クロスロード試写会に行ってきました
ヘッダーは何故か物理的に燃えている我が推しです。よくわかんないけど、何かにつけて運営に遊ばれ愛されていて本当にかわいらしい。ずっとおもしれ〜男でいてね。
◎わたし、あまりにもかわいそう
クロスロード試写会でひどい目にあう一日前、わたしは呑気に上のような戯言をのたまっておりました。あまりにもみじめでかわいそう。
こうやって、あまりにも "良い" イベントが来た時、「最高~だよ!」の気持ちの出力方法がわからなくなってしまった。いちどイベントを本気で走ってしまうと、またその走り方をしたくなるんですが、さすがにやばいんですよお金が!(笑) わたし庶民なので! だれか、完凸で満足できるようにわたしを導いてください。
◎クロスロード感想(ありのままの感想をはなすよ)
わたしはかねてからクロスロードを読むと、蓮巳さんに感情移入する節があります。
クロスロードを読んで蓮巳敬人というあまりにも人間らしい人間のことがとても好きになったので、私にとってクロスロードの主役は蓮巳敬人だと思っているところがあります。
クロスロード試写会に行ったら、みしらぬ隣のひと(同行者さまではない)が、「蓮巳さんの言動はなかなか理解ができない」って言っていたのを耳にして、本当に人それぞれだな~って思いました。良いとか悪いとかじゃなくて、シンプルに、同じものを見て違う感想を抱くのっておもしろい。
アンデPだしガミコ~のオタクだけど、わたしは本当~~にさくまれ~の言動や感情に共感できたことは一度もなく(理由:凡人なので)、エレメントを見ると英智さんに移入し、クロスロードを見ると蓮巳さんに移入する。
凡人が天才を超えていこうとするその気概とか、綺麗なだけじゃないドロドロの感情が生み出す熱って、すごいいいですよね。わたしは凡人であり、どうやら潜在的に野心家みたいなので、上記の2人の気持ちにはとても共感できます。
さくまれ~の才能に焼かれていちど "灰になった" 蓮巳敬人と、さくまれ~の才能に魅せられて "炎になった" 大神晃牙の対比も大好きです。蓮巳寺の縁側で、蓮巳さんがガミコ~に対して「さくまれ~という神様に近づきすぎることへの警告」をするシーン、好きです。蓮巳さん、指導をしているうちにガミコ~に対して情が移ったんでしょうね。神様に近づきすぎて自己肯定感を焼かれたその過ちを繰り返してほしくなかったんだなあ。自分みたいな、ある意味 "不必要に" 自己肯定感を失う人間をむやみに増やしたくなかったのと、そうやって失うには惜しい人材だと思ったんだろうなあ。
その時のガミコ~のハッとした表情、アニメになってはじめてわかる表現で、いいですよね~。そういう細々した表情の差分、アニメの美点ですよね。「生半可な気持ちで憧れてるんじゃない、俺はあの人になる、いや、あの人を超えてみせる」(ニュアンス)っていうガミコ~のセリフ、上記の蓮巳寺縁側シーンを起点としたセリフだと思うんですよ。「あの時クソ眼鏡に言われた言葉、ちゃんとわかってっけど、それでも俺はあの人を超える」ってね。でもそれって、あの時のガミコ~の表情を見るに、さくまれ~の圧倒的 "力" で自分を見失った蓮巳さんを見下しているのでも、けなすのでもなくて、自分にも起こりうる可能性のひとつとして深く心に刻まれたんだろうなと思います。むしろあのアドバイスがなかったら覚悟が決まんなくて、晃牙くんも同じ道をたどっていたかもしれない。
最近ミラージュのスカウトストーリーでも「たまにさくまセンパイの強大な光に飲み込まれそうになる」「自分なんて消えちまいそうになる」(ニュアンス)って晃牙さんおっしゃってましたけど、それでも踏ん張って隣に立とうって思えるのは、あの時の蓮巳さんの言葉があったからだろうな~って思います。そういう意味で、彼はひとりでさくまれ~の強大なパウワ~に立ち向かっていたんじゃないんですよね。「あの人を超える」と改めて宣言した時、彼はとっくに孤高の一匹狼なんかじゃなかった。彼にはすでに、先輩であり、先生であり、仲間であり、同士である蓮巳敬人っていう存在がいたんだなあ。
クロスロードを経て、「これでも蓮巳先輩とは長い付き合いなんだぜ」とザッキ~に言った(かわいい)ガミコ~と、返礼祭でガミコ~と競えなかったのを悔やんでアスレチックで彼に挑戦を挑む(かわいい)蓮巳さん。さくまれ~というひとりの "神さま" を巡って生まれた "交差点" 。そこで生まれた異種ともいえるガミコ〜と蓮巳さんの交流。神さまの気まぐれってすげ〜。この交差点では、道を分けた人もいれば、新たな出会いを貰った人もいるんですね。クロスロードって、おもしれ〜なあ…明日からアニメをまたいくらでも見返せると思うと、とっても楽しみです。
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