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【知的障害の娘とのエピソード・4歳頃】知的障害という点で《苦労したこと》・《救われたこと》をお伝えします!

 臨床心理士と公認心理師をやっております、『トアルしんりし』と申します。

 現在、婚活で出会った会社員の伴侶と発達障害(自閉スペクトラム症と重度知的障害)もちの6歳・娘と3人で暮らすアラフォー。
 子育てブログもやっていますので、興味をもっていただけたら幸いです。

 今回は、我が家の知的障害をもつ娘とのこれまでを振り返って、娘が4歳時点で苦労したこと・救われたことなどをご紹介できたらなぁと思います❗️

 特に印象に残っているエピソードそれぞれ3つをピックアップしてご紹介出来たら、と考えています😌


エピソード紹介の前に、娘のプロフィールを簡単にふりかえります👇

 現在6歳の娘とは状況が異なる箇所もあるのですが、4歳の頃の娘はこんな感じでした。

✅ひとりっ子(今後もその予定)

✅自閉スペクトラム症

✅中度(中等度)知的障害【DQ=45】(3歳時点での数値)

✅療育手帳持参

✅4歳現在もオムツ着用(トイトレ未完)

✅二語文はほとんどなし(単語は増えています)

✅「これは、何?」「どっちが、ほしい?」といった簡単な指示や会話に対して、理解が最近できてきた様子

✅娘自身が困った際は、基本は大人を探して手を引っ張って現場に連れていくスタイル(あとは大人が娘の意図を推理💦)

✅療育は2歳から毎週1日、3歳から毎週2日通所(うち1日は土曜日)

✅3歳から約1年間は私立幼稚園へ通園→4歳から公立保育園に通園(加配保育士のフォローあり)

 上記内容は娘の一部情報にすぎませんが、そんな娘の普段の様子や他エピソードなどは、トアルしんりしのXやブログにて書いていたりします。
 気になった方は是非ともチェックしていただけたら嬉しいです👍

中度知的障害の娘とのエピソード紹介・《苦労したこと3選》

苦労したエピソード①:危険を認識することが難しく、親が目が離せない時間が多かったこと

 今は以前よりはその苦労も緩和されている部分もありますが…どこかに行ってしまうという心配で、いまだに娘と手を繋がないで歩くということができない自分がいます。

ここで、ちょっと待ってて」が理解できない&苦手な娘。

 スーパーや歩道で親の後ろをトコトコついて歩いていく2歳くらいのお子さんを見ては、「凄いな〜今の娘には難しいなぁ」と感じることも多いです。

 柵や仕切りのある園庭や施設であれば、比較的柵の外に出ることが少ないので親も比較的安心して見守っていられるのですが、それでも絶対に目は離せないですね💦
(そのため、会話しながらでも意識の半分は娘の動向チェックにエネルギー注いでます)

  • 注意:今でも、熱いので火傷する・急に道に飛び出すと車に轢かれる・そこに触れたら手が汚れる・些細なことで使えなくなるオモチャや道具があるなどといった、危険予測や危機意識が少ないかな?と思われる場面もあります。

苦労したエピソード②:身の回りのことを覚えるのに時間がかかるため、親はサポートする時間がどうしてもとられること

 知的障害があるのも関係しているのだとは思いますが、何かを覚えるのに、人の何倍も何十倍も時間と工夫が必要になってきます。

 そして、これは発達障害あるあるのエピソードの一つかもしれませんが、『今日できたことが明日も継続してできるとは限らない(当たり前だと思わないほうがよいかもね💦)』という点が娘にもあります。

 例えば…私立幼稚園に通園していた時、

  • 靴下をすぐに脱いでしまう(感覚過敏の影響かと)

  • 上履きで外に出てしまう(履き替えに時間がかかるので、娘は面倒がりました)

  • 椅子に5分しか継続して座れない(園は30分は座って欲しかったみたいです💦)

などの点で、しきりに改善を求めるように言われてきました。
👉ちなみに、転園後の保育園ではそんなこと一度も言われたことありません😂

苦労したエピソード③:理解力が高くないために、『ここ(この場)では何をすれば良いかわからない』ことが多く、不安になっては癇癪につながりやすかったこと

 スケジュール変更やいつもと違う環境への【慣らし行為】を親側で考え、その都度、対策を含めて周囲に理解を求める働きかけをしていく必要があること

 幼稚園時代は、行事(運動会や音楽会の様な特別な催し)にはその場にじっと参加が難しい&フォローする人手不足の理由で、原則娘は行事に不参加が決定事項になっていました。

  • 注意:今は娘も安心する環境に身を置いて居られるからか、癇癪の回数もグッと減りました。結果として、服薬回数も減っています❗️

中度知的障害の娘とのエピソード紹介・《救われたこと3選》

救われたエピソード①:救われエピソード①:理解できることが限りがあるため、重要なポイントだけ話せば🆗

 娘の場合は【基本、指示は具体的・簡潔に】がモットーです。
最低限、ココだけやっておけば🆗といった感じで親は考え、娘に話をしています。

 例えば…

朝の支度をしている際に、朝食を娘の前に置いたら、

「30分、ご飯を食べます」

これで一旦終了です。(5分か10分刻みに「あと○分〜」の声かけはしますが)

 ご飯の後は、歯ブラシを手渡して「歯を磨きます」、と一言。
着替えと顔洗いは親が娘のフォローをしながら行うため、歯磨き後は「洗面所行こう」、顔を洗ったら「着替えよう」、着替えたら「靴履いて、保育園行こう」で、我が家の場合は一通り娘には伝わる感じです。

救われたエピソード②:娘の将来のとれる選択肢が、ある程度予測できる数で済むために親が悩む問題が絞られる

 娘の場合、最終的には高校を出た後は『就労の道』が現時点での最有力選択肢ともいえるため、積み立てている大学費用や予定していた塾代は、全て娘の将来の預金になりそうです。

救われたエピソード③:理解力の関係で複雑な思考をするタイプとは言えず、『周囲の目(そもそもの客観視が難しいのもあり)』をマイナスに捉えて落ち込んだりすることが少ない

 理解力の幅がある程度限られているが故に、プラスの見通しも出来るのかもしれないと最近はあまり悲観的ではありません😅

 平均程度のIQの場合と同じ様には物事を捉えられないことは少なからず、複雑に物事を考えて、非常に落ち込んで自分を責め立てたりする機会も少しばかり減るかもしれないのでは…と希望を持っているところもあります。

(もちろん、絶対的なものの考え方ではありませんので、どうなるかはわかりませんが)

まとめ

 今回は、娘の知的障害と向き合った日々を振り返り、娘が4歳時点で苦労したこと・救われたことエピソードを各3つずつご紹介していきました。

 年々、知的障害をもつ娘なりにできることが増えている印象は強く感じます。

周りを見て比較してしまうと、何かしらのモヤつきは出てくるのでしょうが…『そもそもが比べられようがないものなのかもしれない』と実感して過ごす様になってからは、モヤつきも出てくる機会がグッと減りました🌸🌸🌸

 長い人生ですからある程度は区切りや休憩を入れながら、娘のペースでゆったりと過ごしていけたら良いなぁと考えています。

 今回の記事以外にも、我が家の障害児育児の現状などが気になった方などいらっしゃれば、一度トアルしんりしの運営するブログ(=トアルしんりしの徒然日記)を覗きに来ていただけたら幸いです。
 noteやXのプロフィールにもブログURLを掲載していますが、こちらにも載せておきます👇👇👇


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