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炊き出しボランティアの記録、記憶


まず令和6年能登半島地震によって被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げますとともに、お亡くなりになられた方々に衷心よりお悔やみを申し上げます。

令和6年1月21日、石川県穴水町へ被災者支援として炊き出し作業(炊き出しボランティア)を行ってきました。

このnoteにおいてその炊き出しボランティアを記録し、共有することで今後何かの役に立てばと思います。

動機、計画

この度の炊き出しボランティアは、大学時代の同級生が穴水町で被災したことから、災害ボランティア経験の豊富な友人に、支援の計画があれば参加したいと相談したところ、友人がリーダーとなり迅速な計画と交渉で実現したものです。

炊き出しボランティアは、私を含め7人で、看護師、調理師、福祉施設職員、自治体職員、カメラマンなどそれぞれ専門知識をもったメンバーで構成され、頼もしい限りです。
リーダーは事前に炊き出しを行う支援先と連絡を取り合い、詳細な現状と要望をお聞きし、入念な準備作業をし資材を北海道からすべて持ち込みました。

被災地は1月1日の本震発生から3週間が経ち、毎日のように余震が続く中、突然避難生活を強いられています。
地方の元日の夕方と言えば、各地から家族が集まり、一年で最も身も心もリラックスした幸せな時間のはず。
ただでさえ真冬の日本海側の気候は大変厳しく、万全な備えでも苦労の絶えない地域です。
そのような中での避難生活、生きるために必要な物資は順次避難所に届けられましたが、それらは命を繋ぐために貴重なものばかりでしたが、避難生活が長期化するにつれ、特に食に関して課題が浮き彫りとなりました。

  1. 栄養面 非常食は栄養バランスが考慮されていますが、生鮮物が持つ栄養素が不足しがちとなります。

  2. 運営面 次第に調理を要する食事へシフトしていますが、献立立案(栄養管理)、食材調達、調理、配膳、後始末などの作業が一部の避難者(特に女性)に偏ってしまい、大きな負担となっている。

  3. 精神面 食は精神面に大きく影響します。毎日似たようなものを食べていると気持ちが不安定になり、それぞれの好みも含めた多様なニーズが少しずつ発生し、避難所運営に支障を来たします。

そこでリーダーは避難者の方と事前に相談し、同行するメンバーのアドバイスを含めて、以下の対応をすることとしました。

  1. 栄養面 可能な限り野菜や魚などの生鮮物を取り入れる。

  2. 運営面 炊き出しに必要な食材、機材や食器を持ち込み、それらにかかるすべての作業をボランティアが行い、普段調理等を担う避難者の方に休んでもらう。

  3. 精神面 北海道の郷土料理(石狩汁)など温かい汁ものを提供し、食間では足湯、マッサージなどを行い、北海道銘菓で会話などを通じ避難者の心のケアに努める。

行動記録

1月20日。炊き出しボランティア前日に飛行機で富山入りし、先に機材等を積んでフェリーで向かったメンバー等と合流し宿泊、翌21日早朝4時半にホテルを出発し能登へ向かいました。
能越自動車道は全線開通してましたが、終点七尾市以降は国道249号を走り穴水町を目指します。

穴水町に入る頃、空が白みかけ、周囲の景色が見え出すと、テレビ報道で目にした倒壊した家屋が、あちこちから目に入りました。
中には原型を留めないほど粉々に倒壊した建物もあり、黒く美しい能登瓦の甍が、かつて建っていた家々の面影をかろうじて残します。
破壊された街並みは、まるで時間が1月1日の午後4時から止まったままのようです。
新型コロナ以来、お正月で家族が帰省し、4年ぶりの家族の団欒があったでしょう。地震は命も含め全て奪ったようです。
そう思うと、被災者の人たちを果たして元気つけることが自分にできるのだろうかと、穴水町の中心部に近づくにつれ気持ちが逡巡し出します。

穴水駅は、その先の輪島市や珠洲市に向かう人たちが乗る鉄道の終着駅です。
交通の要衝なので、駅前は以前は多くの人が往来していたでしょうが、駅舎は、もうしばらく使われていないような寂しい雰囲気です。
その駅前にあるコミュニティ施設に行政の避難所を兼ねたボランティアセンターがあります。
炊き出しで伺った事を届け出し、さらに先の訪問予定の施設を目指して車を走らせました。
この度の炊き出し作業の拠点となる保育所に到着したのは午前8時過ぎ。
この拠点で調理作業をし、別の2か所の避難所にも食事を届けます。
保育所には約20人の方が避難されていました。この保育所自体も応急危険度判定で「危険」とされ、本来は立ち入ることも危ないのですが、地域の人たちが身を寄せ合い集団生活をしています。

応急危険度判定:
地震によって建物が損壊した後、住人が二次災害に遭わないよう、行政が目視で「危険」「要注意」「調査済」の3種に分類し、結果を家の壁に見えるように張り紙を付けるもの。
調査済は、危険、要注意以外のもので、見たところ被害はほとんど見られない建物です。
見たところ、穴水町の建物はほとんど危険か要注意でした。つまりほとんどの住民が避難生活しなければいけない状況となります。

避難は原則耐震化が施された公的施設や公共施設が公設避難所となり、行政からの情報含めて支援が行われます。
この公設避難所はある程度大きなエリアごとに設置されているため、自宅から歩いて向かうのは困難なお年寄りも多く、長引く避難生活の中、日中は自宅に戻り散乱した家財を整理したりする人もいるため、実際は自宅近くの集会所などに自主避難所を開設して小規模な集団生活を送っています。
保育所も自主避難所でした。

東日本大震災以降、支援物資はいわゆるプッシュ型が定着したことから、各地の集積場は多くの支援物資が集まり、一部必要な生活物資の偏りはあるようですが、食料、水などはある程度充足しているようでした。
しかし、特に断水によって飲料水以外の水利用は大きく制限され、食事後の食器洗いは雨水や沢の水を利用されていました。

保育所に到着後、その場にいた避難者の方々にご挨拶し、資材などを搬入、その後大学時代の同級生が自宅非難を続ける地区を目指します。
能登地域は平地が少なく、急峻な斜面に沿って道路が伸びます。そのところどころで小規模な崩落が小雨の中、現在進行形で続いています。
道路に流出した土砂や地割れを避けつつ進み、同級生と再会しました。
他の被災者の方々と同様、気丈な笑顔で出迎えてくれました。
自宅は小高い場所にあり、家の基礎を支える石垣が崩れたため一部が傾斜しています。傾斜した窓から望む地区の家々は、よく見るとそのほとんどに被害が見えました。
同級生を元気付ける良い言葉が思いつかず、月並みな激励しかできませんでしたが、北海道から来た私たちをどこまでも同級生は感謝しています。

その後、保育所に戻って昼食の調理を開始します。
80リットルの大鍋でけんちん汁を調理師のメンバーの指導のもとつくりますが、大きい鍋のため時間も要します。
その間、看護師のメンバーと共に足湯の準備にとりかかります。
私は足湯及び足のマッサージは不慣れなので、足湯が終わった方の肩もみを担当しました。普段母親の肩もみしてますのでこちらは得意です。
足湯の際に、現況把握のために避難所を訪れていた兵庫県警の三名の警察官も足湯マッサージに参加。こんなに人柄が良い警察官の方に会うのは初めてでした。
昼食後、後始末が済んだ後は別の避難所での足湯も行いました。

夕食は北海道から持ち込んだ鮭を使った石狩汁です。こんな素晴らしい献立を考え準備して下さった調理師のメンバーには本当に感謝です。
避難所の夕食は早い。普段5時には食べ始めるそうです。なので頑張って準備しましたが、保育所に鍋を置いた後、離れた2か所の避難所に配達したときは5時半過ぎてました。すみません。
荷台に大なべを載せ、揺れでこぼれないように二人かかりで荷台に乗り、鍋蓋を押さえての移動中、パトロール中のパトカーの警察官にチラ見されましたが、たぶん見て見ぬふりです。ありがとう。
配送中、保育所のメンバーから連絡があり、避難者の方々が皆で食事前に記念写真を撮りたい。食べないで待ってるとの事でした。普段5時に食べてる食事を前に。
急いで帰り、皆で写真を撮り、私たちも石狩汁を頂きながら輪になり食事を頂きます。朝から短い滞在時間でしたが、この食事が最後の交流なので名残惜しい。
夕食後、撤収作業をし、生ごみを含め全てのゴミを北海道まで持ち帰るために車に載せ、夜の8時に保育所を後にしました。

その日の宿泊は射水市のホテルです。
ホテルの談話室で、疲れていたはずなのに深夜までメンバーで反省会を行い、語り合いました。

あとがき

北海道へ戻りニュースを見ると、被災地は寒波で大雪とのこと。あの方々、達者かな…と思いを馳せます。
今後、被災地は復旧へ向け少しずつ前に進むことでしょう。また、その復旧の一助になれればと考える日々です。
そして少し燃え尽き症候群です。

この度の炊き出しボランティア実施にあたり、穴水町のボランティアセンターの方々、本願寺の能登半島地震支援センタースタッフの方々、兵庫県警の方々には種々たくさんお世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。

この度の炊き出しボランティアの意義は、「助け合い」です。
決して支援者から被災者への一方的な援助ではありません。
大変な思いをされた被災者の方に寄り添い、少しでも気持ちを共有することで、支援者の私たちが被災者の方から頂く「ありがとう」の言葉で、私自身の心の糧を頂くのです。
一部の人は偽善と呼ぶかもしれません。
では、偽善ではない善とは何でしょうか。
さまざまな思いを背負い、今を生きる私たちが、それぞれの思いの存在を受け入れたうえで助け合うことこそ、私たちが行え得る「善」ではないでしょうか。
少なくとも私は、これからも自分の心に正直に行動しようと、この度の活動を通じて改めて思ったところです。

備忘録

最後に、今回個人的に気付いたことを備忘録とします。

避難所での食事

現状:
 今までの災害対応からの教訓が生かされているようで、自主避難所へも支援物資の提供や情報伝達、健康管理がなされていましたが、私たちが行った炊き出しについては前述の通り課題が残っています。
解決策:
 食事については避難初期では非常食での対応となるでしょうが、炊き出しが必要になったフェーズ以降は、衛生面も考慮し、給食センターのような炊き出しセンターを一か所設置、ボランティアを含む栄養士、調理師を配置し、集中して調理等を行い各避難所へ運んではどうかと感じました。

仮設住宅

現状:
 仮設住宅は現在建設中であると報道され、その中での課題として、建設場所が少ないことが挙げられていました。避難者の健康面からも早期の入居が望まれます。
解決策:
 典型的な中山間過疎地域で発生した今回の地震は、今後日本の各地で同様の被害をもたらし、その際は同様の課題が発生すると思われます。
 中山間地域での仮設住宅の建設地は、学校のグランドなどが考えられますが、教育施設を長期間占有することとなり好ましくありません。その他では耕作放棄地や空き地となっている宅地などが考えられますが、所有者の確認を取ることに時間を要し早期建設の足かせとなります。
 相続土地の国庫帰属制度を拡充し、相続以外での事由でも土地を国庫に入れることを認め、仮設住宅建設適地であれば負担金を免除する。
 民間の空き地は、仮設住宅建設適地であれば災害時には仮設住宅を優先して建設する旨の地上権の設定(法によるもの)を行うこととし、現所有者の明確化推進のため、相続登記の義務化についても実効性を優先し、平時に自治体から仮設住宅建設適地として照会のあった土地は、重点的に相続登記がなされるよう取り組む。
 相続以外での土地の売買についても、仮設住宅建設適地であれば、低未利用地の譲渡所得の控除額の上限を引き上げたり、不動産取得税の減免制度を拡充したり所有者の把握を容易にするよう取り組む。

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