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「これはダメです。」

こんにちは。火華々火です。
ヒバさんとでも呼んでくれよな!!
東京ドームシティで僕と握手っ!!!

作品を作る?ん?作品って作るもんだから
作品を作るって重言なのかな?
なんてなってるヒバちゃんです。


皆さん自分が作ったモノの存在価値を
考えたことはありますか?

私は漫画家なので日々漫画を作っています。

そこである編集者の方が言ってくださった言葉と
直近で読んでいた本とで考える事がありました。

「この作りはダメです。」
とストーリーについてアドバイスを頂いたんですが(もっと柔らかくて優しい言い方をしてくれてました、なんて言ってたかニュアンス以外忘れたヒバです。)

そのセリフを受け取った私は反射的に
「あ、この作品はダメなんだ」と
スイッチのオンオフを切り替えるようにカチッと
ダメと思ってしまいました。

私もその作品が処女作でもないし
むしろ腐るほど作ってるつもりなので
精神的ダメージを被ったわけではないのです。

ただ「ダメなんだ」と無意識に刷り込んでしまっていました。

そこで終わらんのがあたいやっ!✌️

先日からストーリーについて勉強したり
色々な書籍を漁ったり、考えたり、試行してみてた私にはあるひとつの、抽象的な答えが形を成そうとしているのを感じ取っていたのを思い出します。

物語に間違いはない

そう、物語に間違いはないと思いました。
どれだけ作者都合の作品であれど、それは物語として間違いと定義される必要はないと私は確信しています。

どれだけ稚拙な物語であっても、作者以外誰も理解できない物語であってもです。

間違いがない。それは言い換えるなら正解がない事と同義です。

そらそうだわっ!だって正解のない私たち人間が作るもんなんだから!!


ただ、ここで矛盾です。
視点を加えると途端に正解が
生まれてくるから摩訶不思議。

それは様々な視点です。
週刊誌、少年誌、青年誌、少女誌etc
お金を稼ぐ為、理解してもらう為、伝える為etc

何か軸を決めた時。そして、それが紛れもなく自分の外側の存在に向けられた時。

何か正解が生まれる様な気がしています。

私が言いたい事それは

ひとつの作品には、様々な視点から見た様々な、間違いと正解が存在し得る可能性があるかもしれません。でも自分の作った全てのモノを否定し、無に還すことはしなくてもいいんじゃない?

って事です。

この考えすらも正解とは思いません。
私は私が楽天的に作品作りをする為に
最近はこう考えながら歩いています。

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