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*創作* 風と薄荷

その日は朝から風が強くて、空がとても青かった。
窓を開けた。少し冷たい風、不思議な、いい匂いがする。何か新しいことがはじまる時の、わくわくした予感に似ていた。
突然、玄関の呼び鈴が鳴った。
彼女は天使のように笑って、大きなボストンバッグと緑の葉っぱの鉢植え抱えて、ずかずか部屋に入ってきた。もう三年近くも会っていなかったので、どうしたの、どうしてたのよ、と聞いても、彼女は答えなかった。
喉が渇いたと、勝手に冷蔵庫からアイスティーを取り出して、コップに氷を入れながら、彼女はハミングのように言った。
外国に行くの。あっちこっち旅行して、もう帰ってこないつもりなの。
昔から彼女の計画はいつも思い付きで、とてつもなく無謀だった。でも、きらきら光る強い瞳に、どうにもならないことやつらいことを忘れて、誰もが彼女が語る未来の物語に憧れた。
彼女は鉢植えの葉っぱを何枚かちぎってコップに入れた。
透き通った香りがした。
薄荷なの、持っていけないから、庭に植えてよ。
薄荷って雑草みたいにはびこるのよね、と言うと、すてき、庭が薄荷であふれちゃって、道端にまではびこるといいよね、この辺りが薄荷だらけの丘になったところを見に、また来るね。
帰ってこないって言ったくせに。
滑走路を走るセスナのようにすっ飛んでいく後ろ姿を、見えなくなるまで見送った。また会えるね、いつかの朝、また突然呼び鈴が鳴るのを待ってる。そういう未来の物語を待っている。
予感のように、ペパーミントの丘を吹き抜ける風の匂いがした。


*このショートストーリーは、ある紅茶メーカーの広告としてある雑誌に過去掲載されたものです。

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