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日頃の行いを侮ってはいけない

あなたは日頃の行いが如何に大切か考えたことはあるだろうか。

日頃あったことを思い返すことは人それぞれあると思う。
寝る前やお風呂に浸かっているとき、瞑想の時間など人によって様々だと思うが、1日を振り返ることは自分と向き合う時間になり、常に地に足つけている為には非常に大切な時間だ。

しかし、私が言いたいのはそんな自分を見つめなおす意味で日頃の行いが大切なのかという話ではない。

本当にまじめに生きてきてよかった~と心から感じる瞬間に立ち会ったことはあるだろうか、ということである。

昨日、私は人生で初めて財布を落とした。

運転免許証や社会保険証、クレジットカードに現金など、生きる上で必要な情報を満載に詰め込んだ財の布を落とした。
金運上昇と噂される便のついたトイレが出てくる夢を見たばかりだったので、金運があがるものばっかりだと思っていたが、現実は甘くなく、全てのお金の源を失った。

普段と異なることは一切せず、いつもと同じように右前ポケットにいれていた二つ折りのクリップマネー型のマイウォレットは突然、何も言わずに私のもとから去っていってしまったのである。
まるで自分よがりな付き合い方をして、うまくいってるとばかり思っていた大学時代の彼女のように。

しかも朝会社に向かう道中でマイウォレットはいなくなったので、会社に行く手段もない。

最寄り駅で一人立ち尽くす、30前後のサラリーマンのその姿はそれはそれは哀れな姿だっただろう。

ただ朝イチだったということもあり、私は冴えていた。
すぐに、「はっはーん。これは家に忘れてきたな。」と解釈し、急いで家に戻った。
幸いにも出勤時間よりも30分以上早く事務所につく様に家を出ている。
これから家と最寄り駅を往復したところでさほど、焦ることもないだろうと、もしかしたら落ちているかもしれない足元を少し注意深くさぐりながら家路へと急いだ。

家についたとき、最後に記憶のある場所へと足を運ばせたが、なんとない。
ここから私の心理的危機感が一気に体中を駆け巡る。
やばい、クレジットカード入ってるのに、運転免許証も保険証も。しかも奥さんに誕生日プレゼントでもらった大切な財布なのに、どうしよう。やばいやばいやばい。リアルガチでやばいよ。
この時焦りすぎた私は1人なのに関わらずあれ~。なんで~。と情けない声を出し続け内心涙ちょちょぎれになりながら家中を探し回ったが、ない。

そろそろ遅刻するかどうか微妙な瀬戸際になってきた。
家にはない。やはり道中で落としたのだろうか。それだったらやばい。
私が住んでいる街は比較的住みよい街ではあるが、いわゆる民度と言われるものはさほど高くはない。
どれくらいかというと、近所のファストフード店に行くと中学生の女子4人が奇声を発し続け、ガリガリでピチピチの長袖Tシャツを着た金髪のお兄ちゃんが何1つ注文してもいないのに、店長に「俺は客やぞ」とメンチを切るぐらいである。
こんな世界で財布を落としたとなれば、見つけることはもはや、砂漠でオアシスを見つけるぐらい困難だ。これに比べたらウォーリーを探すことは、フリーザーがネイルを片手で倒すぐらい簡単である。

時間的な焦りとマイウォレットを失ったという焦りが相まって私はリアルに半泣きになりながら、最寄りの交番にかけこんだ。
しかし、こんな時に限って運が悪いのが私であり、私である所以である。

交番のおまわりさんはパトロール中で不在だった。
心のそこから粗品ばりのなんでやねん!と叫び(心の中で)、すぐに急用の方はこちらという書いてある、受話器をとり財布を失ったことを説明した。

受話器越しのお姉さんは優しく、遺失届を出す必要があるということと、今交番の人はいないので近くの警察署まで来てほしいと説明してくれた。
交番からの警察署はしごぉぉぉ!と心の中の粗品が叫んだと同時に警察署に行ったら遅刻するけどいいの?という考えがよぎったが、財布がないとそもそも会社にいけないんだから仕方ないという考えが上回り、上司に事情を電話で説明し、事情を説明した上で警察署に向かった。

警察署に向かう道中、何か無性にむなしくなり、声を出して泣いてしまいそうになったが、いい歳こいたサラリーマンが泣きながら自転車に乗っていたらそれはもう不審者である。
そこはグッとこらえ警察署に向かい、窓口のお姉さんに事情を説明すると、そこで奇跡は起きた。

「届いてますよ。」

え?届いてる?なんで?この街でそんなことあるの?

頭の中で【届いてる】という言葉の意味に、「もう戻ってこない」という意味はなかったか考えてみたが、どうやら【届いている】という言葉には「届いている」という意味しかなさそうだ。

体から噴き出る汗と一緒に安堵感もあふれ出した。

すぐにでも返してもらおうと思ったが、マイウォレットは違う交番に届けられているらしく、なおかつ遺失届は書く必要があるらしい。
交番からの警察署からの交番んんん!!と心の中の粗品は叫びたかっただろうが、嬉しさの方が上回りそんなことはどうでもよかった。

私はそこから言われるがまま手続きをすませ、交番に向かい、無事にマイウォレットを再開を果たすことができたのである。
しかも、中身も何1つ失うことなく自分のもとに返ってきてくれた。

財布を預かってくれていた交番のおまわりさんは、私の対応中に電話に出てそっちの対応をしちゃうし、代わりに対応してくれたベテランのおじさんおまわりさんはなぜか、これ自分のものか調べて!、間違ってないならこの書類に署名して!書いたら整理して持って帰って!と終始命令口調だったがそんなこともどうでもよいぐらいマイウォレットとの再会はドラマチックであり、私の心を満たしてくれた。

命令口調のおじさんおまわりさんは私が再開の感動に浸っていたら、「こんなラッキーなことはないからな、よかったな。その財布拾った人は自分の見返りとかはいらないから落とした人に届けてあげてと名前も名乗らずに渡してくれたんや。次からは落としたらあかんで。」とやはり命令口調で喜んでくれ、そして拾ってくれた人の寛大さを教えてくれた。

ありがとう。拾って届けてくれた人。
ありがとう。おまわりさん。
ありがとう。このトラブルに関わってくれた全ての人。

本当に無事でよかった。何も失わずに戻ってきてよかった。
この街も捨てたもんじゃない。

この小さく、自分以外誰も興味のない月曜日のドラマは様々な人の優しさでできていることはまぎれもないが、心底真面目に生きててよかった~という気持ちが沸き上がった瞬間でもあった。

そう感じた理由は説明する語彙力も解釈する力もないが、直感的にこれだけ人の優しさに助けられた理由はただの運ではなく、日頃の行いが大きく影響されたのだと感じたからだ。

情けは人の為ならず。

真面目に生きていればいつか報われる。

といった言葉は綺麗ごとだと揶揄されることは多々あるが、本当にそうだと思う。

真面目な人が大きな成功を収めるのではなく、自分がピンチになったとき、人の優しさに触れられるのはその人の日頃の行いが影響するものなのだ。
不真面目な人が成功する不条理な世の中かもしれないが、真面目に生きることも悪くない。

捉え方は人それぞれなので、それを強要しようと思わないが、そう考えたっていいじゃない。その方が豊かな世界になりそうなのだから。

毎日誠実に生きよう。
このようなピンチが再び私を襲っても、その時もまた、助けてもらえるように。



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