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【LAL】胡蝶うつりて

別名義で公開していたライブアライブ幕末編の二次創作小説。とらわれさん(まだとらわれてない)一人称視点です。
嘉永六年の初回黒船来航下でひととき邂逅していたという妄想話。

 やけに色の薄い童子がひとり、躑躅つつじの茂みを見つめていた。
 花はとうに落ちた時節だ。なにか面白いものでもあるのかと後ろから覗き込んで、ああ、と得心がいった。烏揚羽からすあげはが一匹、梢にとまって羽を休めている。

「蝶々、好きか、ぼんは」

 童子は、ついとこちらを見上げた。
 異人の血でも入っているのだろうか、どこか青みがかった、ふしぎな目をしていた。長歩き向けの草鞋をはき、質素な着物に小さな体を包んでいる。
 自分の倍ほど背丈のある大人がいきなり後ろに立って、これは怖がらせるかと思い至ったが、童子は表情もきわめて薄かった。

「採ってやろうか?」
 なんとなしに言ってみた。待ち合わせしている兄弟子がなかなか姿を現さないもので、暇つぶしにはちょうどいい。童子はこちらをじっと見、それからまた梢の蝶を見、つぶやいた。
「かごない」
 なんだ? と一瞬思った。
「かご、ない」
 ああ、籠がない、か。
 年相応の舌足らずさというより、会話の習慣が無いかのような印象だ。まあ、聞かれたことにまともに答えられぬ子供時代というのは、自分にもいくらか覚えがあるが。
「籠なんぞ、いらんさ。わしァ虫の学者になる気はない」
 童子の背丈とおなじくらいに身をかがめて、烏揚羽を見上げた。
「飛ぶものを籠に押し込めちゃいかんぜよ。ほんのちょっと手に採って、ひととき眺めて、それから離す。蝶とは、そういう生まれのものだ」
 童子の目線の高さでよくよく見れば、蝶の羽色はまたちがった風合いだった。虫を眺めるのも久しぶりだが、きれいなものだ。
 夢中になっていたら、横の童子のほうが、なにがそんなに面白いのかとでも言いたげな顔になっていることに気づいた。
「なんじゃ。えいもんじゃろ。影絵のように見えて、光の当たり方ひとつでさまざまに色が差す。海の深い場所のような青に見えたり、黎明の空のような翠や紫に見えたりする。人間、いつでもこういうものを楽しむ心がないとにゃあ」
 つい格好をつけてみたが、きょとんと目を丸くするばかりの童子の心にはたして響いたかどうか。
「……子が失礼を致しましたか」
 ふいに、背後から声をかけられた。
 その瞬間まであまりにも気配がなかったので、思わず息を詰めた。が、つとめて平凡な速さで後ろをかえりみた。
 六尺を超える長身の、旅装束の男。
 編笠を深く被り、顔は伺えないが、やたらと眼光が鋭かった。まるで見たものをその場に影ごと刺して縫いとどめるような。
「ああ、親御さんですか。いや、蝶が居ると教えてくれたものでな」
 少し、とぼけて言った。
 旅装束の男は無言で童子を手招きした。童子はすっと男の足元へ寄った。
 瞬間、色の薄い童子の、その存在感がいっそう希薄になったように見えた。
 なぜかこのまま行かせてはならないような、そんな気がした。声を走らせた。
「貴殿たちも、あれですか、はるばる黒船見物に」
 男はこちらを見やった。
「そのようなところです。此度の異人来航、江戸はまことに大変な騒ぎですな」
 落ち着いた、世間話の範囲の応答。
「拙者、藩命により、この先の品川沖にて港湾警護に就いております。たいした役ではござらぬが、よろしければ多少は案内あないなどできますぞ」
 立ち上がりながら、言った。使ったのはごくごく普通の江戸言葉だ。半分、嘘も混じっている。藩命というと大仰だが、ただの臨時御用の下っ端だ。素性もわからぬ親子連れを招き入れる職権などない。
 ついでに言えば、配置命令にない場所に何度もこっそり入り込んでいるから、多少ではなく誰よりも案内できる自信はある。
「なあ、坊。眺めのいい場所から黒船を見せてやるぞ。どうだ?」
 少し、童子が連れの大男を見上げた。男のほうは身じろぎもせず、真昼の陽光を遮る編笠の影の中から静かな声を返した。
「ご厚意、痛み入ります。ですが他に寄る場所もありますゆえ、これにて」
 御免、と低く告げて、男はきびすを返した。童子のほうも振り返りもせず、大股に歩く男の後ろを足早についていった。

「おう、竜さん、待たせてすまん」
 童子たちがまだ視界の近くにあるうちに、待ち人が息せききって来た。自分がまだ目で追っている二人組を見とめ、言った。
「ありゃ人買いだな。竜さんもだいぶでかいが、あっちも相当だ。さっき話をしてたろう、何か因縁でもつけられたか?」
「いや、蝶を見てただけだ」
 そう答える頃には、烏揚羽もいなくなっていた。
 ただの人買いにしては、やけに凄味があったような。といっても、ほんものの人買いに詳しいわけでもないのだが。
 しかし、単に大柄というだけではない。人のからだの中にひとつ、大岩が佇んでいるかのような圧さえ覚えた。語気も物腰も荒くもなかったが、およそまともな稼業の者ではあるまい。
 あの童子は、どんな人生を歩むのだろうか。
 それにしても。
「多いな、江戸には」
 と言うのは、売り買いされる子供のことだ。
 兄弟子は肩をすくめた。
「異国船の出入りは出島のみに限るというご定法が守られず、これから世がどんどん乱れていくのが目に見えているからな。先々の不安で子を手放す親もいっそう増えてこよう。だから我々武士が異人をかたはしから斬り、神州の守護を全うせねば……」
「わしらぁが刀で何人斬ったところで、世の中のなにがどうなるもんでもないと思うけどなあ」
 西へ顔を向けた。ここからはまだ見えぬが、視線のはるか先では、異国の蒸気船が煙をはいて大砲を傾け、この日の本の国を威嚇している。ひとりふたりの武士の剣で、あれをはらうことなどできようか。
 兄弟子は片眉をそびやかした。
「竜さんだって国許への手紙で書いてたろ。異人の首を取って帰りますとかなんとか」
「ああいうことを書けば機嫌がよくなるんじゃ、うちの父や兄上は」
 子が勇ましいことを言って喜ぶのは、どこの武士の家でも一緒だろう。無理を言って剣術修行の金銭を出してもらった手前、心配はさせたくないものだ。
 剣を極めるために江戸に来た。なのに今は百人の敵を斬る力より、一隻の船を駆る力を求めている。
 烏揚羽より黒々とした、逆吹く風をものともせずに海原を進む船。恐怖とともに、魅せられた。あれが欲しい。あれを生み出し、操ってきた国ぐにのことを知りたい。
 武士として国を守りたい心に偽りはないが、同じくらいに、水平線の彼方を思う自分がいる。いずれそれがこの小さな国の、身分の段差の陰に生きる者にも、ひとつの光をもたらすことになるのではないか、と。
「……そういう生まれではない、か」
 童子に向けた言葉を、己で反芻した。
 飛ぶものは籠におさめるべきではない。ならば竜名を持つ自分の行くべき道は如何いかがなのか。武家の次男坊としてありふれた、どこかの道場の後釜におさまる将来か。はたまたもう少し箔をつけて、あらたな流派でも開いてみるか。
 刀は好きだ。だがどうにも、ただ剣に生き剣に斃れるという絵図は、自分にはぴんとこないな。
 
「しかし、遠目に見えたがきれいな童女わらわめだったな。あれならまあ、少しはまともな買い手もつくのじゃないか」
 ふいの兄弟子の言葉に、いくらか目を丸くした。
じゅうさん、ありゃ坊ぜよ」
「え、そうだったか?」
「わしゃそういうのは間違えん。においでわかる」
 などとえらぶって言ってみたが、肩をすくめて流されただけだった。

 影のような烏揚羽は、音もなくただひらひらと飛んでいた。目指す場所に迷うかのように、あるいは、なにに囚われるでもないかのように。


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 嘉永六年 江戸にて

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