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映画 『気狂いピエロ』 ジャン・リュック・ゴダール

「見つかった!」「何が?」「永遠が」「それは太陽と一つになる海だ」

高校生の頃学校をサボって渋谷の今はなき映画館で、一人で観た初めてのゴダール作品。

あまりに鮮烈な映像美とカメラワーク、シニカルな哲学と世界観に衝撃を受け、その後ヌーベルバーグの世界へと誘われることになる映画。

ファム・ファタル的なアンナ・カリーナ演じるマリアンヌと、不良っぽいジャンポール・ベルモンド演じるフェルディナン。2人の南仏への逃避行。破滅へと向かっているのに、底抜けに明るい色彩。

頭で意味を理解するより、まずは目と耳でこの作品を楽しんでほしい。ありとあらゆる詩や絵画、散文などの引用が全編に散りばめられながら、ストーリーは進んでいく。

退屈な結婚生活から抜け出したフェルディナンと、彼の元恋人マリアンヌの会話が面白い。

フェルディナン:悲しそうだ。マリアンヌ:あなたは言葉で語る。私は感情で見つめているのに。フェルディナン:君とは会話にならない。思想がない。感情だけだ。マリアンヌ:違うわ、思想は感情にあるのよ。フェルディナン:それじゃ本気で会話してみよう。君の好きなこと、してみたい事は?僕も言うよ。君からだ。マリアンヌ:花、 動物、 空の青、 音楽、 分からない 全部よ。あなたは?フェルディナン:野望、 希望、 物の動き、 偶然、 分からない 全部だ。マリアンヌ:5年前に言った通りね。 分かり合えないわ。

彼らは分かり合うことはできない。できないのに愛し合う。

立ったまま夢を見ているようなフェルディナン。自分と現実と向き合ってほしいマリアンヌ。2人はすれ違う。会話も噛み合わない。

「一生愛するなんて言わないで。私たちにあるのはただの愛」

彼女はほしいのは、約束ではない。安定ではない。今ここにある愛。今を生きたいマリアンヌと、停滞しているフェルディナン。

「映画は戦場のようなものだ。『愛』『憎しみ』『暴力』、そして『死』、つまり感動だ」

フェルディナンにとって、人生は映画そのもの。「気狂いピエロ!」と彼を呼ぶマリアンヌ。分かり合えない男と女は、最後まで理解し合うことはできない。故に惹かれ合う。

この映画は、驚きの展開の連続で理解することが難しい。まるでそんなところも、簡単に理解されてたまるかとゴダールが言っているように感じられる。


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