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「ミワさんなりすます」を読んで。

注意:ネタバレは無料で読める第一話の内容についてしかないですが、読んだ人にだけわかるネタがあります。それすら嫌な人は読まないでね。

あなたは人生を大きく揺るがすほどの推しに出会ったことはあるだろうか?
“推し”とは各々に、己の生きる糧、理由、道標…色々な言い方はあると思うが、なんだって良い。とにかく大好き。愛してる。
だがしかし、手の届かない存在。でも、もし何かの間違いで出会っちゃったりなんかしたら…?キャーーーー!!…って妄想、推しがいる人はしたことがありますよね?
この質問に、目の奥が痛くなるほどに強く瞳を閉じ、噛み締めるように頷いたそこのあなた。うんうん、わかりますよ、同志よ。
そんなあなたに、ただ今ビッグコミックで連載中の作品「ミワさんなりすます」という漫画を強くオススメしたい。

※電子書籍でも単行本でも買えるし、マンガワンであれば毎日一話ずつにはなるが無料で読める。今度5巻が出るよ!!

下記、公式のあらすじを拝借。

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映画マニアのフリーター・久保田ミワは、敬愛する国民的俳優・八海崇が家政婦を募集していることを知る。八海邸へ偵察に行ったミワは、偶然の事故により、マネージャーに本物の家政婦と間違えられ、その日から“なりすまし”家政婦として、彼の家で働くことになってしまう。
“推し”への愛ゆえに犯してしまった、なりすましの罪は、許されるのか…⁉︎
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このあらすじを見て、羨ましい…と思った人はまず読んでみていただきたい。
読みはじめは「いいなぁ〜」という感想を抱くと思うが、話が進むにつれ主人公のミワさんになったような没入感が味わえる不思議な作品だ。VRじゃん…と思った。自宅にVRヘッドセットが2台もある私が言うのだから間違いない。もちろん、個人差はある。

こういうやつ。

では、何故こんなにも臨場感があるのか?興奮を抑えて冷静に3つの要因をほじくり出してみた。

まずひとつ。この作品には、なりすましという犯罪行為に対する後ろめたさや、バレることへの恐怖が常にあり、サスペンス要素が含まれる。そうやってミワさんと一緒になってドキドキハラハラしているうちに、自分自身に起こっていることような気になるのだ。

ふたつめ。ミワさんが想いを寄せる国際的俳優・八海崇(53歳)がナイスミドルすぎる点だ。も〜ファッフォイーーー(かっこいーー!)!なのだ。なにゆえ私は八海崇が居ない世界に生まれてしまったのかしら?
正直、ちょっとご都合主義な展開もあるにはある。だが「八海サマがいる世界線だしな。」と納得がいってしまうので可笑しい。まさに海。海を前にしては、我々はその波に身を預けて漂うしかないということらしい。ネタバレ無しで八海サマの素晴らしさについて語るのは私の文章力では難しい。読んでくれとしか言いようがない。

最後のみっつめ。はじめに書いた通り、自分にも同じように推しがいるからだ。簡単なことだ。ストレートな感情移入。
ミワさんの八海サマとの対峙の仕方がやたらリアルで、嘘っぽくないから余計に魂が乗り移ってしまう。

話は逸れるが、私の推しは香川照之である。
彼の演技はすごい。特に「ゆれる」での日常における、どこにでもある欲、嘘、真実、憐れみ…。「ゆれる」での香川照之の演技を見た私は、素手で魂を掴まれて、切り開かれて、丁寧に部位ごとに分けられたかと思えば、まあるくひとまとめにされ、そっとつままれたのち、投げ捨てられるのか皿に置かれるのか…みたいなそんな感じになった。あの、あの演技はただただ凄まじい。私も自分が何を言ってるかわからないが、とりあえず香川照之の象徴的な作品だと私は思う。


香川照之は「自分の中にないものは演技に出てこない」というような俳優論だったはずだ。何かのインタビューで言っていた。(確か、小日向文世について話した時に言っていた気がするんだけど…。)
だから、彼の中にあるものと煮えたぎる怒りなのか(褒めてる)、卑しさなのか(褒めてる②)、優しさなのか、諦めなのか(褒めてる③)、まっすぐな愛なのか、はたまた歪んだ愛なのか(褒めてる④)…。何が詰まっているのか不明な底知れぬ魂に、興味を持たざるを得ないのだ。

かと思えば「鍵泥棒のメソッド」や「キサラギ」のようなコミカルな演技もできる。でもコミカルなだけじゃなくて、画面の外の人生を感じる演技だと思う。

そんなところがかっこいいと思う。

だいぶ逸れちゃった。どれくらいLOVEなのか伝えたくなってしまって…。少し話を戻す。

私もミワさんが八海邸を偵察したのと同じように、歌舞伎役者御用達の(知っているとは思うが、香川照之は歌舞伎役者・市川中車としても舞台に立っている)某喫茶店へ偵察しに行ったことがある。付近をウロウロしたが、結局ドキドキしすぎて入れなかった。
でも、ミワさんは八海邸に入った。八海サマと交流するチャンスを掴んだのだ。つまり、この作品は、あの日の私をカタルシスへと見事に誘ってくれたわけだ。
カタルシスと言っておきながら、別に、香川照之と話してみたいわけではない。でも、何か満たされるものがあった。

これだけ推しについて語っておいてなんだが、最近はいわゆる“推し活”は全くできていない。生活環境が変わって、ゆっくりできる時間が減ったのと、テレビを地上波につなげていないため、最近の作品はほとんど見なくなってしまったからだ。
足繁く通っていた歌舞伎座にも数年行っていない。(でも最近の報道のことはもちろん知っている。やったことは悪い。しかし、彼が名優だということは変わらないというふうに考えている。)
正直、もう追いかける体力がない。友人は興味が移り変わったり分散しただけだから仕方ないと言うけど、たしかにそうだと思うんだけど、なんだか寂しい気持ちがあった。
ちなみに約7年前の香川照之の誕生日には私なりの精一杯のお祝いの気持ち(?)として、こんな動画を投稿している。

この得体の知れないエネルギーは、一体どこに行ってしまったの?

しかし「ミワさんなりすます」を読んで、あの時の情熱と行動力を少し思い出した。それでこの感想文を書くためだけにわざわざnoteをインストールした。普段なら適当にインスタやTwitterを見てボーッと過ごす時間を、あの頃のように推しに捧げられたわけだ。
ありがとう、「ミワさんなりすます」。私の得体の知れないエネルギーの残り火に、再び薪を焚べてくれて。これを書き終えたらまた微かな灯になってしまうかもしれないが、形に残せただけよかった。

ただただ「ミワさんなりすます」の続きが楽しみ!楽しみがあるのは良いこと。何様という感じだけど、是非読んでほしいー!

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