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好きなブログが閉鎖した


大好きなお気に入りのブログが、閉鎖した。


そのことを知った時点で、閉鎖するまであと数日。

そこからは、いろんなことを放り出してそのブログの記事をひたすら読み返した。

ごはんを食べてブログを読んで、食器も運ばずブログを読んで、お風呂に入らずふとんに潜ってブログを読んで、夜更かしして読みまくる。

一人暮らしじゃなくても、学生じゃなくても、自分の気持ちにうそつかずにやりたいことをやっていい。

大好きで、最近の自分の気持ちの指針となっていたブログ。

閉鎖するのは書いているご本人の自由。
記事を全部削除するというのも自由。
むしろ、消す前に教えてくれてありがとうと言いたいくらい。

だから、あらゆることよりも、そのブログを読み返して自分の中に落とし込むことを優先した。


会社員じゃないからそんなことができる、とか、社会人なんだから自分のやらなきゃいけないことに責任を持て、と言われそうな行為(主に母親などに)。

でも私、会社員のときもこういうことしてた。


大好きな推しがもうすぐ卒業するという事実がある夜突然受け入れがたくなって、夜中までふとんの中でもだもだした挙句、明日は会社休もうときっぱり決めた。

病欠でもなく、卒業を知ったショックでとかでもなく、大事な日だからというわけでもなく。

ただただ、推しへの自分の心と向き合うために会社を休んで、その日はひたすら推しの出演映像を観て泣きながら過ごした。


会社員としての責任感は、確かになかったと思う。

私がいなくても回るような仕事で、だから頻繁に人が入れ替わっている会社なんだってその頃には気づいてた。

でもそれは理由にはならない。

というか、理由なんてものは無くてもよくて、私たちはいつだって自分の気持ちに正直になって責任を放り出す自由がある。

それをしてある程度信頼を失ったり、居場所を失ったり、するかもしれない。


じゃあ、何のために生きてるのかって考えたら?

たった一度の行動で信頼や居場所を失ってしまうようなコミュニティにしがみつきたいのか、それとも自分の気持ちを大事にするのか。

生きる主軸がどっちにあるのかって考えたら、自ずと答えは出ると思う。


その後の自分の人生に必要なのはどちらか。

考えて、そのとき大事にしたいほうを大事にするのがいいかなって思う。


最後の数日の追い込みで、1000を越えるブログ記事を2周した。

ブログは、宣言されていた期日であっさりと消えた。



一抹の寂しさをにぎりしめて、でも、この数日間でひとつのブログを読み込みまくったのって、たとえば夜通しドストエフスキー読むみたいな、不思議な重量感と達成感のある経験だったと思う。

今までありがとうと、これからも応援していますの気持ちを込めて。

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