悟空伝と孫悟空伝

はじめてのnote投稿がコレって、自分でも自分がどうかしてると思う。

そもそも、悟空伝と孫悟空伝、ふたつが全然違うことも、こないだまで知らなかった。題名省略してるだけかと勝手に思ってた。
なんでか、どっちも二郎神がめっちゃ濃厚に関わっててオリジナル色満載で「こりゃ西遊記とは呼べないな、だから悟空伝てわけか」と妙に納得。
(でもって、濃厚に関わってるらしいと知ったのでわざわざ観たわけですよ)

悟空伝。
過去に一度観ていろんな意味で感情掻き回されて、でもまあとりあえず自分の中で「これもエンタメのひとつ」と思い出の形にぎゅっとたたんで、心の引き出しの中にぽいして、それで終わりにした筈が、すごくどうでもいいきっかけでDVD買って観直して、やっぱりどうしても叫びたくなった。
ついったでは一度に140字という制限が付くので、あーだのこーだの言いたくてたまらない煩い婆には実はひどく使い勝手が悪い。ツリーで繋げてきゃいいだけだが、それもうざい。
どうせうざいならと完全に開き直って、ええい別アプリに繋げちまえ、と携帯でついったと連携し僅か数分で、完全な出来心で登録した。しかしいくつかの機能はどうやらPC推奨とあるので、自室でPC立ち上げてヘッダ画像とプロフィールだけ埋めた。

こんくらいのスピード感で普段から原稿しろよおまえ!

で、悟空伝。
たぶんネタバレかます見込みなので、もし!興味がわいてこれから観ようと思ってる(+ネタバレがイヤな)ひとが居たら、点々より下はみないでください。ちなみに一応軽く、ネタバレ無しで紹介すると、
「もの凄いオリジナル設定でめちゃくちゃ唐突に始まる」
「悟空が天界(と言っておこう)で暴れる話」
「楊戩(ヒロインには「二郎さん」と呼ばれている)が準主役」
「上聖天尊」とゆー女帝が三界を支配する世界」
「捲廉、天蓬も出る。ただしあくまで名前のみで設定は異次元並に違う」
です。
あと作品自体をディスるつもりは欠片もないです。ありがたく愉しんでます。でもやっぱ感想は感想として否定的なことも失礼なこともたくさん言うと思う。純粋に好きなひとにはすみません。否定意見ダメな方もここでUターンで。

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さてぶっちゃける。
初見のときは混乱してたのであんまりはっきし自覚しなかったのだが、今回二度目のため明確に己の感情を「理解」した。
ヒロインが猛烈邪魔。(←さっすが!生粋の腐女子って感じの感想)

いや。もちろんヒロインが居ないとそもそも話進まないんだが、ヒロインの一挙一動が悉くストーリーの流れをぶった切ってると感じる。
冒頭、暴れる悟空を楊戩が止める形で登場し、迫力ある見せ場になったところを、ヒロインの横やりで途端にコミカル&ギャグに戻る。多分よくある「ギャップによる場面転換」で、シリアスからギャグやほのぼの空気が急にさしこまれて笑いを取る効果を狙ってるのだろうが、個人的には「うわこのヒロイン空気よまねえ」としか感じず、笑うどころかいらつくだけだった。以降も基本ヒロインの挙動は万事上目線&傲慢。多分「生意気でうるさい子だけどなぜか憎めない、ほんとはとても優しい娘★」を演出しているのだろうが、「生意気でうるさく憎しみしか感じない、都合のいいときだけ楊戩に頼るくせに悟空をペットみたいに扱って手元に置きたがる厄介な娘」にしか思えない。うおお。もうちょっと演出どうにかならんかったんか。

実は、こういう感想は悟空伝だけではない。申し訳ないが、中華のドラマはわりかしこの(個人的に)空気よまない傲慢系のヒロインがすごく多く、大陸のひとたちのヒロインの好みって?と疑問符つくことがしばしば。たとえば自己主張ほとんどしない空気みたいなヒロインや、同じ自己主張でも主人公に寄り添おうとする自己犠牲的な主張のヒロインってほとんど見ない気がする、もしかして大陸のひとたちはそういう性格好まないのかね?社会構造の差かな?

社会構造で思い出したけど、「なんだかんだで中国アニメはまだ日本のアニメには真の意味でおいついてない。少なくとも二次元アニメは。何故なら中国は一党独裁で完全管理&検閲社会なので、ぶっちゃけると「多様な世界観」というものへの想像力が欠如気味。だから面白い作品がない訳ではないが枠を越えてくるようなものはない」というような意見をちら見して、なるほどとちょっと納得した。
偏見かもしれない。大変ごめん。でも、日本の漫画アニメはものすごく裾野が広くて、時には「こんな世界があるのか」と心底唸ってしまうような作品がちょこちょこあって、時にはそれに学ばせてもらったりもするのだが、…中華のそれは、まだ色々ちょっと(無礼な物言いですいませんが!)底が浅いというか、たとえば感動系で「ここで泣け!」と言ってるのがすぐ判るとしらけちゃう話とかあるじゃん。似たような話でも泣けるのと泣けないのがあるけど、それって如何に視聴者(読者)を同調させるか、にかかってるわけで、要するに同調のさせかたがまだ青いのが多いかな、って感想です。すっげえらそうでごめんなさい!!

話がめっちゃそれた。
ともかくヒロインは…始終いらつく存在ではあるのだが、でもすげえ美人で見応えはバッチリで、いっそ絵画のように愉しみました。眼福。
後半はわりかし素直に可愛いです。傲慢さは相変わらずだけど、ヒロインとしての役目はしっかり果たす。しかし最初っから最後まで、楊戩のことは使い捨て便利マンにしといて悟空にばかりべったりだったな。おかげで楊戩はすごく宙ぶらりんな立ち位置でめちゃくちゃ気の毒だった。

んでね。この話の何がいいって、悟空がまともなイケメンってことだよ。
(それかよ)(それだよ)
ついったでも言ったんだけど、わたしはとても偏屈なので孫悟空というキャラを等身大サルとして表現されるのがすきくないのです。ホンモノの孫悟空でありのまま愛さないのに好きだなんて言うな!て怒られそうだけど、だってリアル大人等身大の顔だけサルってホラーみたいでこわいじゃん。
慣れれば観ることもできるけど、できればどうせ物語の世界、自分の萌えるように好きに想像したい。小説って素敵だよね。文字の向こうに自分の好きな世界を広げられるんだぜ。原作が小説でよかった。

あ、京劇は、あれはあれで文化のひとつとして好きです。でもあれは京劇であって孫悟空そのものの映像化ではない。デフォルメされた舞台の中のキャラクターだからいいのであって、ドラマとかであのまま動かれると、スターウォーズの酒場に出てくるモンスターにしか思えないんだよ、話にぜんぜん集中できない。化け術あるでしょ!まともな人型に(贅沢いうなら可愛い子に!)化けといてよ!といつも思う。

まあともかくも、ヒロインに苛立ちつつも(笑)終始ほほえましく画面を見守ることができるのはわたしにとってとても大きい利点です。
なかなかいいぞ、と思ったのは、緊箍棒の表現の仕方。自在(如意)に伸縮するのをCGで溶岩のようにして、最初なんて耳から溶岩ドロドロ出して棒の形にして、はーこういうのも有りかーって感心した。
それにしてもアクションがど派手ですっごい観てて楽しい。

捲廉、と呼ばれる男を三枚目の役回りにしてヒロインの周囲をうろつかせたのも面白かった。むしろ八戒の役目だったよねそれ(食べ物には執着してなかったが)。でもって天蓬と呼ばれる男は黒幕女帝のイケメン護衛?で冷徹そうな役回りとなっていたが、後半は嫦娥のキャライメージを引き継いだ準ヒロインが出張ってきていちゃらぶになった(原作では単に天蓬元帥が嫦娥にちょっかいだして騒ぎになってそれのせいで天を追放されたとしか説明されてないので両思いだったかどうかはみんなの想像で!)
なので、実際は捲廉と天蓬ではなく八戒未満と八戒エピ使ったイケメンオリジナル、という感じです。どうせなら天蓬のほうを捲廉て名前にすりゃもうちょっとすっきりした気が…ああでもそしたら嫦娥ネタにならんのか。

楊戩。結局このひとはどこまでも秩序の側に立つ。
そして常に葛藤と共に在る。諦めて情を捨てる。だが捨てきれない。そういうところがとてもイイ。二郎神エピソードの「桃山に母親が下敷き」てのはそのまま使われている。てか今でも下敷きのままで出してもらえないらしい。うおおい、出しにいってやれーー(この話じゃダメらしい)。
また、楊戩の父親が人間だったことがいつまでも汚点として語られる。父親の影は作中どこにも見えない。丸無視。もう死んでるのかも(100年天にいるって言ってたし)。
ヒロインと幼なじみで、昔はヒロインのわがままに相当振り回されてたらしい。言われるがまま何でも助けに入る楊戩。そして一緒に怒られる。冒頭でもヒロインの助けに応じて暴れる悟空を制しに入ったわけだけど、悟空と一緒に罰で鎖に繋がれてしぶい顔してるのはかわいかった。
(そして悟空は、同じく鎖に繋がれたままもう一戦やろうと挑発しててそれもそれでまあ悟空らしくてかわいかった)
みどころは、悟空と対決するとき、このひとだけが悟空と対等にやりあえること。うーん、だからヒロインが邪魔なんだよね(この腐女子め!)
最後、楊戩は完全に神の側に立ち、悟空は「妖魔」として地上に立った。(一度は共闘したにもかかわらず)ふたりは永遠に敵同士として分かたれた。そこで物語も終わってしまうのだけれど、…もともと無茶苦茶空中分解してる設定ではあるが、もうちょい、締めをきっちりやってほしかった感があってすごいもやもやする。楊戩、新しい秩序を取り戻しても母親助けにいってなさそうだし。二郎さん、そういうとこだぞ…。

ところでこの悟空伝は、最後悟空が「再度地上に転生し直して」戻ってくるときにごく一般的な孫悟空の造形、いわゆる「リアルサル顔」になるのだが、あそこまで猛烈オリジナルかましといて、そこでそれに戻るの必要?とちょいしょんぼりしてしまった。確かに本来はサルだししょうがないんだけど。どうして最後まで人型のままにしとかないのか、別に人型でよかったのに(大陸のひとたちはそれじゃ「孫悟空」じゃないからイヤなのか…)
でもリアルサル孫悟空っていうなら、いっそ身長120センチでやってみてくれないかな、それは見たことないんだよね。(あっ昔ベトナム版西遊記で子供が演じてる孫悟空があったな、あれはちょっと可愛かったな)

うーん、でも、醜いリアルサル顔で120センチのチビか。指輪物語のゴラム(ゴクリ)みたいになるのか?それはそれでこええな…

とまあ、ぜんぜんメジャーでもなく別段近日公開されたわけでもない斜め上的な西遊記オマージュ作品に対して、ここまでぐだぐだと語れるのはある意味すげえな、と自分で自分に感心する。睡眠削ってまで書くことか?

でもおかげで大分気が済んだ。寝ます。
(原稿ーーーーーーーーーー)


追記。孫悟空伝と悟空伝て題名にしときながら悟空伝のほうしか語ってなかった。孫悟空伝は…また改めて…(ぶっちゃけたいことが実はこっちもわりとあるんだが多分もっかい観ないともう細部忘れてるので)










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