたノダ。出てイケ」
呻き声に足を止める。振り返ると、一頭の大猿がこちらを睨みつけていた。
「ああ、もしかしてあなた? 私が今住んでいる村を壊滅させたのは。ごめんなさいね。気配を感じなかったからもういないものだと思っていたわ」
はなはゆっくり近寄っていく。その頭を鷲掴むとにっこりと笑った。だが底冷えする瞳は大猿を捕まえて離さない。
「ま、あなたとあの村がどのような関係にあったのかしらないけど」
はなは顔を近づけて囁いた。
「化け物なら化け物らしく力づくで奪いにきなさい。それができないなら無様に逃げ帰ることね。――次に手を出したときはその命を貰うから」
その小さい脳みそに叩き込んでおいてねと無垢な少女のように笑う。しかしそれはかつて夜を支配したあの怨霊の姫を思い起こさせるような冷たい笑みであった。
「相変わらず学習しませんね。はな様から仕掛けてくることなどないのですから、放っておけばいいものを」
「暇なんじゃなーい。下手に歳ばっかりくって、相手を貶めることしか能のない子たちにかまうほど私は暇じゃないんだけどなあ」
ぴょんぴょんと遊ぶように軽やかに歩くはなの足元には、毛むくじゃらの腕やら血がこびりついた尻尾やらが散乱している。
「まあ、彼らは姫様が出なかっただけ運がいいですよね。はな様はお優しいので命だけは助かりますし。これが姫様でしたら、問答無用で皆殺しですよ」
「命までとるとまたいろいろ面倒だしね。わかってくれればそれでいいもの」
ちらりと足元の塊に目をやる。
「ま、放置するといっちゃんたちが怖がっちゃうからね。これは処分しておこうか」
ズズズと鈍い音を立てて、変わり果てた“モノ”が闇に沈んでいく。はなはそれを氷よりも冷えた眼差しで一瞥すると、振り返ることなく歩いていった。
残ったのは血に濡れた枯草だけである。
余談ですが、江戸時代の妖怪たちの価値観は人とは逆転しており、たとえば私たちの中で醜いと感じるものはむこうでは美しいと捉えられるようです。また一つ目であったり逆に多くの目をもっていたりなど、人からかけ離れた容姿のほうがいいとする価値観もあったそうです。
ですから人間とあまり変わらない姿のはなが嫌われやすいのも当然かもしれません。
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