セクシーを自己解釈してみた

最近、仕事における自分なりの取り組み方を書いてきたが、昨日初めて自分のフェチというものを発見し、それがセクシーに感じたことだったので、今日が趣向を変えてセクシーさについて話したい。

既に何千何十万人という人が語ってきたテーマだと思うが、私だって語りたい。語らせてください。

セクシー。うん。セクシーという言葉自体が既にセクシーだ。

私はセクシーが好きだ。
ただこういうと変態だの、スケベだの言われることがあるが、性的嗜好の意味でセクシーが好きという訳ではない。

人として、生き物としての魅力という意味でセクシーさが好きということだ。なので、男性女性問わずセクシーさを感じるし、いいなと感じる。

セクシーさには、バックボーンがとても影響すると思っている。
またセクシーさはお笑いに似ていると思っている。

これらを誰も求めていないかもしれないが、1つずつ例をもって説明したいと思う。

1.背景が見えるからこそセクシーに光る瞬間がある

1つ目はセクシーな人はどういう人・モノかという視点で考えたときに感じたことだが、セクシーにはバックボーンが大きく影響すると思う。

人やモノには必ず生まれてきてその形になるまでのバックボーンがある。そこに至るまでの苦労や努力があって、今の形になっている。自分なんて何もないと私もよく言うが、今生きているということだけで自分だけのバックボーンはあったりする。

さらにセクシーさはそのバックボーンにどれだけ深みがあるかで変わると思っている。
例えば、よくあるセクシーな人として、挙げられるのは若い人よりも年輩の人の方が多いと思う。これは年の功というよりかは、背景として人生のしんどさや楽しさを知り、大人という世間的にビシッとしていることが求められる立場で自立し始めている人だからこそ醸し出せるものだと考えている。

女性だって、10代20代は可愛さというものが際立つが、歳を重ねるにつれて可愛さよりもセクシーさが強くなっていくじゃないですか。その例としてまず挙げたいのは女優の長谷川京子さんだ。長谷川京子さんは奥さんと一緒に見るグータンヌーボヌーボで見て、そのセクシーさにあてられ、ついにはInstagramもフォローしてしまうほど、セクシーな方だ。
きっと、長谷川京子さんは妻として、母親として、そして一人の女性としてたくさんの喜怒哀楽を経験し、あのセクシーを手にしたに違いない。

人以外でもモノにもセクシーさを纏わせているものがある。
それはその作業の為だけに作られた専門道具だ。
これもそのモノがそれだけの為に長い年月をかけて今の形になったというバックボーンがセクシーさを纏わせていると思っている。
普通の包丁よりも麺切り包丁などその作業の為に作られた包丁の方がそそられる感覚、共感してもらえたら嬉しい。

バックボーンが大事になるということは理解してもらえたと思うが、特に大事なのはそこにかけた本気度だと思う。
ただなんとなく過ごしてきた時間ではなく、そこに至るまでにどんな努力をして、どんな辛いを思いをしてきたか、そこがすごく大事だと思う。
新品の野球グローブよりも年月のたったボロボロのグローブの方がセクシーさがあるように、セクシーさと経験の深みは比例するというのは私の考えだ。

セクシーな大人になりたければ、その分野で本気に取り組むことが大切だ。
セクシーな髪型をしたければ、その髪型をつくるまでに本気で研究し、本気でヘアセットを学ぶ。セクシーな身体になりたければ、本気で理想の身体を研究し、本気で努力して身体をつくる。
そうして追及していけば、自ずと所作に雰囲気にセクシーは出てくると思う。

専門的な知識を知っている人に魅力があるのもセクシーさだ。
スポーツに詳しい人も、物理に詳しい人も、サブカルチャーに詳しい人もみんなセクシー。

しかし、大事なのはバックボーンだけじゃない。そうやって醸成したセクシーさを表現する別のスキルも必要になる。
インプットだけじゃなく、アウトプットのスキルも必要だと言うことだ。

ここがセクシーさを簡単に出せない難しさだと思う。

2.セクシーと笑いは似ている

次はセクシーさはどんなタイミングで感じるのか、といったシーンという視点で考えたいと思う。

これはオーラ的に帯びているセクシーさというよりかは、瞬間的に生まれるセクシーさ、のことである。

これに関して重要なのは緊張と緩和だと思っている。
例えば男性がネクタイを緩める瞬間だとか、気の強そうな女性の部屋着だとか、引き締まった空気の中でふと緩和された瞬間に妙な色気を感じることはないだろうか。
フォーマルな服装の着崩しにどこかエロさを感じるのも、これが当てはまると思っている。

緊張の中に緩和が交じり合うことで瞬間的に安心感が生まれ、そこに人はセクシーを感じるのかもしれない。

そして、この緊張と緩和は笑いが生まれる瞬間と一緒だ。

笑いも張り詰めた緊張の糸がプツンと切れたときに笑いが生まれる。
笑ってはいけない状況で面白いことが起きると普段以上に笑ってしまうのもこれが当てはまる。

セクシーも笑いも瞬間的な緩和によって生まれる。
常に緩んでいる人・モノにはセクシーさは出ないし、常に張り詰め続けて一切隙を見せない人にもセクシーさは出ない。(いずれもバックボーンによって生まれるセクシーさはある)

そういう意味では常に緊張と緩和を意識している芸人の方々はセクシーを演出することも上手だと思う。あいにく芸人の知り合いはいないので、実際は分からないけども。

つまり、セクシーを演出したければまずは緊張を生み出せばよい。
例えば普段は肌を極力見せないようにし、セクシーを演出したいときに少し肌を露出するなども一つの方法としてあるだろう。
男性の鎖骨や女性のうなじにエロさを感じるのはこういったセクシー演出効果だと思っている。

セクシーを欲している人は是非、参考にしてみてほしい。

3.終わりに

簡単ではあるが、自分なりにセクシーな人と、セクシーな瞬間という二つの切り口でセクシーを語らせてもらった。

どちらのセクシーにも共通していることと言えば、どちらのセクシーさもリアル感がある。ということだ。

バックボーンも瞬間的な緩和もその人・モノのリアル感を感じさせる。
妙な生々しさがあるからこそ魅力であり、人は惹きつけられると思っている。
(noteにおいても薄っぺらい記事よりもその人の変態具合が見えるぐらいの記事の方が読んでいておもしろいのもセクシーに通ずるものがあるかもしれない。)

ちなみに私が感じるセクシーな瞬間というのは、女性が服を正す仕草だ。
例えばオーバーサイズのシャツを着ている女性が、動くたびにシャツを正しい位置に戻す仕草や、インナーの肩紐が肩から落ちてしまった時にそれを戻す仕草に妙な生々しさを感じてしまい、ドキッとしてしまう。
何か気にしているというところが、リアル感を感じるのだ。
書いていてとても変態的だと思うが、ここまでセクシーについて話したので自分のフェチは残しておこうと思う。
そしてこれは昨日、ダウンタウンの本気でハシゴ酒に出ていた堀田茜さんがトップスの位置を正す瞬間があり、それをみて気づいたセクシーさで、自分が初めて気づいたフェチである。
これを言いたいがために、セクシーについて自分なりに分析し、文字に書き起こしたともいえる。

言えてスッキリした。よかった。

これを先がけに自分ももっとnoteにおいてセクシー(リアル感)を感じる記事を書いていきたいと思ったので、明日から頑張りたい。

セクシー最高。

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