【きっかけ】生み出すことへ情熱を プロジェクションマッピングディレクターへの道
誰もが人生観を大きく揺さぶられたであろう2011のあの春
1歳と3歳を抱えて、猛烈に「おかあさん」で「主婦」でいることに精一杯な日々が、もう一度自分の可能性にかけて生み出すことへ動きだした。
余震がつづくなか、3か月のwebクリエイター養成講座をへて、幸運にもすぐ会社に雇われデザイナーに。クリエイティブな世界に再びチャレンジすることになる。
病気がちな子供達の繰り返す発作や入退院もなんとか乗り越え、
しばしば休みながらの私を会社も支えてくれて7年、下の子も二年生。
正社員になり、忙しいながらも順調で収入もそこそこ安定していた毎日。
ものつくりでお客様の幸せに自分の力をもってかかわれることが嬉しく、充実していました。
が、
ここにきて、またさらに自分の魂を揺るがす運命的な出会いが訪れてしまうんです。
たまたまクライアントとして担当する事になった横山電工株式会社。
普通はできない超短納期、対応できるのはわたしだけだった。
2時間でデザインして出力、夜のうち乾かして翌朝加工して納品…
2時間じゃよくやったと思う…
後日、納品だったか別件で会社に立ち寄ったら、そこでもまたびっくり。
真っ赤なはしご車を社長自らスプレーで塗りながら私に「これ、戦車にデザインしてくれや」と、、、
今まで関わった他の会社とだいぶ様子が違う社長さんだなー
写真撮影があるだか、車検があるだかで、
「一週間で」と言われ、インフルエンザのなか訳がわからないまま咳込みながらデザインを進める…
今考えてもあれは何だったんだろうと、他にも急に閃きですごいこと言い出しては本当にやってるびっくりな社長さんだった。
面白かった。
言ってる事、挑戦する姿勢や考え方には共感するし、その勢いと行動力に魅力というか、チカラを感じさせられて。
物事を起こす人ってこういう人なんだな、とわたしもワクワク。自分の中に小さな火が灯ったようだった。
で、プロジェクションマッピングの会社だと知ったのは戦車デザインが仕上がり終わる頃だったんですけどね…勢い先行
デザイン力を買われ、そのまま看板、フライヤー、ジャケット…関わっていき
いよいよ会社の枠を超えて、個人的に動画素材制作へと関わる度合いが深みになっていく。。
「どうしよう、いいなぁ、やりたい…すごくやりたい」
自分ならできるっていう成功イメージが止まらない
私はデザイン業する前から、これまでに色んなひらめきのなか、何度も独立イメージをもって取り組んでは解消出来ない問題の壁にあたり、諦めてきたのだけど…(陶芸家とか…)
子供の将来、リスク、保証の無いチャレンジ
秤にかけると踏み切らずに終わってしまう、
言葉ばかりになりがちな野心だったが、いつかは…と憧れをもつことで自分の日々のモチベーションを維持していた。
で、今回は 度合いがはっきりと違う。憧れとかのレベルじゃない。
いい歳なんだから、もう充分青春してきたのだから
もう母親として当然平和な毎日をとるべきだ、と気持ちを逸らそうとしても
自分の中には容赦なく、ものっすごい熱量が湧き出てくる
衝動的な気持ちが抑えが効かず、作らずにいられない
マウスを触る手を止められない、
アフターエフェクト、スカルプトリス、ブレンダー、、英語を掘り下げて調べる
何時も脳内でクリエイティブな発想が高速で回り続ける
夜な夜なのトレーニングでどんどん勝手もわかって上達していく私
私ならこうする、もっとこうできないものか?作りたいイメージもどんどん湧いてくる
抑えようとするにも、その反動は…食べられない、もう何食べても味がわからないと言った具合に身体に跳ね返ってきた
「限りある命 情熱をもてることに注ぎたい」
小学3年生で誓ったあの気持ちがよみがえってくる
どうせいつか死ぬなら、このままやらなかったストレスに毎日苦しく居るくらいなら……ぐるぐる思考がまわる
充分に考える余裕もなく、日々はすごい流れの中に居て、現場でのトラブルも目の当たりにし、自分の事のように歯痒くなったり。
ますますなんとかしたいし、実際どんどん案件も話も進んでいく
雇ってくださいよー!の連呼に、いよいよ引き抜きの話にもなったが、これは社長同士の繋がりもあって社員になることは叶わなかった。
やっぱりやるからにはリスクは避けられない
ふんぎりがつかないまま、気がつくと二つの会社を行き来していてもう仕事も掛け持ち状態だった。
夜はヨコデンで昼は広報社(水戸)とイーアスつくばの、片道1時間ちょっとを往復する毎日
家に帰って家事をして、また作業に戻り、朝家に帰りご飯作ってまたつくばへ、家に帰りまた夜は作業へ…
なんてやってるもんだから、当然益々体調も悪くなる
ストレスで舌が痙攣する、片耳がコワンコワンとして聞こえない
身体も痩せていくし、貧血もひどいし
だめだ、このままじゃ死んでしまうかもしれない って本当に思った
この頃が11月
はじめて自分のシーンを入れ込んだ歴史館演出
自分のシーンを30秒入れ込んだ。
まだ回すくらいしか出来ない頃なのでデザイン勝負!ステンドグラスの洋館風にしてみた。
イラストレーターでパス(線データ)をひいて、たったこれだけでもレイヤーは200くらいだったと思う。
仕事しながらだけど10日くらいかけたかな、動画って半端ないデータ量だ。
自分のシーンでため息まじりの歓声が起こる。お客さんは7・800人くらいだろうか、反応が空気感で、肌で帰ってきた。
体験したことのない感覚…
でも同時に他のシーン、自分がオーダーしたクリエイターさんとの力の差も実感させられ、悔しくジレンマに苦しい。
照射が終わってからしばらく達成感と燃え尽き感が凄かった。
自分のシーンで起こった歓声が忘れられない
心震えた瞬間が頭からずっと消えない
悔しさも惨めさも消えない
いいクリエイターさんも見つかって、初心者の私より活きるのは誰の目にもわかることで…
そろそろ自分の役割も終わりかな?と関わりの終わりも予感に覚悟もしていた。
今更この気持ちは諦めつくわけないし、動画勉強し続けて、一年後力つけて戻ってこようか…
一時身を引こうとして涙目のわたしに、社長から打ち合わせ現場に急な呼び出しがかかった
「当然、来るんだろ?」って、
終わりじゃなかった…!定時上がりで遅れて駆けつける
走って現場へ、電話も繋がらない社長をさがす。
喫煙室にいると協力者に教えてもらい、なんとか発見。
まだ動悸も呼吸も落ち着かないわたしをみながら
社長はラスボスのようにゆったりタバコをふかしつつ、余裕の表情でニヤリと言った
「独立するくらいの気持ちできてくれたら、うちの仕事全部イシイちゃんにふるよ?どうする?」
……うん、
ん?やっぱり雇わないんかーい!www
って思いつつ、まぁ、しょうがない
で、もう駆けつけた時点で答えは決まっていた。
「やらせてください」
ニヤニヤする社長に気持ちが読まれているようで悔しかったけど、必要としてくれたことが嬉しかった。この人と一緒にやっていきたい。
…と同時に今にみてろ、依存せざるを得ないくらいになってやるって思ったね(負けず嫌い)
世の中に必要とされるクリエイターになって、面白い事にしたい。
一生忘れられないような瞬間を生み出して、誰かの喜びになりたい。
これから起こる事にワクワクして、動き出した途端世界が弾けるようにキラキラして見えた。
そんな始まりでした☺️懐かしい
今もなお自分の力が誰かの幸せにつながると信じて今日も精一杯活動中です!
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