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「暮らすこと」についてこの頃私の思うこと


「暮らし」が好きな人と、あまり得意ではないという人がいると思っている。

私は、自分でも意外だったのだけど、「どちらかといえばかなり暮らしが好きなほう」であることを20代半ばになってから自覚した。


実家にいた頃は全然違った。

「暮らし」や「日常」って、できれば意識していたくない、心の奥底にモヤモヤと濁った澱(おり)がたまっていくようなものだと思っていた。

だから、望めば非日常へのキップが定期的に手に入るような仕事(俳優)に憧れたんだと思う。


一人暮らしを始めて、自分の「家」を構築していく楽しさを知ってから、「暮らし」意外と悪くないかも?と気づいた。

舞台を観に行くより、ふとんのシーツを洗濯してスーパーに買い物に行くことを選んだある休日に、その事実が胸に下りてきたような記憶がある。


舞台や演劇って、非日常だ。

関わっている以上、どこかで日常を、「暮らし」の営みを手放さなきゃいけない部分がある。


プロの俳優さんは凄い。

家でごはんを作ったり、子育てをしたり、パートナーと家事や家に関する雑務を協力して済ませたり、そういうモロモロと非日常の「演技」や「創作」を両立するのは、かなり大変だとこの歳になって痛感する。

俳優さんじゃなくてもそう。

全部を全部、心残りなくやりきれる人ってたぶんそんなに多くなくて、みんなどこかで何かを諦めたり、手放したり、誰かに託したりしながらやってるんだろうなぁと思う。


最近、ちょっとそのへんの兼ね合いがヘタになってきた気がする。

いや、もともとうまくできていたというわけではないのだけど。

楽しいのだ。非日常が。


非日常が楽しいのは別に悪いことではなくて、ただ、非日常が楽しいと日常に戻ってくるのが難しくなる。

平日についぼーっとしたり、疲れて半日起きれなかったり、帰るのが遅くなったり、ごはんが不規則になったり。

日常楽しい、のフェーズに戻るのに時間がかかるし、一度戻ってもまた非日常に心奪われて、いろんなことが手につかなくなったり。


でもこれって、前からそうだったのかも?

2024年の個人的な目標に、「自分の中のオタクを目覚めさせる」というのがあった。

非日常に焦がれるのは、オタクの生態に含まれている分野だ。
私にとって、今これが「沼」なジャンルだということでは?


だとしたら……だとしたら、「取り戻した」って思っていればいいのかな?


健康的な自炊ごはんでなく不規則なジャンクごはんを食べることにモヤつくのは、ちゃんと自炊できる習慣がついた証拠。

今は種を蒔いて土をかけて水をしゃわしゃわ降らせる時期なのだから、多少「暮らし」にプレが出るくらい、どうってことないのかもしれない。

イヤなら少しずつ改めればいいけど、なんだかんだこの中途半端な状態が今は楽しくもある気がする。
模索中、という感じ。慣らし運転中?


それに「暮らし」は、やろうと思えば何年も何十年も、同じように続けていけるものだ。

焦らずに、今は非日常のスパイスを楽しみながら、私なりに新しい形の「日常」を組み直していくしかないのかもしれない。

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