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【LAL】胡蝶の残夢、うつつの翅

別名義で公開していたライブアライブ幕末編の二次創作小説です。おぼろ丸と「とらわれの男」の密命道中譚。

「おまんはまっこと喋らんのう」
 そう要人から言われたのは、天守上階へあがる縄梯子をようやく見つけだした折。
 言うまでもなく、敵地である。
「任務の妨げになりますゆえ」
「ほいたら別に喋るのがきらいという訳でもないがか」
 本当に、いちいち意図の見えぬことを言う御仁だ。
 覆面の中で嘆息する。とはいえ、この緊張感のかけらもない土佐弁を聞くのも慣れてきた。儀容をたもちつつ端的に答えた。
「情報を伝達する手段を、好きか嫌いかで捉えたことはありませぬ」
 必要があれば喋る。必要がなければ喋らない。それだけのことだ。
 ほに、と要人は顎をさする。
 あらためて感覚を集中させた。階上の敵の気配を探る。
 機関室の歯車の音は、途絶えている。つい先程、和語と異国語を混ぜた妙な話法を使う妙な絡繰からくり技師を倒したあとに止まったらしい。
 よこしまな気配は……ある。部屋の前に立つ見張りだろう。
 階を上がるにつれて敵も一筋縄ではゆかなくなっている。なるべく戦闘は避けたいところだが……。
「ほいたら、好きなものは何じゃ?」
 ……慣れてきたつもりでいたのだが。
 ふたたび要人をかえりみた。にこにこと楽しげな顔がこちらを向いている。
「なんじゃ、人には言いにくいものか? わしゃ笑うたりせんぜよ」
「……いや、今、そのような話をしている場合でござるか。ここはもう敵の主の目前……」
「そうさな。その梯子ひとつ登った先は、もう合言葉のごまかしはきかん」
 思いがけぬ言葉が反駁はんばくを遮った。
「戦わねば切り抜けられんやろう。命の保障はない。やき、今しか聞けんことかもしれん」
 それは文字に起こしたなら、悲壮な覚悟の台詞にみえたかもしれない。だが音にして聞いた口調は、悲痛からも勇壮からもおよそ遠かった。たとえるならば雨が降りそうだからみのをまとってゆこうというような、そんな調子だ。
 それでいて、その面差しはけして浮ついたものでもない。その細い両目が、拙者が思うよりずっと広く遠い場所を見ていることは、ここまでの伴で薄らなりとも気づかされてきた。
 悠揚と、要人は続けた。
「何が好きか、何をしたいか、問うも示すも命あるうちだけのこと。露の命は計られぬ。なれば、助けに来てくれた奴の好きなものぐらい知っちょきたいぜよ、なあ?」
 ……無意味で、無用な情報だ。
 証を残してはならない、人に記憶されてはならない。
 忍びとは、そういうものだ。そう教えられてきた。その忍びから要人と呼ばれる身にあって、我らの用い方を知らぬ訳ではあるまい。
 だが、咎める気分には、なぜかなれなかった。目を逸らしつつ答えた。
「……蝶」
「ん?」
「蝶は……嫌いではありませぬ」
 たちまち、要人は喜色をみせた。
「ああ、蝶か! おまんの忍術にもあるものなあ! あれはまっこと美しゅうて、わしも好きやにゃあ」
「ちょ、声が大きい」
 慮外りょがいな制止を投げてしまったが、要人はすこぶる上機嫌だ。
「べつに好きだからそういう術にしたという訳ではござらぬ、形を思い浮かべやすいものを利用しているのであって、術者によっては鳥であったり木の葉であったりするので……」
「なんも違わんやか。好きやき想像しやすいがやろ」
「……」
「そうかあ、おまんは蝶が好きか。わしはなあ、船が好きなんよ。親戚に面白いおいちゃんがいてな、子供の頃、そこに遊びに行くのにいつも川舟を使っていってにゃあ。字を書くのは下手でしょうがないが、櫂で水を掻くのは大したもんじゃとよう褒められたもんぜよ。それで、そこのおいちゃんが外国のことに詳しゅうて……」
 なにがそのように面白いのか、要人のお喋りは止まらない。
 つくづく、好きなものにすぐ気を取られる童子がそのまま大きくなったような御仁だ。それでいて先のように、ふいに澄明な表情を見せることもある。
 ……。
 そういえば幼い頃、里の大人に伴われて、どこか大きな船町を歩いたことがあった。用が終わるまで待っているよう言いつけられたのに、みごとな烏揚羽からすあげはが目について、そのままふらふらと追いかけていってしまった。
 はぐれたとも気づかぬうちに迎えが来たが、ほうぼう探し回ったのだろう。怒る気力も失せたという態で、それからはずっと手を握られていた。
 里の世話役の忍びであったのだろうが、よくは覚えていない。ずいぶん丈高い者であった気はする。ほとんど喋ることもなかったように思うが、その忍びは紋切りの蝶のつくりかたを教えてくれた。
 あれは、いずれ夢幻の蝶を操る術に役立つと見越してのことだったのだろうか。それともただ幼子の退屈を慰めようとしてのことだったのか。
 今となっては、わからない。高価な唐紙からがみを手当たり次第に切り抜いてしまって、上役らしき者から一緒にさんざん叱られたとか、そんな些末事は思い出せるのだが……。
 そういう幼子らしい思い出が、自分にもあったのだ。なかば無意識に目を細めた。なにか遠い景色を眺めやるような心持ちだった。そこから先の記憶は、ただ命令のままに闇雲に人を斬ってきたことだけだ。
「おまんぐらい足が速ければ、蝶なぞ簡単に捕まるがやろうなあ」
 まったくもって場違いな、陽気で呑気な賞賛に、思考のもやを払われた。
「……蝶は飛び、梢に羽を休めるのがよいのです。美しいからと籠に込めるのは、蝶の生まれに合いませぬ」
 拙者の言葉に、要人は細い目を丸くした。こちらの予想よりもずっと意表をつかれた顔をみせる。
 相手があまりに気安く接してくるからと、つい馴れた口をきいてしまった。しかし要人の表情は、不興とは違うものだった。
 懐から出した手で顎をつかみ、こちらを見つめる。
「蝶が好きかと、わし、前にもおまんに聞いたか?」
「……? いえ、このような私事、初めて申し上げますが……」
 いぶかしげに拙者が答えると、要人も小首をかしげた。
「だよなあ。いや、気のせいか。なにかこんな話をした覚えがあったように思うたが」
 ふたたび、覆面の中でひとつ嘆息した。
「なんにせよ、お喋りの時間はもう終いでございましょう」
 それもそうだな、と、さすがに要人もぽりぽりと頭を掻いた。
「自由に飛ぶのが蝶の生まれ、か。ほいたら、おまんは、自分をどういう生まれだと思っちゅう?」
 ──……。
 その穏やかな声、穏やかな目に、虚をつかれるのはこれで何度目だろうか。
「拙者は……」
「ああ、今は答えんでえい」
 問うておきながら彼はひらひらと手を振り、答えを封じた。
「この先どんな道を望むにせよ、生き延びてからというものやものにゃあ」
 そう告げる顔には、少しのほろ苦い笑みがあった。
 拙者の役目は、本来ならば、この囚われの男の救出。
 城主たる尾手院王を斃すことでは、ない。
 この要人はそれを承知の上で、拙者の力量を見込み、城主の野望をともに阻止してほしいと、ここまで伴を請うてきた。
 有無を言わさず、昏倒させてでも城の外へと連れ出す道もあった。だが自分はそうしなかった。その理由は、筋道立てて言葉にしようとしてもうまくゆかぬのだが。まるで、光の当たり方ひとつでさまざまに色が差す蝶の翅のようにいくつもの面を見せるこの男に、あるいは、魅入られたとでもいうのだろうか。
 何が好きか。何をしたいか。そのような思考で己の道を選ぶことなどは、人を斬ることへの忌避とともに捨ててきたはずなのに。
 縄梯子を見上げた。蝋色ろいろの闇へと吸い込まれるように、それは続いている。
 ここから先は、逃げも隠れもできぬ領域。
 足元には、月明かりが作る己の影がある。
 どこかから里に連れてこられて、忍びとして育てられた。自分だけではない、そういう者が里にはいくらでもいた。自分はそのように生まれついたのだ。感情を消し、過去を消し、影となることを教えられてきた。
 生きて在れば、と、考えた。
 この先、己がいかなる道を歩むかを、みずから選ぶこともできるのだろうか。
 これまで通り、忍びとして、闇に生き続ける道か。
 あるいは、なにものにも囚われぬ蝶のごとく、おのが力の続く限り、陽の照らす外の世を──。

「──参りましょう」
 揺れる縄梯子を、握り留めた。
 この方の言う通り、すべてはこの先の闇を抜けてからだ。
「おう。気合い入れて行くか!」
 幾つめかの鐘が鳴った。
 その残響が消えぬうちに、あやかしの城の主の待つ部屋を目指し、ともに駆けた。

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