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なるべく明るい乳がん日記16いつか言えたらいい

〜前回のあらすじ〜
後悔がないようやれる治療はやろうと決めた私は早速、抗がん剤を投与するため入院することになった。
前回、手術のため入院した時は全身麻酔による吐き気が一生続くのかくらい止まらず院内をザワつかせる存在となった。あれはもうイヤだ。
吐いたものを何度も片付けてもらうことが本当に申し訳なくて辛かった。
そういえば毎日抱えて友達になりかけていたあのカーブした洗面器の名前はなんていうのか調べてみたら『ガーグルベースン』ていうらしい。
一瞬ドイツ語かと思ったけど、うがい+お盆の英語だそうな。
……知ったところで使わない未来しか見えない名前だな…ガーグルベースン。

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術後2ヶ月が経過した。
右腕を伸ばすと肘の前後がなぜか痛かったのだが、それはほぼなくなった。
まだ右胸から右二の腕辺りのボワーンとした麻痺は続いている。
体感 ”国語辞典ほどの厚みの何か” を常に右わきに挟んでいる。
ページ数が減ったことは喜ばしいし何か挟んでる感覚があるだけで日常生活に特に支障はないが違和感が常につきまとう。

右わきの下がピリピリ痛む時がある。
腕がちょいちょいだる重くなるので手を上げ下げしたりストレッチをしたり手首側から肩に向かって毎日ゆっくり撫で上げたりしている。
正直めんどくさい。
でも少し動かすとスッキリする。

隣で突然挙手する妻にも夫はすぐに慣れていった。
変わっていくことを柔軟に受け入れながら、出来るだけ明るい方を目指して対処していくだけなのだ。二人で一緒に。


6月中旬、1回目の抗がん剤投与をするために入院した。
コロナ対策でまだ入院中の面会はできない。
入院してしまうとまたしばらく夫には会えない。
病院まで送ってくれた夫とはここでしばらくお別れ。寂しい。
私がいない間にちょっと天然の夫が何かおもしろいボケをかましていたらと思うと気が気ではない。一刻も早く退院したい。

前回、手術で入院した時と同じ担当看護師さんになってホッとした。
退院後しっかり食べて体重もすぐ戻ったことを報告する。
「あの吐き気はなんだったんでしょうね〜」と笑いながら採血を4本取って昼食を食べる。完食。

主治医の先生が血液検査の結果を持って病室に来てくれた。
検査結果は「パーフェクト!」
お褒めの言葉を頂いた。
毎朝納豆を食べ続けた甲斐があるというものだ。

あれ以来、私はこの病院内で ”吐き気の酷かった人” として有名らしい。
先生が笑いながら教えてくれた。
伝説になるつもりないんですけど。
問題はないか軽く右胸のキズを確認して先生は去って行った。
忙しくてもちゃんと見に来てくれる。
この先生が主治医で本当に良かったなといつも思う。


午後になって、看護師さんから抗がん剤の説明を受けた。
抗がん剤にはアルコールを含むものがあるんだそう。
前回診察の時にお酒は飲めるか聞かれたのはそういうことかと合点がいく。

私はお酒が全く飲めない。
お菓子に含まれた微量の洋酒さえ嗅ぎ分ける、犬の鼻を持つ女だ。
ちなみにタバコは大嫌いで一度も吸ったことはない。
犬の鼻には匂いが強すぎるのだ。

私が投与される抗がん剤はアルコールを含まないものになっているそう。
「運転しても大丈夫ですよ。」と看護師さん。
爪に現れる副作用を軽減する効果のあるアイスグローブというものがあり、それは用意できるということなのでお願いすることにした。

同じ理論で頭皮冷却というものも世の中にはあるけど、この病院ではやっていなかったのでしていない。
どうにかして保冷剤などを持参すれば出来たかもしれないけどそこまでして脱毛に抗おうというガッツは私にはない。(基本めんどうなことはしない)
髪はまた生える。

ウィッグのパンフレットと不織布のヘアキャップの試供品をもらった。
ヘアキャップは脱毛中の髪が散らばらないように、頭に被って過ごすためのものだ。
工場とかで被るものと同じだけど色は黒い。そこに配慮を感じる。

パンフレットに脱毛してからまた生えるまでの目安の期間が書かれていた。
私の2023年は脱毛し、良くて坊主頭で終わることが確定した。
夏は涼しいかもしれないが冬に坊主は寒すぎる。

確実に帽子は必要なので空き時間に院内売店へ行ってみた。
そこは小さなお店で、店員もお姉さん一人。
話しにくいことでもここなら話せるな、という優しい空気が漂っている。

抗がん剤をすることを話し、いくつか帽子のサンプルを被らせてもらった。
鏡を覗いてみる。
普段帽子を被らないので変な感じがする。
とりあえずお姉さんの反応が良かった帽子をひとつ買った。
似合うかどうかは人の意見の方が参考になる。

お姉さんが「実は私も全摘してリンパも取りました。」と教えてくれた。
えー!!先輩だったとは!!
でも見た目には全然わからない。
むしろとても元気で生き生きして見える。
周りに乳がん経験者がいない私は初めて直接経験のある人から話を聞くことが出来た。

実家が遠いことや友達には誰にもまだ言っていないことを私が言うと大きく頷いてお姉さんは共感してくれた。
直接会ってなら言いやすいし元気なこともわかってもらえるけど遠く離れたなかなか会えない人に乳がんになったとは伝えづらい。
心配を掛け過ぎてしまう。
気をつけて欲しいし、検診を受けて欲しいけど、心配は掛けたくない。

「言える時が来たら言えばいいよ。」とお姉さんは言ってくれた。
私もそう思う。
そのためにもこれを書いていて、読んでもらっている。
たぶんまだ読んでくれてるはず。いや、もう読んでないかもだけど。

友達からいろいろと連絡をもらった。
長い付き合いなのに今まで知らなかったことを話してくれたり、今こういうことが気になっていると話しにくいことを相談してくれたり。

いちばん驚いたのが「私も今抗がん剤をしている」と教えてくれた友達。
本当にびっくりした。『2人に1人ががんになる』を実感した。
どうか抗がん剤がめちゃくちゃ効きますように!!!
副作用はそんなにないってことだったのでそこは安心した。
お互い出来るだけ楽しく笑って毎日を過ごそう。

治療の日々の中にも楽しいことやおもしろいことはいっぱいあることも私はここに書いていきたい。


前回同様また1日4回の検温がある。
夕食後、夜勤の看護師さんが病室に来た。
またしても ”吐き気の人” と言われてしまう。
その称号いらないんですけど。
やっぱりあれはよっぽどのことだったらしい。

看護師さんに心配事はないか聞かれたので「吐き気」と答えておいた。
笑いながら看護師さんは去って行った。明るい病院だなここは。

明日、私は自分が打ち立てたこの吐き気伝説に終止符を打てるのだろうか。

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