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ギタリスト

あるギタリストさんがとても好きだった。

私は音楽について何か言えるほど詳しくないのだけれど、
ふと聞こえてきたギターの音が、好きだな、と思うと彼だったり
そういうことが重なって、自分は彼のギターの音がとても好きなのだと知った。琥珀色のサイダーみたいな、透明な中に陰影のある響きだ。光る泡のように立ち、甘くて、少し苦くて、深く響いて沁み渡っていく。

彼は突然いなくなってしまった。
嫌になっちゃった、ギタリストってなんだろう、って、苦い微笑みのような言葉を残して。

いなくなってはじめて考えたのだけれど、ギタリストでいるということはそんなに簡単なことではないのかも知れない。
どんなことでも、決まった評価もなく保証もなく一人で続けていくことは大変なことだ。そして、現実に生活していくことは、ただそうしているだけでも大変なことなのだ。それでもギタリストでいようとすることは多分簡単なことではない。

でも、やめることも簡単なことではないのではないかと想像する。
あの音から離れることなんてできないんじゃないか、奏でるあの音を体から忘れ去ることなんてできないんじゃないか。
通りすがりの観客である私でさえ、あの響きをまた聞きたくて切ないのだ。
彼は離れられない、
触れる指の 抱える腕の中の 身体ごと流れを乗せる旋律の波、自らが鳴らす音が響く耳の底の 震え

彼は忘れられない。だから
私が巡り合えないだけで、今はまた、どこかで弾いているのかも知れない。
巡り合いさえすればきっと分かる。名前が変わっていても、音を聞けば分かる。というかまたきっと好きになる。いつでも繰り返し出会うたび好きになってきたのだから。甘く、少し苦く、透明な昏い光の、琥珀色のサイダーみたいなギター。

ギタリストってなんだろう、と言ったけど、
ギタリストってそういうこと。

彼はきっと微かに苦く笑うのだろう。

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