「学校図書館司書 不要論」 秋の日の図書館のインクとノートの匂い

このタイトルはペギー葉山さんの大ヒット曲
「学生時代」の中にあるフレーズだ。

♪「つたの絡まるチャペールで」の歌い出しで
思い出される方もおられよう。

今朝、西日本新聞で下記の記事を見た。

「学校司書を考える 図書館の「心の支え」
なぜ消えた」
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/576852/

「悩む生徒…図書館司書に「命を救われた」
不要論へ憤りも」

 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200120-00010002-nishinpc-soci

私は学校取材をする時に「図書館」が
その学校でどういう役割を担っているのかを
重視している。

もちろん、蔵書数や環境もそうなのだが
それよりも、司書教諭がその学校方針に基づき
どのような本を収集し、どのように生徒に
還元しているのかを見ている。

要するに、学校の「知に対する愛」をチェック
しているのだ。

大体、それだけでも、学校の持つ文化度が
大まかにつかめるのでは?と思っている。

更に、もう2点、重視している。

ひとつは、司書教諭がその仕事をどのように
日々、感じているか。
そこに学校愛があるか。
もちろん、専任かどうかも重要だ。

・司書教諭は職員会議にも入っているのか
・学校トップに進言できる機会があるか

会話の中で、それを探っている。

そして、一番、重要なことがこれだ。

・生徒を知っているか?

「いい学校だな」と感じる学校の全てに
これがある。

担任でも学年団でもない「職」にある
学校関係者が「生徒を知っている」。

司書教諭であればなおさらだ。

「逃げ場」としての受け皿となり得ているか?

ある学校で、こんなことがあった。

中2の時のクラス分けで、馴染みの友人が
全くいないクラスになってしまった子の
証言だった。

「自分以外は既にグループが確立していて
クラスからは孤立。前のクラスの友人の
ところに行ったら、そっちはそっちで既に
固まっていて、入る場所もなく、完全に
居場所を失いました・・・」

「それで、お昼は図書館に逃げ込んだんです。
その時、司書の先生が特に理由を聞くでも
なく、普通に世間話をしてくれたり
『この本、面白いよ!』って勧めてくれたり

ついには『帰宅部会』っていう、ゆるい
サークルを主宰してくれて、学年問わず
その先生の周りで、何となくまったりする
部活をやってくれたんですよ。

もし、それがなかったら、私は今、この世に
いないかもしれないですね・・・」

しかし、この司書教諭は先の記事にあるような
感じで退職を余儀なくされたと聞いている。

もちろん、この学校の人気は低迷しっぱなしだ。

私は、教育には「余白が大事」だと思う。
何故なら「余白こそが文化」だと思うからだ。

余白自体は何の実績も上げないので
なくても困らないと思われ、簡単に削減対象
になりやすい。

けれども、一度、切り離してしまった
「文化」を取り戻すのは容易ではないのだ。

私がめちゃ好きな先生がいる。

司書教諭ではなく、理科教諭だが
実験準備室ってなところを根城にし
私が行くと、フラスコでコーヒーを淹れ
ビーカーで飲めと言う。

生徒が用もないのに、雑談しに来て
他愛ない話をして帰って行く。

私は学校で「余白」を感じた時、たまらない
魅力を感じる。

これって、何なんだろうなぁって思って
いたのだが、これだと気付いた。

「秋の日の図書館のインクとノートの匂い」

多分、私は学校全体を覆っている“風”を
感じて、そこの余白の部分に心地良さを
得ているのだろう。

学校は己の「文化」を大切にしないと
いけない。

効率が、対前年比が、無駄が、削減が
ということが会議の矢面に立ち、
切り捨てるように思える「学校経営」。

真っ先に、消えるのは「余白」なんだよ
なぁと溜息をついている。


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