渋谷でやることがなくなっている

日曜日
世田谷ボロ市に行こうと決めていたのに起きると今日も雨が降りそうな天気。前日に誘った軽音の後輩には断られていたので、雨なら行くのをやめようと思いながらtwitterで「世田谷ボロ市」と検索して混雑やらすごい人の量だというツイートばかりなのを見てちゃんと諦める。どうしようもない気分でベッドにずっと潜り続けていた。妻が作っていた昼ご飯の残りを食べるよう促されたのでそれでようやく起き上がる。

今日はどうしようかというよりどうなるんだろうと悲観的な三人称視点で自分の未来を憂いてしまう。自分が悲劇的な物語の主人公なような気もするが、主人公だからまだ自尊心がある。これを汚さないように生きていこう。そのためにはとにかく外に出て体験をする。インドアな傾向もまあまああるのに家の中で物事を起こし完結させるのがとても苦手だ。だから家の中でやるべきことも外でやる。楽器もそう、一人で練習できないのでバンドでスタジオに入る。似たような感覚で喫茶店やカフェで本を読もうと決め、読み残していた『ずっと、おしまいの地』とパソコンをリュックに詰め、日中なのに薄暗い雰囲気の外へ繰り出した。ずっとこんな天気の中で生きてきた日本海側の人たちとは人生で感じてきたものが全然違う。大学以降、自分の人生にとって重要な人物が軒並み北陸出身だった。よく交われたね。

何も考えずに駅まで来た。最寄り駅のカフェに入って行きつけというスタンプを重ねていくか、いやせっかくの休みだし新たに開拓をするか、逡巡しながら改札を通過して気づけば渋谷。本当にただ目の前の人達が歩いていく方向について行く。宛もなく、とはこういうことである。電車の中で何度もGoogleマップの渋谷エリアで「喫茶店」とか「カフェ」とか検索した。どこにも行く気にはなれなかった。自分が何をしたらいいか、どこに行ったらいいかわからない時に検索する言葉は他に「楽器」「レコード」「古本」などである。しかしどの検索結果も今の自分に合わなかった。今とは1月15日午後の自分でもあり、ここ2年ぐらいの自分の相似な2点に対して。

最近渋谷で何をしたらいいかわからない。スタジオに行く、友達と飲む以外の場合、渋谷は1人で巡ることへの前向きさを無くしている。もちろん人と何かをするのは楽しい。その中では富ヶ谷などのいわゆる奥渋エリアが好きだ。ただ雨の日はそこまで歩けない。そうなると行くとこもなく、どのカフェも混んでるか全席喫煙可(渋谷の雰囲気の良い喫茶店は喫煙可を打ち出している)で、そんな自分が吸い込まれるたのはロッテリアだった。アイスコーヒーとふるポテのバター醤油味を心許ないトレーに載せ、狭い階段を通って2階へ向かう。思いのほか人が少なく、道玄坂を眺められる席にゆったり座ることが出来た。

読書の習慣、読書を続ける忍耐力、そもそもの読解力などあらゆる読書適性がないため、本を読むのが遅いし簡単に諦めてしまう。大好きで発行されてる書籍は全部発売日に買うこだまさんの著作でもそうなのだから。『ずっと、おしまいの地』は半年ほど前に買ってまだ半分も読み終えていなかった。しかしロッテリアに身を沈めて読んでみるとリズム感の良い文体でとてつもなく面白い文章を書くんだったこの人はと思っているうちにあっさり読み終えた。他の著作に比べて「クソボケ」など悪態が沢山散りばめられていて良かった。苛烈な日常でもそれを書き続けていくこと自体に意味があって価値を与えられている。本当にそういう言葉しか浮かばなくて申し訳ないけど、元気をもらえる。影響をわかりやすく受けたのでなるべく日記を書こうと思った。

自分にとって書くこと(書いてるとは到底よべないものでも)は手っ取り早い開放である。自分の思いつきを何かで発表しないと停滞だと感じる性格で、ほかにできる表現が恐らく音楽だけなのだが、音楽は発表までのハードルが高い。15年以上楽器をやってるのにそのハードルを超えた回数が圧倒的に足りない。しかも気後れする。日記はハードルも低く気後れが少ない。だから一番近いところにあるやり方で、自分を開放する。意図的に。

実家で食べた麦味噌の味噌汁が美味しくて麦味噌を買った。麦味噌は豚汁と相性が良い。豚汁を作りたいな、でも少し面倒だし寿司の気分だな、作るか寿司にするかは最寄り駅に着いてから決めよう。電車を降りて入った回転寿司屋は日曜らしい混雑をしていた。文字通り踵を返し、豚汁の具材を買って家で豚汁を作って食べた。料理もハードルではある。低いハードルを超え、開放を繰り返す。開放を記憶する。


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